TVアニメ「蟲師」第9話「重い実」。動物でもない植物でもない、生命の原初に近い存在「蟲」。「蟲」を巡る奇譚を集めた「蟲師」の世界の詳細あらすじと感想・考察を。



第9話/米一粒に込められた、先人の覚悟と想いを知る

出展/TVアニメ「蟲師」

 

第九話

重い実

omoi mi

 

冒頭、女がご飯を食べている。──と、なにやら訝し気な表情を浮かべて箸を止める。一緒に食事をしていた夫が「どうした?」と訊ねると、女は「何だろこれ?」と、口の中を手鏡に映した。

 

「ねぇ、あんた。これ──歯かしら?」

 

女の上あごから、白いものが覗いていた・・・。

 

これまで観てきた通り、「蟲師」というのは職業をさす。蟲が見える性質の者がなる職業で、蟲が介在して引き起こす奇妙な現象を解決して報酬をもらっている。本作の主人公ギンコが生業としている職業だ。

 

もちろんギンコ以外にも蟲師は、いる。そして、それぞれの考えに従って仕事をしている。そんな蟲師仲間の内でも、おそらくギンコはかなり特殊な部類に入る。だいたい、これまで報酬に金銭をもらっているのを見たことがない。そして、いつも人と距離を取りながら生きている。これまで登場した中で親しいのは、「旅をする沼」に登場した、漁師町の医者「化野(あだしの)」くらいだ。

 

そんな、物に執着しないひょうひょうとしたギンコの生き方と、折に触れ垣間見せる筋の通った優しさが、この作品をおどろおどろしいだけでない、心を癒す物語に仕上げている。

 

今回の「重い実」は、タイトルだけでなく内容もずっしり重い。いくら貧しい土地でも、その土地を愛し人を愛する強い想いの物語。登場人物「祭主」の想いと覚悟の物語だ。それに心動かされたギンコがどう動くのか、その結果どんな未来が紡がれていくのか、歯ごたえのある素晴らしい作品だと思う。

 

おそらく年齢の若い人より年を重ねた人、とくに稲作農業に携わってきた経験のある人には忘れがたい作品ではないだろうか。

 

一粒の米には八十八人の神さまが宿っている

▲「ひどい冷夏で蓄えするので手いっぱいだ」 出展/TVアニメ「蟲師」

 

オープニング曲の後、すぐに語りが始まる。

 

先祖(ちちはは)の血肉に根を張りし苗よ。青い青い葉を伸ばせ。重い重い実を付けよ。

 

語りの背景には、丸々と実った稲穂が重そうにうなだれている。今作のタイトル「重い実」は、米をさす。わたしが幼い頃、祖母がこう教えてくれた。「一粒の米には八十八人の神さまが宿っている」と。だから米という漢字は八と十と八でできているのだと。「一粒たりとも疎かにしてはいけないよ」と、きちんと最後までご飯を残さず食べるよう言われた。

 

もちろん幼い頃のわたしに、言葉の本当の意味は分からなかったが、それでも言いつけは守って、お米一粒大切に食べてきた。似たような経験のある方も、(あるていど年齢の行った方なら)いるかもしれない。本作を視聴することで、祖母の言葉の理由をきちんと知ることができ、改めて感謝することができるようになった。

 

人の心を動かし、現実の行動に反映させる力がこの作品にはある。その意味で、これは紛れもない文学作品だと思う。しかも大衆文学ではなく、正しく純文学だ。(──話がだいぶそれた)。

 

季節は夏。山あいの田んぼにやってきたギンコは、田んぼにいる農夫に声をかける。田んぼの稲は、夏とは思えないほど貧弱だ。

 

ギンコ「あのー。何か食うもん売ってもらえねぇか?」

 

農夫「この田ぁ見ろ。ひどい冷夏で蓄えするので手いっぱいだ。あきらめな」

 

どうやらギンコは腹が減っているらしい。すると、もう一人の農夫が面白いことを言った。

 

別の農夫「一山向こうの村に行きなよ。あそこだけは今年は豊作だって」

 

最初の農夫は「おい、妙なこと勧めんなよ」とたしなめる。その後に出てきた言葉が尋常じゃない。

 

農夫「やめときなよ、あそこの米は普通じゃねぇ。天災のたびに豊作になる。先祖の呪いなんだとよ」

 

