TVアニメ「蟲師」第7話「雨がくる虹がたつ」。動物でもない植物でもない、生命の原初に近い存在「蟲」。「蟲」を巡る奇譚を集めた「蟲師」の世界の詳細あらすじと感想・考察を。



第7話/雨宿り。長い旅路にはそれも必要。

出展/TVアニメ「蟲師」

 

第七話

雨がくる虹がたつ

ame ga kuru niji ga tatsu

 

前回の第6話「露を吸う群」は印象的な、「蟲師」のなかでもかなり好きな物語だったが、今回の「雨がくる虹がたつ」も、心惹かれずにはいられない。前話のような2転3転する派手さはなく、今回はとても静かな印象の物語だ。

 

しかもやや難解なところがあり、作者の意図がどこにあるのか、アニメをさらりと観ただけではつかみにくい。そのため派手な展開を見慣れた方には、なんともよく分からない、つまらない作品に思えるかも知れない。逆に「蟲師」の世界が好きな人には、これは何を象徴しているのか、作者の意図はどこにあるのか、探りながら観られるので、何度観ても楽しめる。今回の物語は、おそらくこのように両極端の感想がもたれる作品と思われる。

 

これからわたしが行う考察は決して答えではなく、ただの現時点でのわたしの考えだ。それぞれが、それぞれの考察と答えがあっていいはずなので、自分の答えを導くための参考に留めてもらいたい。

 

冒頭は雨宿りの描写から

▲雨に降りこめられた男が3人 出展/TVアニメ「蟲師」

 

辺りもかすむような土砂降りのなか、ギンコが頭から上着をかぶって歩いてくる。「じゃまするよ」と声をかけてギンコが立ち寄ったのが大木の下だ。木の下にはギンコを入れて3人の男がいた。3人とも雨に降りこめられ、ここでしばらく雨宿りしに偶然集まった者たちだ。

 

ギンコ、キセルの男、そして大瓶(おおがめ)をもった男。ギンコは大瓶の男に話しかける。

 

ギンコ「あんた、商人かい。食い物なら何か売ってくれ。長雨で皆やられちまってな」

 

大瓶の男「いや、この中は空だ。商人でもない」

 

ギンコ「じゃ、何入れてんだ。でかい瓶だな」

 

キセルの男が「死体だよ死体」と、にやけながら言うがもちろんでたらめだ。大瓶の男はとくに気を悪くする様子もなく、平然とこう答えた。

 

大瓶の男「あー虹だよ。こいつにな、虹を入れて持ち帰るために俺は旅をしてるのさ」

 

あまりに突拍子もない答えに、ギンコもキセルの男もあぜんと言葉を失う。が、退屈しのぎにどうしてそんな事をしてるのか話して聞かせろとキセルの男が言い、大瓶の男がそれに応じた。

 

「蟲師」ではよくあることだが、この冒頭の何気ない描写がじつはとても重要だ。3人の男が雨宿りをしている。どこかに行く途中、雨が降ってきて、しばらくそこで休憩することになったわけだ。雨が止めば休憩を切り上げ、またそれぞれの目的に従い、それぞれの道を歩き出す。

 

目的地に向かうまでの小休憩も、考えようによっては重要だ。

 

雨に濡れてカゼを引かずに済むし、身体を休めることでその後、元気に歩き続けることができる。しかも面白い話のひとつも聞ければ、いい気分転換にもなる。実際キセルの男は大瓶の男の話を聞いた後、笑顔で歩き去った。いい休憩になった様子だ。

 

父親の望みを叶えるために、大瓶の男は虹を捕まえようとしている

▲河原から生える虹 出展/TVアニメ「蟲師」

 

虹を捕まえようとしている大瓶の男の話は、こうだった。

 

彼の父親は、とても奇妙な性質だった。雨の気配を察すると、「雨がくる、雨がくる、虹がたつ」と、嬉しそうにつぶやいて数日間は野山を駆け巡る。自分でもどうしようもないらしく、そのせいで母親は「ご近所に恥ずかしい」といつも機嫌が悪かった。

 

しかし大瓶の男は、幼い頃からそんな父親が好きだった。父親がする虹の話も好きだった。その日も父親に虹の話を聞かせてくれるようせがんていた。「母ちゃんには内緒だぞ」と、やや決まり悪そうに父親は話し始める。

 

父親「あの日はなぁ、おまえの生まれる前の日で、ようやく大水の引いた日だったよ」

 

