TVアニメ「蟲師」第6話「露を吸う群」。動物でもない植物でもない、生命の原初に近い存在「蟲」。「蟲」を巡る奇譚を集めた「蟲師」の世界の詳細あらすじと感想・考察を。



第6話/ナギが思う幸せと、アコヤのそれは違うから──。

出展/TVアニメ「蟲師」

 

第六話

露を吸う群

tuyu wo suu mure

 

「蟲師」には、さまざまな印象の物語があり、人により好みの作品は違うと思うが──。一番印象深い作品を選べといわれたら、わたしはこの「露を吸う群」を推す。話としては、決して明るいものではない。だが、そこに人のさまざまな想いが凝縮されているようで深く、いつも胸の詰まる思いがする。

 

物語の冒頭は、いつもの土井美加さんの語りから始まる。語りの背景では、ヒルガオのピンク色の花が群れ咲いている。花の向こうには、仲良さげな少年と少女の姿が見える。

 

今日も陽が昇り、また沈む。朝咲く花が、首から落ちる。今日も陽が沈み、また昇る。辺り一面、花が咲く。けれど昨日とは別の花。

 

花が咲いているのに暗い画面や感情を抑制したのっぺりとした語り、「首が落ちる」という言い回しからどこか陰鬱な、胸騒ぎをかきたてるような印象だが、内容はどうということはない。一日花(いちにちばな)の説明だ。たった1日でしぼんでしまう花を「一日花」と言う。よく知られている花でいうと、アサガオやヒルガオがその典型だ。

 

▲ヒルガオの向こうに少年と少女が遊ぶ 出展/TVアニメ「蟲師」

 

ギンコは、「ナギ」という少年の漕ぐ舟でとある島にたどり着いた。周りじゅうを絶壁で囲まれた孤島だ。唯一ある岩の割れ目を通って上陸できるが、その割れ目は潮の満ち干の差がもっとも大きくなる大潮の日、月に1日だけしかくぐれない。これでは漁に出るのもままならない。そのうえ島は岩ばかりで作物がほとんど採れない。貧しい島だ。

 

島には「生き神」と、「生き神」を信仰する信者たちが暮らしていた。ちょうどその日は、信者が生き神を参拝できる特別な日だった。ナギとギンコは参拝の様子をこっそり覗き見る。

 

島の「生き神」信仰とは

▲少女はみるまに老婆に変わってゆく 出展/TVアニメ「蟲師」

 

家の中では、信者たちにかしずかれ、彼らが持ち寄った貢物をもくもく食べている少女がいた。その隣には少女の父親(この家の当主)が座っている。

 

ナギ「彼女の身には毎日、奇跡が起こる。今日はそれを信者の人たちが参拝できる日なんだ」

 

やがて少女は動きを止める。みるみる顔に皺が寄り、髪が真っ白に変わってゆく。老婆になってしまった少女はばたりと倒れ込み、布団に寝かされる。しばらくして、ふぅと息をついて呼吸が止まった。亡くなったのだ。そのとき、ピンク色の粉が鼻の穴から散った。

 

ギンコ「今の見たか?」

 

ナギ「え?」

 

ギンコ「おまえには見えんのか」

 

どうやら老婆はいい香りがするらしく、傍らに座っている当主が周りの者に言う。

 

当主「さぁ、しっかりとその香を吸い込みなされ。心の苦しみも病も取り除いてくださるでしょう。不老不死なる生き神様の御力(みちから)です」

 

この香りを嗅ぐと心身の病を取り除いてくれるとふれている。にわかに信じ難いが、布団を取り囲む信者たちは、有難そうに手を合わせる。

 

ナギ「あとは・・・また元の姿に回復していくんだ。夜明けには、何もなかったように目を覚ます」

 

「あれで病が治るって?」と驚くギンコに、「あんなのでたらめだ!」とナギは毒づく。かつて病気だったナギの母親は、畑の作物をほとんど貢いだのに、結局治らず亡くなってしまったという。

 

この「生き神信仰」を始めたのが現在の当主の一族で、かつて初めてこの島に入った一族の末裔だという。そうこうしているうちに、この島の奇跡を聞きつけた人たちが集まり、「生き神」の出す匂いで病気が治ったという者が出てきて、今の「生き神信仰」になったのだという。

 

「生き神」と新興宗教・・・なんとも怪しい気配だ。

 

「いつか海の向こうに行こうよ。連れてってやるよ」

▲ナギとアコヤは幼なじみ 出展/TVアニメ「蟲師」

 

