TVアニメ「蟲師」第5話「旅をする沼」。動物でもない植物でもない、生命の原初に近い存在「蟲」。「蟲」を巡る奇譚を集めた「蟲師」の世界の詳細あらすじと感想・考察を。
第5話/意思を持った沼は、少女を連れて海を目指す!
出展/TVアニメ「蟲師」
第五話
旅をする沼
tabi wo suru numa
「蟲師」第5話では面白い人物が登場する。「化野(あだしの)」という名の医者だ。1話読み切りのオムニバス形式で進められる「蟲師」にあって、唯一ギンコ以外に複数回、登場する人物だ。
化野は海沿いの漁師町に住んでいて、珍しいものを収集する趣味がある。「蟲師」として仕事をこなしたギンコが毎回持ち帰る謝礼の品は、化野に売って換金しているようだ。
▲珍品収集家の化野(あだしの) 出展/TVアニメ「蟲師」
化野はひょうひょうとして、あまり常識にとらわれないところがあるようで、たしかにこんな人ならギンコとうまが合うだろう。今日もまたギンコは化野を訪れ、これまで集めた品を見せている。
化野「静寂を喰う蟲”阿”に寄生された時できる角か。なるほど、こりゃ珍しい。で、そっちは?」
ギンコ「”神の左手を持つ少年”の描いた盃」
化野「なにぃ。あの人物が蟲師嫌いなのは有名だぞ。も少しマシな嘘をつけよ、ギンコ」
こんな具合だ。
ギンコが手にしているのは第1話に登場したしんらが描いた、緑色の盃。もちろん本物だ。「無理に売るつもりはない」「こいつはただの収集家にはもったいない品物でね」と御託を述べると化野は一転して興味を示す。するとギンコは「売ってもいいが、ちょっと協力してほしい」と。・・・どうやらギンコの方が1枚上手だ。
ギンコ「ここへ来る途中、妙なモノに会ってな。それを捕獲したい」
化野「妙なモノ?」
ギンコ「あぁ。聞いたことないか、液状の蟲のその成れの果て”生き沼”だ」
生き沼と緑の髪の少女
▲少女の髪は沼の水で染めたように緑(あお)かった 出展/TVアニメ「蟲師」
ギンコはこの海辺の町に来る途中に経験したことを化野に話し始めた。
ギンコ「その山脈を越える間、よく沼を見た。しかし、迂回をし、後々、山腹から見かえると決まって沼は跡形もなく消えているのだ。そしてまたひとつ山を越えた頃に、次なる沼が姿を現す」
あまりに不思議な現象にギンコは、狐狸(こり)にでも化かされているのかと思っていた。そしてその沼には、いつも髪の長い少女がいた。まるで沼の水で染めたように緑(あお)色の髪の少女だった。
一度はギンコの呼びかけを無視した少女だが、ギンコが先を急ごうとすると今度は少女の方から話しかけてきた。
緑髪の少女「・・・あの。そのまま行くと、何かあるの?」
ギンコ「ん~。じゃぁ俺もちょっと訊きたいんだが、いいかな。この沼、普通の沼じゃないよな?」
少女はギンコの質問に答える。
緑髪の少女「この沼は旅をしているの。何度も地中へ潜ったり浮いたりしながら、あなたと同じようにこの山を越えようとしているみたい」
ギンコ「ほぉ、そりゃすごい。生き沼か。で、あんたも一緒に移動してきてるわけ。何でまた?」
緑髪の少女「・・・」
ギンコ「ま、ともかく。このまま真っ直ぐ行けば海に出る。俺が目指してるのはそこの漁師町。海に出たら、もう沼にはついて行けんなぁ」
この段階ではギンコは沼の正体に気づいていない。意思をもって移動する沼を、ただ珍しがっている。新種の蟲かとあたりをつけ、沼の水を汲んで詳しく調べてみたいと思っている。
一方、緑髪の少女も沼のことを詳しく知っているわけでもなさそうだ。ギンコは、自分は蟲師で、蟲には液状の蟲がいるくらいだから、意思をもつ沼があっても驚かないと言いながら、液状の蟲「水蠱(すいこ)」について詳しく説明して聞かせる。
ギンコ「たとえば”水蠱”ってやつで、液状の蟲なんてのもいるんだが──。無色透明の液体だが、生きている。古い水脈の水に好んで棲み、池や井戸に留まる事もある。水と誤り水蠱を飲み続けると、常に水に触れていないと呼吸ができなくなり、身体が透け始める。それを放っておくと液状化し、流れ出してしまう。そして当の蟲はあるとき、とつぜん消滅している」
