TVアニメ「蟲師」第22話「沖つ宮」。動物でもない植物でもない、生命の原初に近い存在「蟲」。「蟲」を巡る奇譚を集めた「蟲師」の世界の詳細あらすじと感想・考察を。



第22話/もしも体だけ蘇ることができるなら、蘇ることを願うか否か? 死生観を問う。

出展/TVアニメ「蟲師」

 

第二十二話

沖つ宮

okitumiya

 

感情を逆撫でされるような気味悪さを味わわせた前回「綿胞子」に続き、今作「沖つ宮」も異形の子が産まれる物語だ。だが、今回は前作のようなホラー感はない。いつも通り、蟲が関わる異常事態が起きるわけだが、それそのものよりは、人間を描く方に軸足が置かれる。純文学的な仕上がりだ。

 

晴れた日の、夜の、嵐の、さまざまな海の情景が豊かに描かれ、いつも通り音響も緻密。珊瑚の産卵を思わせる不思議で美しい光景や、海に引きずり込まれ死闘するギンコなど、見せ場もしっかり配置してある。しかし──今作はやや物足りなさを覚えた。何がそうさせるのか、考えながらみていきたい。

 

「生みなおし」の習慣がある南の島をギンコが訪れる

▲「島の人間は手ごわいなぁ」と、一人佇む 出展/TVアニメ「蟲師」

 

舞台は亜熱帯気候の南の島。白いハイビスカスが咲き、島の者たちは皆よく焼けている。そこに、いかにもよそ者のなまっちろいギンコが船でやってきた。

 

「何者だって?」「さあ、よくわかんないんだけどね、”生みなおし”の事、聞いてきたよ」と、島の女たちは遠巻きにギンコを観ながら噂し合う。「一体どこで聞いたやら」と、迷惑そうな口ぶりだ。

 

ギンコ「はるばる来たってのに、収穫なし、か。島の人間は手ごわいな。ま、ゆっくりやるか」

 

夕暮れの海岸に一人佇むギンコ。どうやら、誰にも相手にしてもらえなかったらしい。陽が落ちると、沖にある双子岩のあたりがぼんやり光っているのが見えた。よく見ようと高いところに登っていくと、女が一人座っていた。

 

ギンコ「あの光は何ですかね? ウミボタルにしちゃ明るいし、漁火にしちゃあんまり小さい」

 

女はちょっと驚いたが、すぐにはぐらかした。

 

「さあ。私にも・・・」

 

ギンコ「へぇ、あんたには見えるのかい?」

 

ギンコ、上手く引っかけた。どうやら双子岩の辺りに現れた光は、蟲由来のもののようだ。女は一瞬怪訝な表情を浮かべたが「あなたは、ああいうものに、お詳しいの?」と、逆に質問してきた。

 

ギンコ「ええまあ。そういう生業で」

 

そう答えると、ちょうどそこに女の娘が呼びにきた。

 

「よかったら、うちへどうぞ。野宿には蛇が多いですし」

 

──おそらく、この島に旅館はないのだ。南の島で蛇と言えばハブ・・・。ギンコ、これは助かった!

 

「ギンコさん、イサナは、まともな子どもに見えましたか?」

▲「ギンコさん、あなた生みなおしの事を聞きにここへ?」 出展/TVアニメ「蟲師」

 

女の家につくと、娘が祖父に報告した。

 

「爺ちゃん、お客さんだよ」

 

祖父「こりゃ珍しい。どちらさんだマナ」

 

そう言うと女がすぐに訂正した。

 

「その子はイサナよ」

 

祖父は眉根を寄せて謝った。「ああ、すまん、澪(みお)」と。女の名は澪(みお)、澪の娘はイサナといった。澪の家は3人住まいだ。澪と、澪の娘のイサナ、そして澪の父親(イサナの祖父)。

 

夕餉の後、ギンコはもう一度海を観に外に出た。虫の音が騒がしく、空には半月が昇っている。──と、後ろから声がした。

 

「あれはもう、現れないと思いますよ。月が出てきましたから」

 

「ああ、そう・・・」と、ギンコは残念そうだ。

 

「ギンコさん。あなた、”生みなおし”の事を聞きにここへ?」

 

ギンコ「何か、ご存知で?」

 

「あの光、いつもあの岩の辺りから現れるんです。あの岩の下には”竜宮”と呼んでいる海淵があります。あそこで命を落とした者は、まったく同じ姿でもう一度、生まれてくるんです」

 

島の者が一様に口が重かったのに、澪は岩を指さしすらすらと教えてくれた。それからやや視線を落とし。こう訊いた。

 

「ギンコさん、イサナは、まともな子どもに見えましたか?」

 

ギンコ「まさか・・・」

 

「あの子は、私の母の”生みなおし”です」

「人がはらめば子になる。そのひと月の間、海に沈めた者の姿にな」

▲澪は、珊瑚色の粒を一つ飲んだ 出展/TVアニメ「蟲師」

 