こんな話を訊いて、興味を示さないギンコではない。一山超えた村の田んぼは、さっき立ち寄った田んぼとまったく違っていた。青々とした稲が茂っている。村人たちは、ひそひそ噂し合う。

 

村人「別れ作だ、別れ作だ・・・。また誰かがご先祖さまに取られるぞ」

 

「別れ作」とは──人が亡くなるとき、作物がよく採れることを言うらしい。おそらくだが、村の誰かが亡くなった年の収穫が良かったら、「これまでのお礼に」と故人が豊作にしてくれたのだろう──という言い伝えなんだと思う。

 

だが、この村の「別れ作」は順番が逆だ。まず豊作がきて、その後、村人が一人亡くなるのだ。しかも天災(今回は冷夏)のたびに豊作になるというのだから、異常すぎる。村人は「また誰かがご先祖さまに取られる」と、豊作を喜ぶ反面、別れ作を恐れている。

 

奇跡の豊作の秋、誰かの口に瑞歯が生える

▲出会った少年は、病気の母と二人暮らし 出展/TVアニメ「蟲師」

 

田んぼのあぜ道に、一人の少年が、俯き加減に立っている。そこにギンコがやってきて、「よければ食うもん売ってくれんかと思って」と話しかける。少年は、思いっきり素っ気ない。

 

少年「よそもんにやるものはねぇよ。毎年、十分な米は獲れねぇんだ。蓄えられる時に蓄えとかなゃならねぇ」

 

ギンコ「へぇ、それじゃ今年の豊作は奇跡ってわけか」

 

少年「そうだよ。俺らがしっかりご先祖さまをお祭りしてきたから、土になったご先祖さまが守ってきて下さってるんだ」

 

ギンコ「その代わり、一人連れてく・・・か。ご先祖の所業にしちゃあ、あんまりだよなぁ」

 

少年「・・・仕方がないんだ」

 

ギンコ「ちっとも仕方なさそうじゃねぇがな。ちいと、聞かせてくれんか」

 

ギンコは少年の家に上がり込んだ。少年の家には、床に伏している母親が一人。

 

少年の説明によると、この村の田畑が天災のたびに豊作になるのは昔からのことで、そんな年の秋に誰かの口の中に「瑞歯(みずは)」が生えてくる。その歯は秋の終わりに抜け落ちて、その人は亡くなる、と伝えられている。そしてその命は、豊作をもたらしたご先祖さまへの供え物と言われているのだ。さきほどの村人たちの噂話の通りだ。

 

「瑞歯」とは、年を取り永久歯が抜けた後に生えてくる歯をさす。もちろん、歯には乳歯と永久歯しかないわけで、そんな歯が生えることはないが、「瑞歯」は古代から伝えられているそうだ。たとえば大和物語や源氏物語にも「みずは」が登場する。「みずはぐむ」または「みずはぐみて」という言葉で登場するが、「瑞歯が生えるほど年を取って」という意味だ。

 

本作「重い実」に登場する「瑞歯」は、「大人になってから生えてくる歯」という意味で使われている。

 

少年「でも皆、感謝してきた。この奇跡がなかったら、このやせた土地で俺達は、今まで生き延びてはこられなかっただろうから」

 

ギンコ「命を落とす者に共通する点はあるのか?」

 

少年「・・・弱い者から、と言われている」

 

少年は、もしかしたら病気の母親に瑞歯が生えるのではないか、と心配しているのだ。

 

抜けた瑞歯を管理している「祭主さま」と呼ばれる人物がいるということで、ギンコは少年に連れられ祭主の家を訪ねる。この奇妙な出来事には蟲が関係していると、ギンコは睨んでいるようだ。

 

「あんたなら、どうする? ひとつの命で多くの命を救える実が手の内にあったなら」

▲どうやらギンコは祭主に歓迎されていない 出展/TVアニメ「蟲師」

 

少年に呼ばれて裏の畑からやってきた祭主は、ギンコが「蟲師」と名乗ると目つきを鋭くした。

 

ギンコ「蟲師のギンコと申します。”ナラズの実”というのを探しておるんですが」

 

祭主「さてねぇ。──サネ、おまえまだ畑仕事の途中だろ。終わってからまた来な」

 

少年はサネと言った。祭主は人には聞かれたくない話のようで、サネを遠ざけた。サネが沈んだ表情をしているのに気がつき、懐から芋を出してサネに手渡した。

 