緑髪の少女は、黙ってギンコの言葉に耳を傾けている。「そういうあんたこそ、気味悪いと思わなかったのか?」と問われて、抑揚のない声音で答える。
緑髪の少女「──私、は・・・恐ろしいと思ったことはないわ。初めて見た姿が、あまりに力強くて神々しかったから・・・。泳いでいたの。増水して荒れ狂う河の底。私は流れに飲み込まれ、浮き上がることも出来ずにいた。そこへ、緑色の巨大なものが、激流の底を悠然と遡ってきた──。気がつくと、山あいの沼の淵だった。私は気づいた。この沼は今、沼のふりをしているが、あの時の緑のものだ、と。・・・その時には、もうこの色に染まっていたの」
すっかり暗くなった森で、焚火の火に照らされながら緑髪の少女は話し続ける。ギンコは神妙な面持ちで聞いている。
緑髪の少女「多分──もう私は、一度死んでいるのよ。でもこの沼が、生きていていい、と、言ってくれた。だから私にとってこの沼は、唯一の居場所なの」
緑髪の少女が沼と行動を共にしている理由
▲「母親のことは皆で助けていくで・・・」 出展/TVアニメ「蟲師」
少女の長い話を訊いている間、「この娘は河で溺れかけたのだろう」とわたしは考えていた。そんなとき、この緑の水に出会った。そして娘は、「この水に助けられたと信じているのだろう」と。
しかし、事態はそう単純ではなかった。娘の言葉を注意深く聞き返してみると分かるのだが、河で溺れて九死に一生を得たのなら、喜んで家に帰るはずだ。なのに娘は沼に留まった。家に帰らないのは、帰れない事情があるからだ。「この沼が、生きていていい、と言ってくれた」というのは、つまり「生きていてはダメだ」と誰かに言われたということ──。
おそらくギンコはある程度、事情を呑み込んでいたと思う。一人沼の淵に住み、魚を捕って食べる生活に不釣り合いな美しい晴れ着を娘が持っていることが、そのヒントになっていたのだろう。
かつて少女の暮らしていた村を水害が襲った。そして荒れ狂う水神を鎮めるための生贄に、少女が選ばれた。「せめてこれを着ておゆき」と、母が泣きながら着せてくれたのが赤い晴れ着だった。
足首に縄をかけられ、少女は崖の上から増水した河に飛び込んだ──。
だから少女は帰れなかったのだ。せっかく助かったのに、帰る場所がなかったのだ。
余談だが、少女の回想で老人が言う「母親のことは皆で助けていくで、心配するでない」の方言が、信州なまりに聞こえる。山の多い地方ということで、信州を想定しているのかも知れない。
夜半、水音に目を覚ましたギンコは沼の異変に気付く。沼の水が渦を巻いて地中に潜ってゆく。晴れ着を着た少女もそこにいた。
ギンコ「おい、もう行くのか?」
緑髪の少女「いろいろ教えてくれて、ありがとう。私、この沼の一部になるの」
少女は沼に入り、沼は少女ごと地中に潜って消えた。沼の底だった場所に生えている草の色が抜け、すっかり透明になっていた。それをつかみながらギンコは悔しそうに言う。
ギンコ「くそっ。何で気づかなかった。あれは水蠱の成れの果てだったんだ」
「私、この沼の一部になるの」「生きていていい、と言ってくれた」と話した娘の言葉を思い出す。
ギンコ「バカな。それがどういう事かわかってんのか。おまえ、生きていたかったんだろう?」
ギンコに先駆けて、「水蠱」がこの沼の正体だと、少女は気がついていた。「水と誤り水蠱を飲み続けると、常に水に触れていないと呼吸ができなくなり、身体が透け始める。それを放っておくと液状化し、流れ出してしまう」とギンコは言った。
少女は河の底で偶然「水蠱」を飲んだので水の中でも呼吸ができるようになり、その結果助かったのだ。でも帰る場所がないから、このまま「水蠱」を飲み続けて、やがて身体が透けてきて、ついに液状化して沼の一部になってしまおうと考えたのだった。
偶然とはいえ、せっかく助かった命なのに。生きていたいと願っているはずなのに! こうしてギンコのお節介魂が猛然と震え始める! ギンコのこの性格あってこそ「蟲師」という作品は成り立っている。