肩を落とす人々の前には、川の増水で橋が壊れている。そんなとき父親は、やけにくっきりとした虹を空に見つけた。しかもその虹は、すぐ近くの河原から生えていた。

 

父親はそろそろと虹に近づき、「虹のたもとを掘れば宝があると聞くが・・・」と思いながら、虹の中に手を差し入れた。──と、バチリ! と音を発して突然、虹は消えた。いや、消えたのではなく、父親の手に宿ったのだった。

 

それからしばらく雨の後には父親の近くに虹がたった。あるときは家のなかで揺らいでいたり、あるときは家の屋根にねじれた形でかかっていたり。しかしその虹は他の者には見えないようで、唯一、虹に反応したのが生まれたばかりの次男坊(これが大瓶の男)だった。やがて虹はどこかに行ってしまった。

 

父親「雨の降りそうな日は体の底がざわざわしてな、気がつくと野山を駆けまわっている。こうやって、まともでいる時は、またあの虹が恋しくて恋しくてたまらんのだ。どこにいるのか・・・。いつか探しに行ってみたい」

 

そんな父親も年を取り、病を得て床に伏すようになった。それでも雨の前になると虹を求めて外に出たがる。やがて衰弱して足も立たなくなってすら「あぁ、あの虹が見たいなぁ」と言うのを聞いて、大瓶の男は虹を見つけ出し父親に見せてやろうと旅をしているのだった。

 

虹探しにギンコが参戦

▲「って事で、よけりゃ協力するけど」 出展/TVアニメ「蟲師」

 

大瓶の男の話が終わると、ちょうど雨が小降りになってきた。キセルの男は「その話、最後のツメがちと甘かったな。まぁ達者でな」と、ちょっと手をあげどこかに歩いて行った。完全に作り話だと思っているのだ。

 

ところがギンコは虹探しに協力するという。

 

ギンコ「今の話、ほら話ではないだろう。親父さんが見たってのは虹蛇(こうだ)という蟲だ。俺も今まで一度だけ見た事あんだが、生えてる根元ってのを観たかったんだよな。って事で、よけりゃ協力するけど。報酬は──当面の飯代」

 

ギンコによると、普通の虹は太陽を背にしているときにしか見えないが、虹蛇はそれとは関係なく表れる。だから太陽に向かって歩いていた方が見つけやすいという。また、虹蛇は色の並びが逆なのだという。

 

突拍子もない話を真に受けて、さらに虹探しを協力すると言われて大瓶の男はひどく面食らっている。

 

大瓶の男「なぁ、ギンコとか言ったな。あんただって、何か目的があって旅してたんじゃないのか。何故こんな・・・通りすがりの者に手を貸す」

 

ギンコ「だから、俺もそれ見たいだけだよ。特別、目的があって旅してるわけじゃなくてな・・・。でもまぁ、ずっと虹蛇探してるわけにも。とりあえず俺は・・・そうだな、立秋までに見つからなきゃ手を引くよ。そういう契約ならいいだろ?」

 

季節は梅雨の頃だろう。おそらく6月だ。立秋は8月中旬。ギンコはそれまで虹蛇探しを手伝うと言っているのだ。大瓶の男としてはありがたい。何しろギンコは虹蛇にやたら詳しい。

 

虹蛇も本当の虹と同じく雨あがりによく見られるというので、二人は雨を求めて旅を始めた。

 

「おまえは後ろめたさを紛らわすために、虹を追う事で自虐を続けてるだけだ」

▲ギンコと男が口喧嘩! 出展/TVアニメ「蟲師」

 

ギンコと男は、雨の降りそうな場所をあっちへ行ったりこっちへ行ったり。虹をいくつも見つけるが、どれも普通の虹だった。そんなある日。とある洞穴で、二人は空を睨みながら雨宿りしている。瓶は役に立たないとギンコが言うので、男は大瓶を売っぱらってしまっていた。

 

ここからしばらく、二人の会話が続く。この会話が本作の肝なので、細かく再現していこう。

 

ギンコ「まぁ、予想はしていたが、探すとなると見つからんものだな。・・・あんたは、旅を始めてどれくらいになるんだ?」

 

「──5年になるな」

 

ギンコ「5年。・・・なぁ、あの話、病床の親父に見せるためってのは嘘だろ。病人抱えた家族を放って5年も旅をしてるなんてな」

 

「親父に見せたいってのは嘘じゃない。でも、それが行動の端じゃなかったな。──俺の名を言ったっけか」

 