祭主「何だ、まだおっかさんの事、心配か。大丈夫、大丈夫だよ。心配すんな。どら、これ食わしてやりな」

 

祭主は家に入り、一人炉端に座ってお茶を飲む。ギンコにお茶を振る舞う気は、まるでない。祭主の家にはおびただしい書物が壁一面に積み上がっている。農学書や日誌・・・研究熱心な男のようだ。

 

祭主曰く、この村の実りは、先祖への信仰心と、農業技術の研究の賜物だと言う。

 

ギンコ「では、”瑞歯”については」

 

祭主「・・・成人後、歯が生えるなど、稀にある事。実りとは無関係だ。さぁ、もう帰ってくれ」

 

”瑞歯”と聞いて、祭主は明らかに動揺した。そして、ギンコを追い払いにかかった。「もうひとつだけ、聞いていいか」と、なおもギンコは食い下がる。

 

ギンコは、”ナラズの実”について話し出した。

 

ギンコが言う”ナラズの実”とは、光脈を封じ込めたようなもの。光脈とは、光酒(こうき)の流れる筋だ。第1話「緑の座」で登場した、あの光酒だ。つまり”ナラズの実”は、光酒の結晶のようなものなのだろう。それはつまり、第1話で廉子を蟲にしたものに等しい。それをギンコはこう説明した。

 

ギンコ「光脈とは、光酒の流れる筋。それらはいわば”生命”そのもの。操作できれば不死や蘇生・・・いかようにも使い道はある。──無論、それは蟲師最大の禁じ手ではある。が、例外も幾度となく存在してきた。この実もそのひとつ。土に埋めれば周囲に1ねん限りの豊穣をもたらし、代償として恵みを受けた生命体のひとつを奪ってゆく。・・・それが、我々に伝わっている記録」

 

祭主「それで? あんたとしちゃ、その実を見つけ出してどうするつもりなんだ。抹消するのか、活用するのか」

 

ギンコ「俺が聞きたいのもそこでね。──あんたなら、どうする? ひとつの命で、多くの命を救える実が手の内にあったなら──」

 

重い選択だ。じっとギンコを睨むように見ていた祭主は、ふと視線をそらしてこう言った。

 

祭主「使うだろうな。そんな実がすでに実在してしまってるのなら、犠牲を見過ごす事の方が罪だ」

 

ギンコ「だが、確実に一人、死ぬ事を承知で実を埋めたなら、それは人を殺める事と同等だ。たとえそれで助かる命がいくつあろうと死ぬ者は、意と関係なく贄(にえ)にされる」

 

祭主「その程度の罪ならば、誰もが手を染めるだろう。一人失っても二人守れるのならば・・・」

 

祭主は、村の祭りごとを行っている。いわば村長のような役割をもつ者だろう。村長としてこの村を守るため、一人の犠牲で二人守れるのならと・・・。

 

これは、どこかで聞いた話・・・。

 

自分の治める国を災害から守るため、我が子の身体のあちこちを鬼神に捧げた領主──「どろろ」の醍醐景光にそっくりではないか! 贄にされた百鬼丸の苦労を知っている身としては、醍醐景光の行いも、今回の祭主の行いもあってはならないことなのだが──。

 

もちろん祭主も、これが良い行いとは思っていない。だが、それでもそう決断する理由が彼にはあった。

 

祭主「じゃぁ、おまえは使わんと言うのか。使わずに、いられるのか」

 

ギンコ「分からんね。里で生きた覚えがないし。そうなる前に、土地を捨てる」

 

ギンコの言葉を聞き、祭主は感情的に立ち上がった。

 

領主「ここには、この土には先祖の血肉が眠ってんだよ。この土地を開き、ようやくここまでにしてきた。それが、俺らにとって唯一の誇りなんだよ」

 

ギンコ「その土に異形のモノを埋めるのは、土を穢すことにはならんのか?」

 

──先祖が開き、長い年月をかけて耕してきた土地なのだ。先祖代々の墓もあることだろう。おいそれと捨てられるものではないのだ。

 

だからこそ、「その土に異形のモノを埋めるのは、土を穢すことにはならんのか?」というギンコの指摘は、随分痛かったことだろう。祭主は座り込み、笑ってごまかした。

 

祭主「なにを言ってる。もしもの話だ。そんな事は分かっている。そんな実が、もしも本当にあったなら、もっと、慎重に考える──」

 

場面はこれで途切れる。が、祭主が”ナラズの実”を使ったことは明白だ。この祭主も、やはり「どろろ」の醍醐景光と同じなのだろうか? 村を守るため、一人の犠牲を取ったということか・・・。さて、ギンコはどう動くか?