ナギは「生き神信仰」を信じていなかったが、生き神信仰の当主の娘「アコヤ」とは幼なじみで仲が良かった。ある日アコヤの表情が暗いので、ナギはこう慰めた。

 

ナギ「アコヤ知ってるか? 海の向こうに行けば広くてきれいな土地があって、みんな幸せに暮らしているんだ。いつか行こうよ。連れてってやるよ。だから、そんな顔してるなよ」

 

アコヤ「──うん」

 

そこにアコヤの父親(当主)がやってきて、「大事な用がある」とアコヤを連れて行った。

 

ナギ「あれも、昨日みたいな大潮の日だったのを覚えてる。そしてあれきり、あんな言葉も通じない昨日の事も覚えていられない人でないものになってしまったんだ」

 

つまり現在の「生き神」は、ナギの幼なじみの「アコヤ」だったのだ。先代の「生き神」が亡くなってひと月後のことだったという。

 

この後しばらくしてナギは、「生き神信仰」はじつはデタラメだと知ってしまう。アコヤの父親が不用意に話した言葉を偶然、聞いてしまったのだ。

 

当主「ほぉ、また病が治った者が出たのか。やれやれ、暗示で治ってしまうとは、めでたいものだ。アコヤも出来の良い子供じゃなかったが、孝行できて満足だろう」

 

──ひどい言い草だが。かつて、ほんの半世紀ほど前まで子どもは親の所有物という考えが一般的だった。生かすも殺すも親次第で、子どもに逆らう権利など与えられていなかった。「孝行できて満足だろう」とは、吐き気がするほど嫌な言葉だ。親のために子どもが犠牲になるのは当然と考えているのだ。

 

当然、ナギは激昂したことだろう。直接描かれていないが、当主に食ってかかったようだ。そして「もう戻らない」と啖呵を切って島を出た。それはアコヤを治せる医者を探すためだったが、連れてきたのは医者ではなく蟲師のギンコだったというわけだ。「医者の紹介で」と最初の方で言っているので、もしかしたら化野の紹介かも知れないと睨んでいる。

 

ギンコお手柄。治療法を発見!

▲アコヤの鼻腔の奥に蟲が! 出展/TVアニメ「蟲師」

 

夜、ナギとギンコはアコヤの部屋に侵入する。脈を取ると、アコヤの脈は異常なほど速かった。体温も高い。やがて急激に年を取り、老婆になったアコヤは息を引き取る。その鼻腔をギンコが覗きこむと──そこに蟲がいた。

 

花の形をした蟲の脇から小さな蟲が生まれ、元いた蟲は破裂して死んだ。そのときにピンク色の粉を吹き出すのだ。

 

その蟲を取り除くだけで治療できるとは思えなかったので、ギンコはいろいろ調べてみることにした。ナギによると、アコヤのような症状の者は他にもいて、岬に隔離されている。

 

ナギ「昔からごく稀にそういう人が出る。代々の当主は彼らをたたえて、ここに住まわしてきたんだ。生き神に近づけた信仰篤き者としてね。残された家族は祝福してる。自分達の血筋に、すべての苦しみから解放された者が出た・・・ってね」

 

この下りはどう表現していいやら言葉に窮するのだが──。ナギが言うところの「あんな言葉も通じない昨日の事も覚えていられない人でないもの」に家族がなって喜ぶとは・・・。当主は「不老不死」と言うが、「生き神」が代替わりしているということは、普通に寿命を迎えているということだ。冷静に考えて、どこが「不老不死」なんだか分からない!?

 

信仰というのは、人を盲目にさせる側面があるのは確かだ。心が弱っている人は、どんな頼りない藁にもすがりたい思いで、いる。それを愚かと笑う気持ちには到底なれないが──。しかし、人の弱みに付け込んで私腹を肥やす当主のやり方は許せない。

 

ましてナギは、信者だったのにご利益を得られず母親を亡くし、幼なじみを「あんな言葉も通じない昨日の事も覚えていられない人でないもの」にされてしまっている。ナギの気持ちを思えば、観ているこちらも怒りで身体が震えそうになる。

 

ギンコは「大潮の日」に手掛かりがあるのではないかと思いつく。たしかアコヤが発病したのも「大潮の日」だったとナギは言っていた。

 

ギンコ「大潮の日しか入れない場所とか、どこか思いつくか?」

 

ナギ「──岬の先端の洞(ほら)・・・」

 