ギンコ「ん? いや」

 

「虹郎(こうろう)という。虹を探しては徘徊を繰り返す親父を、常に背負う名だ」

 

この名前のため、村ではずっと笑い者にされてきたという。男は西の国の代々橋大工をしている家の息子だった。雨が降ると走り出す父親も橋大工だった。父親は有名な暴れ川に何度も橋を架けたが、大水のたびに流された。例の、川岸から生える虹を見つけたのも、大水で橋を流された日だった。

 

虹郎には賢郎(けんろう)という名の兄がいて、兄が父親の跡を継いだ。兄は優秀な橋大工で、橋が流されるたび、丈夫な構造の橋を考えていた。

 

虹郎「俺にはそんな才能がからきしなくてな。腱を切るケガをして、左手の自由がきかねぇ。大工としても二流以下だ。いつしかあの村には、俺の居場所は、親父のそばしかなくなっていた。──それに耐えられなくなって、逃げ出して来ちまったんだよ・・・」

 

ギンコ「じゃぁ、結局なんだ? 虹を探してる理由ってのは」

 

虹郎「虹を見るたび、追わずにはいられなかったんだよ。親父の言葉を確かめたかったのもあるし、親父や俺を笑ってきた村の連中に、原因はこれだと言ってやりたかった。──けど、何より村を出ても俺は結局負け犬だからな。何か生きるための目的を作らにゃ”ただ生きてく”事すらできねぇ」

 

ギンコ「目的、ね」

 

虹郎「おまえは目的もなく旅をしてると言ったな。まぁ、何か理由はあるんだろうが。旅をしてくのも楽じゃぁない。目的がなくて、旅を続ける気になるものか?」

 

ギンコ「そりゃ、たまに休みたくもなる。そういう時、こうやって目的をつくる。そうすればこうやって余暇も生まれるだろ。”ただ生きる”ため生きてるぶんには、余暇ってもんがないからな」

 

ギンコの言葉に虹郎はやや憤慨する。「こっちは真剣にやってるのに、息抜きのつもりかよ!」と。それに対してギンコは「俺だって真剣にはやってるだろが」と反論する。なんだか口論になってきている。虹郎が「心構えの問題だ!」と言うのを聞いて、ついにギンコがズバズバ言うようになった。

 

ギンコ「何だそりゃ。休むのだって生きるためにゃ切実な問題だ。それになぁ、おまえよりはまっとうな動機だと思うがな。おまえは後ろめたさを紛らわすために、虹を追う事で自虐を続けてるだけだろう。不毛だね。どこへなりと根を下ろして、過去なんて捨て去りゃよかったのによ」

 

虹郎「──わかっている。それができんから、ここにいるんだ。だが、それも潮時かもしれん。俺も立秋までって事にするかな」

 

虹郎の話を聞いてギンコは「おまえは後ろめたさを紛らわすために、虹を追う事で自虐を続けてるだけだろう」と、ズバリ指摘する。そうなのだ。「虹を探すため旅をしている」というのは建前で、本音を言えば虹郎は逃げてきたのだ。橋大工の家に生まれて、橋の設計では兄にかなわず、左手の腱を切って大工としても二流以下で。自分の不甲斐なさにいたたまれなくなって村から逃げたのだ。

 

続けてギンコは「不毛だね。どこへなりと根を下ろして、過去なんて捨て去りゃよかったのによ」と言ったが、そんなこと言われるまでもなく、虹郎自身も分かっている。いつまでも虹探しなどやっていられないと。いつか、ちゃんとどこかに根を下ろし、まっとうな暮らしをしなければいけないと。ただ、なかなかその踏ん切りがつかないだけなのだ。

 

虹郎の、虹探しの本当の目的は──

▲別のいい名を考えておいたと言われても── 出展/TVアニメ「蟲師」

 

二人の旅は、梅雨を過ぎ、ついに夏になっていた。辺りには、騒がしい蝉の鳴き声が響いている。ギンコは街道に怪しげな珍品を並べて売っている。人魚の爪とか、干からびた何かの手のようなものや、目玉の入った瓶もある。傍らに座っていた虹郎は顔に汗を浮かべながら空を見ている。

 

突然、父親の声が蘇ってきた。

 

「雨がくる。雨がくる、雨がくる、虹がたつ!」

 