 

20年前の出来事と祭主の覚悟

▲祭主の妻はやせ衰えてゆき・・・ 出展/TVアニメ「蟲師」

 

祭主との話し合いを終え外に出たギンコは、サネに村の皆を集めるよう頼んだ。そこですべてを話し、田を焼くつもりなのだ。そうすれば、誰にも瑞歯が生えることはない。跡を追ってきた祭主は、ギンコとサネの会話を聞き、ギンコを止めた。

 

祭主「──いいのだこれで・・・。みんなに、妙な事を吹き込むなど、許さんぞ──」

 

そこまで言うと額に汗を浮かべ、その場に倒れ込んだ。サネが出した、祭主が「いつも飲んでいる薬」を調べ、ギンコは、祭主が前々から毒を飲んでいたことを知った。

 

その夜、ギンコが祭主の家を訪れると、祭主はすべてを話し始めた。ギンコが田を焼こうとしたことから、”ナラズの実”を利用しようとしているわけではないと分かったからだ。

 

祭主「頼む──。俺は、あの実の最後の犠牲者は、俺にすると決めてたんだ」

 

──その実をどこかから持ち帰ったのは、先々代の祭主だった。それ以降、天災のたび、幾度となく実は用いられたが、混乱を防ぐため、実のことを知るのは代々祭主のみとされてきた。今の祭主の代となり、実を用いるべきかどうか問われる天災が訪れたのが今から20年前だった。

 

20年前。

 

実を使うべきかどうすべきか悩みに悩んだ挙句、祭主は使うことを決意する。このままでは大勢の村人が餓死すると思い──祭主は、実を土に埋めた。

 

その秋、瑞歯を生やしたのは、祭主の妻だった・・・。祭主は村全体のことばかり考えていて、妻が体調を崩していることに気づかなかったのだ。

 

このシーンが冒頭に描かれていたのだ。女がご飯を食べる箸をふと止める。手鏡に口の中を映してみると、上あごに歯が生えていた。冒頭の女は、祭主の妻だった。その後、妻の上あごから瑞歯が抜け落ち、彼女は亡くなった。

 

祭主はその実を捨てようと思った。が、ここで気づいたのだ。「あと一度だけは、誰の犠牲も見ずに実を使える事に」。そして今年、時は来た。祭主は妻から落ちた実を埋めた。

 

贄は弱った者から順に選ばれる。だから祭主は毒を飲み、自分が贄に選ばれるよう仕向けたのだ。大した覚悟だ。「どろろ」の醍醐景光と同じような状況で、祭主は自分を贄にした。その覚悟に、ギンコの心も動いた。

 

ギンコ、蟲師最大の禁を犯す

▲祭主の喉に、ナラズの実を水で流し込む 出展/TVアニメ「蟲師」

 

祭主は、自分が死んだ後のことをサネに頼むつもりだった。”ナラズの実”は、光脈筋に埋めれば消えてしまうので、それがどんな実か言わずに処分するようにと。

 

ギンコ「いいのか、それで。あんたは誰より、ここで生きて、この土地の行く末を見たいはずだろう」

 

祭主「見えるさ。このまま、あきらめなければ、この土地は少しずつ豊かになってゆく。いつか必ず何不自由なく暮らせる日が来るはずだ。それが、何代先の事になるかはわからんが、どのみちこの目では見れんのだしな」

 

葉巻をくわえたまま考え込んだギンコは、意を決し祭主に視線を合わせた。

 

ギンコ「わかった。あんたの望むとおりにすればいい。ただ、もうひとつ答えてほしい問いがある」

 

一旦、二人の会話はここで途切れる。

 

やがて秋になり、田んぼにたわわな米が実った。予想通り豊作だ。

 

一方、祭主はさらに衰弱していた。肩で息をつくと、ばたばたと血を吐いた。ふと、口の中に違和感を覚えて指を差し入れると、上あごに硬いものが触った。

 