二人は洞の近くで、人と同じように老衰で息絶えているネズミを何匹か見つけた。動物も発症していたのだ。ネズミを解剖し、ついにギンコは治療法を見つけ出した。

 

病気を治療したアコヤは、なぜか沈んでいて──

▲正気を取り戻したアコヤを喜ぶナギ 出展/TVアニメ「蟲師」

 

またしてもアコヤの部屋に侵入したギンコは、嫌がるアコヤの眉間に針を打った。飛び出してきたのはコイル状の蟲だった。アコヤの目に光が宿り正気を取り戻した。

 

ナギ「アコヤ、島を出よう。次の大潮まであと3日。当主様に治ってることを隠し通すんだ」

 

アコヤ「でも・・・私、この島が好きよ。父様もきっと、悪かったって言ってくれる。私が逃げれば、他の誰かが生き神になるだけ」

 

かつてアコヤに言ったことを、もう一度ナギは口にした。「島を出よう」と。以前のアコヤは迷いながら、それでも「うん」と言ってくれた。けれど今度は違っていた。島を出たくないと言った。

 

それならもう二度と誰も「生き神」にさせないようにしようとギンコは考え、アコヤに「生き神」になった日のことを訊ねた。その日アコヤは、父親から箱を渡された。中にはピンク色の花が1輪。

 

当主「さぁ、おまえのために採ってきたんだよ。いい香りだろう。吸うてごらん」

 

岬の洞の暗がりに咲く、ヒルガオに似た香りの強い花を嗅ぐことで、蟲がアコヤに寄生したのだった。冒頭に描かれていたヒルガオではなく、岬の洞の暗がりに咲く特別な花。

 

それから大潮までの3日間、アコヤは「生き神」を演じることになった。しかしアコヤの表情は沈んでいる。その様子にギンコが目を留めた。

 

ギンコ「どうした調子が戻らんか」

 

アコヤ「・・・何だか、不安でたまらないの。生き神だった頃は、陽が暮れて、衰え始めて眠りにつく時、いつもとても満たされた気持ちで目を閉じられたのに。今は恐ろしいの。目が覚めてもただ昨日までの現実の続きが待っている。目の前に広がるあてどない膨大な時間に足がすくむ・・・」

 

ギンコ「おまえさん、蟲の時間で生きてたんじゃないかな。あの蟲は、寄生した動物の体内時間を同調させるものだったんだ。あの蟲の生涯は、およそ1日。それを、おまえさんは毎日、味わっていた──」

 

アコヤ自身がまるで一日花のようになっていたのだ。

 

哺乳類は、心臓が一定数打つと一生を終えるそうだ。生物学者の間では、「15億回」が定説となっている。ネズミは脈拍が早く、ゾウはすごくゆっくり打つ。そのためネズミの一生は短く、ゾウの一生は長いのだそうだ。「生き神」だった頃のアコヤは脈が速かった。だからギンコはこう言ったのだ。毎日、一生を味わっていたのだろうと。

 

しかし1日で一生分(15億回)脈打つとなると──1分間に104万回・・・。1秒だと17万回・・・! さすがに、これは無理じゃないだろうか(笑)まぁ、思い切り蛇足だが。

 

アコヤ「そう。それでかな。1日1日、1刻1刻が、息を飲むほど新しくて、何かを考えようとしても追いつかないくらい、いつも心の中がいっぱいだったの」

 

雲が流れ、隙間から陽が射して、足元の花が風に揺れる。花が咲き、萎れていく。渦巻く海、光の粟粒のように降り注ぐ雨、跳ねる雨粒・・・。早回しのようにくるくる変わる情景表現が美しい。「生き神」の見ている世界は、こんなにも美しかったのだ。

 

たしかに──。

 

毎日、見るものすべてが新しいなら、この世界はどんなに美しいだろう! ナギは「生き神」になってしまったアコヤを「あんな言葉も通じない昨日の事も覚えていられない人でないもの」と言い、何とか元にもどしてあげたいと思っている。わたしもアコヤの今の状態は異常で、父親の陰謀で「生き神」などにされたアコヤを不憫に思っていた。アコヤがどう思っているかを理解しようとせず、勝手に不幸と決めつけていた──。

 

既にフラグは立っていた。

 

2転3転、そして大どんでん返し

▲暗闇に咲くヒルガオそっくりな香りの強い花 出展/TVアニメ「蟲師」

 