虹郎の目の前の空に虹がかかった。虹の向こうに太陽が見える。しかもその虹は内側が赤い色をしている──。これまで見てきた虹は、どれも下が青で上が赤だった。虹の色が逆だ。これは──! 二人はあわてて虹を追う。

 

しかし虹のたもとに着く前に虹は消え、夕暮れが迫ってきた。物悲し気なヒグラシが鳴いている。まだそう遠くには行っていないだろうということで、二人はここで野宿することにした。

 

草に横になりながら、虹郎は父親のことを思いだしていた。

 

父親「虹郎。おまえもそろそろ、俺や、俺のつけた名前がうらめしくなる頃だろうな。俺は、俺の見たこの世で一番美しいものの名を、おまえにやりたかったのだが・・・。悪かったなぁ。おかげで友だちにも笑われるのだろ」

 

そう言うと父親は1枚の紙を差し出した。

 

父親「これを。別の、いい名を考えておいた。明日からはそう名乗れ」

 

虹郎「・・・いいよ。そんな事、言うなよ。俺、負けねぇから。親父より立派な橋大工になってみせるから」

 

そんな会話を交わした後、虹郎は一人、旅に出た。ギンコにも言わなかった、直接の原因がこれだったのだ。

 

その存在を誰も信じてくれない父親が見た不思議な虹と、その思い出を名前にもらった虹郎。虹郎の居場所は、唯一、父親の側だけになっていた。それなのに、父親自身が虹郎の名前を否定したから──だから、虹郎は村での居場所を失ってしまったのだ。

 

虹探しは、父親の汚名をすすぐためであり、自分の存在を否定されないため。そして、虹郎自身が自分の存在に自信をもつためでもあった。父親が見た虹を見つけることができれば、それは取りも直さず自分の名前を、ひいては自分自身を肯定することに繋がる。

 

「俺、負けねぇから。親父より立派な橋大工になってみせるから」と、父親に誓った目的に向かって邁進するためには、虹郎はまず自信を取り戻すところから始めなければいけなかったのだ。

 

ついに虹蛇を発見!

▲「すげぇ」。二人は息を飲む 出展/TVアニメ「蟲師」

 

目が覚めると、木の向こう、すぐ近くに虹蛇が見えた。森の中を二人は走る。──ついにたどり着いた虹蛇のたもとで、二人はその美しさに息を飲む。七色の光がごうごうと天に向かって滝のように立ち上っている。

 

ギンコ「すげぇ」

 

虹郎は喜び「こいつを持って帰らにゃ」と、虹蛇に手を伸ばす。と、バチッと何かがはぜたような音がして、虹郎は虹蛇に飲まれた。──と、すかさずギンコが虹郎の肩をつかんで引っ張り出した。

 

ギンコ「バカやろが。どうともないか?」

 

虹郎「あぁ・・・」

 

ギンコ「近くで見るまで確証はなかったが、皮膚にビリビリくる。こいつはナガレモノの一種だ。-中略-ナガレモノとは、洪水や台風と似たようなモノ。発生する理由はあれど、目的はない。ただ流れるために生じ、何からも干渉を受けず、影響だけを及ぼし、去ってゆく。そういう蟲は、触れれば憑く」

 

虹郎は、ドサリと草に寝そべった。

 

虹郎「俺の、自由になる相手じゃなかったか。──身体に穴の空いたようだ。いっそ、清々しいくらいだ」

 

寝そべった目の前に、勢いよく上昇する七色の滝のような虹蛇が見えた。

 

ギンコ「これから、どーすんだよ」

 

虹郎「さぁ。しばし考えるさ。──おまえは? あー、こいつと同じか。また流れるだけだよな」

 

虹郎の声は、どこか明るかった。

 

アニメの虹蛇、美しい・・・! こんなものを間近に見たら、そりゃ憑かれるだろうと思うほどに。原作漫画は残念ながらモノクロ表現なので、この迫力と美しさを出すことはできない。カメラアングルや虹郎とギンコの会話など、アニメは忠実に漫画を再現しているが、色があることでこの回のアニメは漫画を凌いでいる。もちろん音の演出や声優の台詞回しあってこそだが、今回は映像がとくに素晴らしかった。

 

そして虹郎は、ようやく吹っ切れたように見えた。父親の言っていたことは本当だと、この美しい虹を自分は名前にもらったのだと、自分の名に、自分自身に誇りを持てるようになったのだろう。

 

旅は終わった。

 

大水にも流されない「ナガレ橋」をつくったのは・・・

▲発想の転換で大水にも壊れない橋が完成 出展/TVアニメ「蟲師」

 