澪の母親は、不治の病にかかっていた。その母の体を手漕ぎ舟に横たえ、父親は今まさに海に漕ぎ出そうとしていた。澪は必死で父親を止めた。しかし父親は譲らない。

 

「澪、この病になって助かった者はおらんのだぞ。生きてるうちに沈めてやらんと戻れんのだ」

 

舟べりにすがって嫌がる澪の手に、母親は力なく自分の手を重ねた。

 

「許して澪。私は、消えてなくなるのが恐ろしい。またここへ、戻ると思って眠りたいの」

 

こうして澪を振り切り父親は、母親の体を竜宮に沈めたのだ──。

 

「澪、明日だ。ついに望月だ。頼むよ。おまえ母さんにまた会いたくはないのか? わしだって親族だって、皆、会いたいのだ。マナが戻るのを待っているんだ」

 

「マナ」というのは澪の母親の名前だった。イサナは澪の母親の”生みなおし”なので、つい澪の父は「マナ」と呼んでしまうのだった。

 

ついに父親は両手をつき、床に額をすりつけた。「澪、頼む。おまえしかおらんのだ」と。

 

「わかったわ。その子の姿が皆の心をなぐさめるのなら、生んであげる。でも、その子はもう母さんじゃない。マナとは呼ばないと約束して」

 

望月──つまり満月の晩、珊瑚色の真珠のような粒が竜宮の海面に浮いてきた。それを柄杓ですくって瓶に入れ、父親は澪に差し出した。

 

「一粒でいい」

 

「どれでもいいの?」

 

「ああ。人がはらめば子になる。そのひと月の間、海に沈めた者の姿にな」

 

澪は選んだ粒を喉に流し込んだ。

 

「──そうして生まれたのが、イサナです」

 

ギンコ「死んだ夫の子・・・てのはあり得んのか?」

 

「夫が死んだのは、イサナの生まれる二年も前ですから。──私は、あの子が何者か知りたいんです」

 

母親としては当然の感情だ。キリストでもないのに、女一人で妊娠したのだ。娘を可愛いと思う反面、心にブレーキがかかる。この子は普通の子ではないのだと、誰よりもよく知っているから。

 

ギンコ「まだ何とも言えんが、あの子はまともな人間に見えたし、腹を痛めて生んだ子には違いあるまい。ただ、祖母によく似た子どもと思ってりゃ・・・いいんじゃないか」

 

ギンコはこう言ったが、澪の心は晴れなかった。

 

澪とイサナ、それぞれの考え

▲「そんなのなら、たくさんいるよ。あ、あの子もそうよ」 出展/TVアニメ「蟲師」

 

翌日も島はいい天気だった。遠くに入道雲がわいている。海沿いの一本道を歩きながら、イサナはあっけらかんとこう言った。

 

イサナ「うん、そうよ。私はばあちゃんの生みなおしなんだって。そんなのなら、たくさんいるよ。あ、あの子もそうよ。六つくらいの時、蛇にかまれて死にかけて、生みなおされたの。向こうの女の人もそう。お嫁に行ってすぐの頃、鱶(ふか)にやられて生みなおされて。旦那さんは十何年も待って、また祝言挙げたんだって。みんな、生みなおされて、幸せに暮らしてるのよ」

 

ギンコ「おまえさんも、幸せか」

 

イサナ「マナって呼ばれると、少し困る。でも別に気にしない。母さんは、そう呼んだりしないし。だから母さんのところに生まれて幸せ。この海も島もみんな好き」

 

思い悩んでいる澪に比べ、イサナはさっぱりしている。自分と同じような境遇の人が他にもたくさんいるから、自分が特別だと思っていないようだった。もちろん祖父と結婚するわけにもいかないので、「マナ」と呼ばれると抵抗はあるようだが。

 

「だから母さんのところに生まれて幸せ。この海も島もみんな好き」と、笑えるイサナは心が強い。

 

空を茜に染める夕焼けを見ながらギンコは思う。

 

失った、愛しい者を取り戻せる島。望めば永久に別れずにすむ島。ならばここは、まさしく楽土だ。

 

しかし、澪の悩みは深かった。

 

「よく似た子ども・・・と、赤子の頃はそうも思えました。私は母の子供の頃の姿を知らないのですから。でも成長するにつれ──少しずつ顔は変わり、正確や、細かな癖も、何もかもが私の知っている母の姿に近づいてゆく。母とは別れたはずなのに、同じ姿で私を母と呼ぶんです。自分が生んで育てた娘が、自分の娘と思えない──」

 

完全に混乱している様子だ。澪の混乱は理解できる。自分が産んでしまった者の正体を探り、できれば心の底から愛したいと願っているのにできないもどかしさ。

 

面白いと思うのは、「生まれ変わり」はテーマとしてよくあるが、今回は「生みなおし」だということ。「生まれ変わり」は本人に過去生の記憶があり、まったく違った身体になっているのに過去の延長線上を生きる苦悩に焦点があてられる。(最近の異世界モノも生まれ変わりの一つで、苦悩ではなく、現代人のチートな知識で楽しく暮らすことが多いようだが──)。

 