少女救出作戦の結果は──
▲「引っ張れー!」化野も一緒に網を引く 出展/TVアニメ「蟲師」
ギンコの話を訊いた化野は、この漁師町にも似たような話が残っていると言う。
化野「古い漁師に聞いたことがある。何でも鯨以上もありそうな緑のものが河を下ってきて、海へ入るとまるで分解されるように死んでしまう・・・て事があるそうだ。実際、見たことはないそうだが、まるで死に場所を求めるように海へ来るんだと」
つまり生きる沼(水蠱)は、死ぬための旅をしていたのだ。目標は海だ。早速、化野が少女の救出に動き出す。化野は魚が取れなくて暇をしている漁師たちに声をかけ、幾艘もの舟を出してもらって河口に網を張る。水蠱がやってきたら、一緒に流れてくる少女を網にかけて捕まえようというのだ。
夜。
いきなり真っ黒な河が盛り上がり、漁師たちに押し寄せてきた。水蠱がやってきたのだ。一緒に流れてきた赤い着物の人は、着物だけを残して網の目をすり抜けた。残念ながら少女は、もうかなり液状化してしまっていたようだ。
ギンコ「もう、手遅れだったのか・・・」
その翌日。漁師たちは大漁にわいていた。これまでまるで魚がいなかったのに、今までにないほど魚が捕れるようになったのだ。そんな漁師の網に、奇妙なものがひっかかって上がった。
──それは、ほぼ透明な寒天状の少女だった。
「自分の力で生きていきたい」
▲すっかり黒髪になった「いお」 出展/TVアニメ「蟲師」
寒天状の娘は化野の家に担ぎ込まれた。町は娘の噂でもちきりだった。緑のものの死骸を食べに魚が集まるので、近来稀にみる大漁になっている。これは、あの娘のおかげだと口々に言っているのだ。「ひと目、拝ませとくれ。あの娘は良いものを連れてきてくれた」と、大勢が化野の家に詰めかける。
水蠱の成分が薄まるにつれ、少女の身体は寒天状から白玉状を経て、ついに話せるくらいまで回復した。かつて緑色だった少女の髪は、水蠱の成分が抜けて元の黒髪に戻っている。少女は「自分が沼に溶けていくのが怖かった。海に出て沼が死んでいくのが、すごく悲しかった」と涙を流した。
ギンコ「・・・あれは数万年は生きている。おまえはその最期の旅に同行したわけだ。会えてよかったな」
少女「・・・うん」
こうして娘はこの漁師町に住みついた。名を「いお」という。どうやら今は海女をしているようだ。もう水の中で呼吸はできないけれど、「沼の死んだこの海で、自分の力で生きていきたい」と化野に力強く話せるようになった。
町の者たちもいおを快く受け入れている。恵みを連れてきてくれた有難い人だと大事にしてくれる。沼はいおが生きることを助けてくれた。生まれた村では存在を否定されたけれど、この町では皆が存在を肯定してくれる。海女仲間もできたようだ。
人は受け入れられて初めて、安心して生きることができる。
ジンといおの違い
▲第4話「枕小路」のジン 出展/TVアニメ「蟲師」
これまでの5作品は、じつはすべて原作漫画の第1巻に収載されている。しかし漫画とTVアニメでは順番が違う。漫画では1、「緑の座」 2、「柔らかい角」 3、「枕の小路」 4、「瞼の光」 5、「旅をする沼」となっている。TVアニメでは1、「緑の座」 2、「瞼の光」 3、「柔らかい角」 4、「枕小路」 5、「旅をする沼」の順だ。
第1話「緑の座」では「蟲」とは何かを明確にし、「光酒」が地中深く流れていることを印象づけている。次の「瞼の光」でも「光酒」の流れについて言及している。第3話の「柔らかい角」は聴覚を題材にしていて、視覚を題材にした第2話と対になっているような作品だ。第4話「枕の小路」と第5話「旅をする沼」は登場人物の生死を題材にした作品で、これも対になっている。TVアニメを制作した監督兼シリーズ構成の長濱博史が、丹念に原作を読み込み再構成した結果だろう。よく考えられていると感心する。
ところで「枕の小路」のジンは結局命を落とし、「旅をする沼」のいおは生きることを選択する。その違いは何だろう?