大潮の夜、ナギに案内され岬の洞に入ったギンコは、暗がりに咲く一面のヒルガオを見つける。辺りには、強い匂いが漂っている。これ以上「生き神」を出させないため、ギンコの言葉を借りれば「この島から蟲の悪用を絶つため」、おそらく蟲の住処となっているだろうこれらの花を処分しに来たのだ。

 

「生き神」のふりを続けていたアコヤだが、その様子がおかしいことに当主は気づいていた。ついにアコヤは父親に、自分がもう「生き神」ではないこと、そしてナギの行く先も告げてしまう。

 

自分の事業を邪魔されてはたまらない。当主は手下を数人連れて岬の洞に向かった。ナギとギンコを洞に見つけた当主は二人に声をかける。

 

当主「ナギ、ここで何をしている?」

 

ナギ「この! よくものうのうと!」

 

ギンコ「よせ、どうする気だよ。ほっとけ。どのみち、奴らは長くはない。蟲を安易に利用し続ければ、ヒトは少しずつ正気を奪われていく。利用した者も、それに巻き込まれた者も──。いずれ、あんたたちは破滅する。蟲を扱うには不相応だったんだよ」

 

いきり立つナギを止め、ギンコは明らかなはったりをかます。──と、「逃げるぞっ!」と、ナギの腕をつかんで走り出した。

 

当主「追え。骸は浮かばんようにやれ」

 

って──。この男、アコヤの父親だし少しは庇ってやりたいのだが、どうしようもなく真っ黒だ──! 手下にギンコたちを追わせ、もう一度アコヤを「生き神」にするため花を摘んで洞の入り口まで戻ると、村人たちが手に手にクワやらスキやら、農具を持って立ちふさがった。

 

洞の場所を知らなかったアコヤが、ナギを助けたい一心で村人にすべて話してしまったのだ。

 

遅れて洞にやってきたアコヤは、入口に血を流して倒れている父親を見つけ、ペタリと膝をついた。

 

アコヤ「私が、ころしたんだ──父様、父様」

 

父親の胸にすがってアコヤは涙を流す。ふと、父親の着物の合わせからあの花が1輪のぞいているのをアコヤは見つける。手にもつと、「さぁ、おまえのために採ってきたんだよ」と花の入った箱をくれたときの父親が浮かぶ。同時に「そんな顔すんなよ」と言うナギも浮かんだ。

 

──アコヤは、かつての父親の言葉に従った。

 

当主「いい香りだろう、吸うてごらん」

 

狭い隙間に隠れていたギンコとナギは、村人たちに助けられてようやく洞の入り口まで戻ってきた。そこで見たのは、アコヤが思い切り花の香りを嗅いでいるところだった──。

 

ナギ「アコヤ! どうして、どうして」

 

アコヤ「ごめん、ね、ナギ。向こうなら、生きて、いけるの」

 

あらら・・・。ナギの願いをよそに、アコヤはまた「生き神」にもどることを選んでしまった。今度は以前より強く寄生しているので、もう蟲を取り出すのは難しい。結局、元のもくあみか・・・。

 

ナギはとうに知っていた

▲仕事の合間に目を上げると、そこにアコヤが笑っている 出展/TVアニメ「蟲師」

 

「もう、いいんだ」。ナギはかすれる声で絞り出した。ナギの腕をするりと抜けると、月の光の中をアコヤはゆっくり歩きだす。

 

ナギ「アコヤが心底、満たされた表情をするのは、生き神でいる時だけだったから──」

 

ナギはとうに知っていたのだ。アコヤの表情がいつも暗いことを。「生き神」になってからのアコヤが幸せそうだったことも──。寄せては返す波音が響き、冒頭とほぼ同じ語りが繰り返される。

 

今日も陽が昇り、また沈む。朝咲く花が、首から落ちる。今日も陽が沈み、また昇る。辺り一面、花が咲く。けれど昨日とは別の花。されど今日もきれいな花。

 

語りはほぼ同じだが、最後が少し違っている。アコヤは「あんな言葉も通じない昨日の事も覚えていられない人でないもの」になってしまった。それはナギにとって悲しいことだ。ナギがアコヤと言葉を交わすことができないし、ナギを覚えていてくれないから──。

 

結局、ナギはアコヤのためではなく自分のためにアコヤを治療したかったのだ。ナギはそれを悟った。

 

もうアコヤと話すことはできないし、ナギを覚えていてもくれない。それでもナギは、アコヤをきれいだと思う気持ちは変わらない。だからナギは、そのままのアコヤを受け入れることにした。