ここから先は虹郎の消息を、おぼろに伝えるギンコの語りで締めくくられる。

 

その後、男がどこへ行ったかは知る由もない。ただ、西の国の有名な暴れ川に、壊れぬ橋ができたと聞いた。増水してくれば私板の片方を外し、水の流れるままに泳がせ、水が引いたらもとに戻す。ナガレ橋という名の橋が一人の男の考えで架けられているという。

 

文脈から言って、このナガレ橋を作ったのが、虹郎なのだろう。虹郎は、自分の目で虹蛇を見たことで、父親を信じ、同時に自信を取り戻した。かつて村を出る前に父親に言った言葉。

 

虹郎「俺、負けねぇから。親父より立派な橋大工になってみせるから」

 

の言葉の通り、家に帰ってからの虹郎は必死で勉強したのだろう。そしてついに、父親も兄にもできなかった、暴れ川の増水にも壊れない橋をつくった。増水にも負けない堅牢な橋をつくろうとばかりしていた父親や兄とはまったく逆の、逆転の発想だ。

 

虹は空にかかる橋。虹蛇は虹にそっくりなナガレモノ。ナガレモノ、ナガレモノ・・・ナガレ橋! という感じで思いついたのだろうか?

 

そんな発想を得ることができたのも、虹蛇を探して旅をしたおかげ。虹郎の旅は、結果的に素晴らしく有意義なものだったわけだ。

 

▲木津川にかかる上津屋橋(通称ながれ橋)

 

ちなみにナガレ橋は実際にある橋で、京都の木津川にかかる上津屋橋(こうづやばし)がもっとも有名。作中でナガレ橋を架けたのが「西の国」と言っていることから、この上津屋橋を想定しているのではないかと思われる。

 

作中、もっとも重要な言葉はギンコのセリフにあり

▲「休むのだって生きるためにゃ切実な問題だ」 出展/TVアニメ「蟲師」

 

この作品は「自信喪失して家を飛び出した虹郎が、自分の目で虹蛇を見たことで自信を回復し、家に帰って立派な橋をつくった」という話なのか──と思える。いや、たしかにその通りなのだが、実はもっとも重要なのは、ギンコのこのセリフだと思う。

 

ギンコ「休むのだって生きるためにゃ切実な問題だ」

 

日本人は生真面目で、休むことはいけないことだと思いがちだ。休むことを後ろめたく感じてしまう。しかし、常に頑張っていては長続きしない。上手く休むことも大切だとギンコは言っているのだ。

 

虹郎は、自分が村を逃げ出してしまったことを後ろめたく思っている。本当は立派な橋大工になりたいのに、なれそうにないと自信をなくしてしまっている。虹蛇を追う旅は、虹郎の生涯において、ちょっとした「休み」の時間なのだ。ただガムシャラに頑張るだけでは生きていけない。休むことも大切だ。ギンコのように胸を張って休めばいい。そういうことだ。

 

それは例えば、雨から逃れて大木の下でしばし雨宿りするようなもの。雨宿りなどしてはダメだ! と、土砂降りの中を無理に歩き続けて風邪をひくより、上手に雨宿りした方が良い結果が望める──と。こう考えると、作者は冒頭から既に、この作品の本質をしっかり見せていたのだ。

 

味わい深い作品だと思う。

 

pic up/色が逆さの虹は実在する

▲横浜港にかかるダブルレインボー

 

空にかかる美しい虹は吉兆とされるが、さらに珍しい二重の虹は大吉兆と言われる。──が、じつは虹はたいていの場合、2重で出現するものらしい。

 

明るい方が「主虹」、「主虹」の上にかかる暗い方を「副虹」と呼ぶ。主虹は水滴の中で1回反射してできるのに対して、副虹は2回反射するのでどうしても暗くなってしまう。そして、副虹は主虹と色の並びが逆になる。

 

上の写真は、数年前に横浜の「港の見える丘公園」から撮影したダブルレインボー。薄くて見づらいが、副虹の内側が赤で上が青いのが分かるだろうか?

 

たいていの虹は2重になっているが、副虹が暗いので見逃されてしまうことが多いため、ダブルレインボーは珍しいと言われるそうだ。しかしよく探せば、たいてい副虹は見つけられる。

 

今回の物語、橋大工の親子が空にかかる橋である虹に魅せられたということで、このあたりもよく練られた作品だなぁと感心する。

 

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