秋祭りの夜、見計らったようにギンコがまた村にやってきた。

 

すっかりやつれた祭主が、口の中から瑞歯を抜き、サネに手渡す。と──、そのまま祭主は息を引き取った。泣き崩れるサネの手から、ギンコは瑞歯(ナラズの実)を奪った。

 

ギンコ「これから俺がする事は、一切、他言しないでくれよ」

 

そう言うと、ナラズの実を祭主の口に入れ、水で喉に流し込んだ。

 

前回ギンコが村にやってきたときに言った言葉。「わかった。あんたの望むとおりにすればいい。ただ、もうひとつ答えてほしい問いがある」の後の二人の会話はこうだった。

 

ギンコ「光脈は、生命そのものだと言ったが、そのまま生物に流し込んでも蘇生まではできない。だが、それを可能にしたのが例の実・・・という事になる。──これは、賭けだが。あの実を食えば動物も蘇生する事ができるはずだ。ただ、植物との相違ゆえ、おそらく光脈はあんたの中に宿り続けるだろう。そうなると、それは・・・不死の、生物を越えたモノとなる。あんたはそれを、受け入れられるか?」

 

祭主「それは、あんたらの最大の禁じ手だったんじゃないのか。そんな事をして、許されるのか?」

 

ギンコ「あんたが黙ってりゃバレやしねぇよ。成功するかはわからんし、したところで、あんたにとって幸福なのかもわからん。だが、賭けてみるなら、あんたの傷暴き立てて実の存在を確かめるようなマネした詫びだ。これくらい手を汚してもいい。しっかり考えてくれ」

 

祭主「考えたところで、答えなど決まっている。俺はな、やはり見届けたい。この土地が、この先どうなってゆくのかを。俺がしてきた事が、正しかったのかどうかを──」

 

やがて夜が明け、板戸越しに朝日が差し込んできた頃、ナラズの実を飲んだ司祭は、目を開けた。ギンコの賭けは上手くいったようだ。

 

そして最後の語りで物語は締めくくられる。

 

その里において、その年の豊作は、後々まで語り草になったという。──ともに、奇妙な伝説も生まれた。長く続いた”別れ作”の途絶えたその年、できた米は死んだ男を蘇らせた。その男は不老不死となり諸国を歩き、時折戻ってはその地を潤す新たな農法を伝えてゆくのだという。

 

祭主は自分を贄にすることで村を救った。その覚悟の気高さに触れ、ギンコは蟲師最大の禁を犯した。「これくらい手を汚してもいい」と。

 

以前、「旅をする沼」のラストで書いたが、ギンコは第1話の中途半端に蟲な廉子を完全な蟲にしてしまったことを、軽率だったのではないかと悩み続けている。今回の祭主も、似たような案件だ。身体に光脈を宿してしまった祭主は、不老不死になってしまった。人でありながら、人でないモノになってしまったのだ。

 

もちろんギンコは本人の了解の下に行っているが、また折に触れ自問自答するのだろう。自分の判断は正しかったのだろうか、と。

 

先祖代々の土地を耕すということ。その実りをいただくということ。

▲ときどき村に戻ってきた祭主が農業技術を伝える 出展/TVアニメ「蟲師」

 

サネの村に代々受け継がれてきた田畑は、先祖が耕し、天災のたびに贄を捧げて守り続けられてきた土地なのだ。こうなるともう、ここはただの田んぼではない。この田んぼに植えられた苗は、冒頭の語りが言うように「先祖の血肉に根を張りし苗」と言っていい。実る米は、ただの米ではない。先祖の汗の結晶ともいえる、重い価値をもつ。

 

一粒の米には、八十八人の神さまの他に、先祖代々の長い努力が詰まっている。

 

今日も大切にいただきたい。

 

祭主の覚悟がすがすがしく、それに対するギンコもまた重い決断をする。その解決のしかたが想像をはるかに超えて、しかも無理なく筋が通っていた。美しい物語だと思う。

 

ところで似たような状況にあった「どろろ」の醍醐景光が、その後、思うような結果を得ることができなかったのは、やはり「自分を贄に差し出す」と言えなかったからだろう。対して今作の祭主は、自分を贄にし、しかも不思議な力に頼らなくてもいいようにしっかり農業の研究をしている。比べてみれば、やはり醍醐景光には最初から領主の資格がなかったのだ。

 

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