 

岸壁の上を、裸足のアコヤが歩く。ナギが後ろからついて行く。ナギの視線の先で、アコヤは楽しそうに微笑んでいる──。

 

その後ギンコは、1ヵ月かけて岬の病人たちをすべて治療した。しかし、大潮がきてあの洞が開くたび、誰かが「生き神」に戻っていた。どうやら花を処分することはなかったようだ。一度「生き神」を味わってしまうと、「目の前に広がる、あてどない膨大な時間に足がすくむ。恐ろしいの」と言ったアコヤと同じ気持ちになるのだろう。

 

ナギ「俺達も似たようなものだよ。これから何を糧に生きていけばいいか、分からない」

 

ギンコ「普通に生きりゃいいんだよ。魚が獲れりゃ少しは楽になるだろう。いつでも舟を出せるよう、あの洞を皆で削ればいい。容易な事じゃあないだろう。だが、おまえの目の前には、果てしなく膨大な時間が、広がっているんだから

 

ギンコの言葉に従い、島の人々は洞を削ることにした。作業の合間に汗を拭うと、アコヤが楽しそうに草とたわむれているのが見えた。ナギも幸せそうだ。

 

望んだ結末ではなかったけれど、それでも現実を受け入れ、地に足をつけ、未来に向かいしっかり歩き出したナギの決意が胸を打つ。とても美しいエンディングだと思う。

 

pick up/「相手を変えることはとても難しく、良い関係を保ちたいなら自分が変わるしかない」

▲「普通に生きりゃいいんだよ」ギンコの男前発言! 出展/TVアニメ「蟲師」

 

いやもう、この作品は本当に密度がすごい。これでたったの25分。漫画にして23ページ。1シーンごと、1つのセリフごと、すべて無駄を省き凝縮されている。この作品を原作に長編映画1本できるだろうし、長編小説も書ける。確実に!

 

いつも内容が濃いが、今回は特に濃厚だ。

 

ナギの奮闘が、じつは空回りだったと知ったときのナギの落胆は察するに余りある。結局アコヤが「生き神」にもどってしまったとき、わたしもどうしようもなく辛く悲しい想いがした。

 

アコヤは、どこか危ない薬の中毒者のようだ。

 

自分のせいで父親が殺されたと知ったとき、アコヤはつい花の香りを吸って「生き神」に戻った。「生き神」になれば過去をすべて忘れられるから。辛い現実から逃れたいと思ったのかも知れない。ナギに依存するアコヤの生き方を否定する人も多いだろう。が、二人がそれで幸せなら、それは正解なのだと思う。

 

今回の物語は、「幸せの形は人それぞれ」だと教えてくれる。自分勝手な思い込みで相手を変えようとするのは、じつはとても不遜なことなのだと再確認させてくれる。

 

「相手を変えることはとても難しく、良い関係を保ちたいなら自分が変わるしかない」

 

──かつて、子育てプログラムで子どもとのつき合い方の基礎を学んだとき、先生がそう教えてくれたことを思いだした。相手が子供だろうと大人だろうと、人づきあいの基本だと思う。

 

ギンコにとって今回は、労多くして実りの少ない事件だった。ナギの依頼通り、アコヤの病気を治したものの、また元に戻られてしまったわけだから、謝礼も受け取りにくい。

 

だが、膨大な時間を前に何を糧に生きていけばいいのか分からないと戸惑うナギへの返答が男前だった。

 

ギンコ「普通に生きりゃいいんだよ。魚が獲れりゃ少しは楽になるだろう。いつでも舟を出せるよう、あの洞を皆で削ればいい。容易な事じゃあないだろう。だが、おまえの目の前には、果てしなく膨大な時間が、広がっているんだから」

 

長い時間がかかったとしても、いつでも安全に使える港ができ、魚を獲ることができれば島の生活はずっと楽になる。外に出るばかりが幸せになる方法ではない。今いるところをより生きやすい場所にするのも、確実に幸せになる方法だ。

 

島に残ることを選んだナギと、これから「生き神信仰」なしに生きていく島民の将来を祝福して、今回ははなむけのタダ働きだ!

 

ところでこれほど充実した内容なのに、タイトルが弱い。キャッチーにするなら「生き神の島」なんてどうだろう。横溝正史バリのおどろおどろしさが漂うか・・・。一日花をタイトルに絡めるなら「朝に咲く花、夜しぼむ花」とか・・・安直かね?

 

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