ジンは自分のせいで家族を失い、もう生きる気力を無くしていた。ギンコは彼に「生きろ!」と呼びかけたが、心が回復しなかった。
一方、いおは口では「沼の一部になるの」と、もう人をやめて消えてしまいたいと言うけれど、本当は生きたいと願っていた。生きていいと受け入れてもらえるモノを求めていた。結局、いおは自分を受け入れてもらえる場所を見つけた。だから生きることを選択できたのだ。「死にたい」は「生きたい」の裏返しであることが、往々にある。
ジンを救うことはできなかったけれど、いおは救えて本当に良かった。気持ちさえしっかりしてれば大丈夫。人は何度でも立ち上がれる!
ちなみに「いお」は、漢字で書けば「魚」だろう。魚は古い読み方で「いお」という。水の中で呼吸でき、自由に動き回れる少女という設定から「いお」の名を与えたのだろう。
最後の謎解き。水蠱がところどころ浮上しながら旅した理由
▲「また沼だ! 1、2、3、4・・・」 出展/TVアニメ「蟲師」
明るい日差しの元「自分の力で生きていきたい」と宣言した、いおの言葉で今回の物語は力強く締めくくられる。が──その後、ちょっとしたおまけがついている。いおと共に海へ死ぬための旅をした水蠱だが、ところどころ浮上しながら旅をしていたのはなぜか? その答えをまた旅に出たギンコが目の当たりにする。
かつて水蠱が沼をつくっていた場所に、小さな沼ができていた。振り返ると、見える範囲に4つもの沼が!
ギンコ「浮上しながら進んでたのは、子孫を残すためだったんだな」
なるほど納得。
ただ死ぬために旅をしていたのではなく、子孫を残すための旅だったのだ。鮭のように。さすが数万年生きる蟲だ。したたかで、力強い。いおが河の底で初めて水蠱を見たとき、「力強くて神々しい」と思ったのは、それが子孫を残すために旅する母蟲だったからなのかも知れない。
力強くて温かい、いい物語だった。
pick up/蟲の側へ行くということ
▲「蟲の側へ行くという事は──普通にしぬ事とは違う」 出展/TVアニメ「蟲師」
河口に網を張り、それで少女をすくい上げようとしているとき、化野とギンコが交わす会話がある。そこには、蟲が人に寄生することについてのギンコの想いが語られている。ただちょっと蟲に寄生されて耳が聞こえなくなったとか、そんな軽いものではなくて、人を捨て蟲になるということについて。
化野「なぜ、そうまでして助けたい? 無論、おまえに自責の念もあるんだろうが。娘が何としても生きたいと言っていたのならわかる──。だが、娘はもう沼の一部になる事を望んでいたんだろう? その方が本人にとって幸せって事情もこの世にはある。酷な様だがな」
ギンコ「・・・例の緑の盃だが。あれは元々、くだんの少年の祖母の物でな。蟲でも人でもなくなっていた彼女が、少年の目に映るためには、蟲から授かったと言うあの盃を復元するしかなかった。
・・・だが、本当にそうして良かったのかは分からない。そうすれば決して人には戻れなくなるが、俺は、彼女の希望のもとに・・・蟲にしたんだ。
蟲の側へ行くという事は──普通にしぬ事とは違う。蟲とは、生と死の間に在るモノだ。人をさす”者”のようで”物”でもある。しにながら、生きているようなモノ。それは一度きりの”瞬間の死”より想像を絶する修羅だとは思わんか。
少しずつ人の心は摩滅される。そんな所へ行こうというのに、あいつは最後に見たとき、大事そうに晴れ着を着ていた。それ以上の酷な事情ってのは、そうあるもんじゃないだろう・・・」
ギンコは第1話で廉子(れんず)を蟲にした後も、ずっとこだわっていたのだ。永遠とも思える存在になってしまうことが、もはや人には戻れないことが、どれほど辛いことかを考えると、そう簡単に人を蟲にしてはいけないと自分を戒めていたのだ。
いおが晴れ着を大事そうにしていたのを見てギンコは、いおが言葉とは裏腹に本心では人であり続けたいと願っていると見抜いていた。それなら、どんな事情があるにせよ、蟲になるより人に留まっている方がいいと思ったのだ。
ギンコは決して蟲を否定しないが、人がどう蟲と関わるか、そこには規律があるべきだと思っている。人でいるのが嫌になったからと、そう簡単に蟲に自分を捧げていいものではないと考えている。このギンコの考えは、「蟲師」を観る上で、おさえておくといいと思う。
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