対して今作では、生みなおしによって生まれた本人ではなく、その母親がその子をどう受けとめればいいかに焦点があてられている。

 

満月の夜。ギンコは例の双子岩の辺りに舟を止め、珊瑚色の粒が浮いて来る産卵のときを待った。やがて、竜宮と呼ばれている深い海の底から珊瑚色の粒が浮いてきた。その数はおびただしい。

 

▲珊瑚色の粒を顕微鏡で調べる 出展/TVアニメ「蟲師」

 

ギンコはそれを採取して澪の家に帰り、翌日の昼に顕微鏡で覗きこんだ。「ん・・・」と、かすかにギンコは唸る。夜になり、その結果を澪に話した。

 

ギンコ「あの粒、やはり何らかの蟲がつくりだしているように思う。確証はないが、こう考えるとつじつまは合う。あの粒の中にあったのは、様々な生物の胚。いちばん大元の形のものだ。それを取り込んだ者が海へ流した者と同じ姿の者を宿すという事は、”その蟲”は、生物を胚の状態に戻す作用をもたらすモノ・・・と、考えられる」

 

「それは・・・つまり」

 

ギンコ「あの子は、身体的にはあんたの母と同一人物だ。この先、ますます近づいてゆく」

 

澪の表情は、貼りついたように動かない。チラリとその様子をうかがったギンコは、海に視線を投げて続けた。

 

ギンコ「だが、あの子はあんたに生み育てられた。だからあの子は、あんたの母にはなれはしない。あの子にとって、あんたはひたすら母なんだ」

 

澪の脳裏にイサナの笑顔が映った。

 

「そう・・・ね。私が、しっかりしてやらなきゃ」

 

ギンコにより、イサナのことが少し分かった。生みなおしで生まれた子は、そこに沈めた者と同一人物だった。つまり、イサナは母のマナと同一人物なのだ。とはいえ、イサナにマナの記憶はない。しかもまだ──おそらく12歳かそこらだ。母親の、澪の手が必要な年齢だ。

 

夜が明けて、ギンコが海岸に一人立っていると、イサナが呼んだ。二人は、随分、仲良さそうだ。

 

ギンコ「明日、船が出せそうならたとうと思う。これ以上、首突っ込むと、この島をほっといていいか、分からなくなる。おまえらの幸せを奪う権利なんて、ないのにな」

 

イサナはちょっと考えてから「ありがとギンコ」と言った。

 

イサナ「私もねぇ、母さんが死んじゃいそうになったら、母さんを生んであげるんだ。母さんがいなくなるなんて、考えられないもの」

 

イサナの後ろをギンコは黙って歩く。風が強くなってきた。

 

既にいろいろ思うところはあるのだが・・・

▲澪の娘・イサナ 出展/TVアニメ「蟲師」

 

今は「結婚」という言い方がポピュラーだが、かつて女性は「嫁入り」するものだった。生まれ育った家を離れ、男性の家に入るのだ。そして、その家の跡取りを産む。

 

とある地方では、嫁はまず先祖の墓に参り、先祖に認められて初めて子を成すことができるとされてきた。場合によっては、先祖の誰かがその嫁の子として生まれると信じられている。

 

おそらく本作の「生みなおし」は、この風習から着想されているのではないかと思う。この考えは、その家の縁者には嬉しいことだろう。嫁から生まれた赤子をみながら、これは爺さんだとか、先代の婆さんだとかワイワイ言うのも一興だ。

 

──しかし、嫁の立場からすればどうだろう。疎外感を強く感じないだろうか? 自分のお腹を痛めて生んだ子すら、自分の身内でないような、そんな気になりはしないだろうか? 家制度が堅固だった頃の風習は、だいたいにおいて家主体で作られている。嫁の立場は配慮されない。その陰で、どれだけの嫁が嫌な思いをかみつぶしてきたか・・・。

 

そんな現実からすれば、本作の「生みなおし」は随分明るい。母親と同じ個体を産んでしまった澪が、どうやって娘を受け入れればいいのか戸惑っている、それだけだ。もちろん、現実の嫁のやり場のない気持ちなど、アニメにしても重いだけだが・・・。

 

もう一つ。果たしてこの島はギンコが言うような「楽土」なんだろうか?

 

蛇に噛まれた子を、生きている内に海に沈めるのは人道的にどうなんだ、とか。鱶にやられた嫁を海に沈めて次に生まれてきた子を嫁にもらうってのも・・・まぁ、旦那の方はいいかも知れないが、まったく過去の記憶を持たない10代の娘が、これがあなたの旦那ですと言われて、20歳近くも年上の男と結婚するだろうか?

 

本人の気持ちが著しく無視されているように思えてならないのだが・・・。

 

まぁ──、それで本人がいいと言うのなら、他人がとやかく口出しするようなものではないが。

 

ギンコは生みなおしを望むか──?

▲黒い触手に絡まれ海の底に引きずり込まれる 出展/TVアニメ「蟲師」

 

翌日は、残念ながら嵐だった。「台風かもしれん」と、澪の父は言う。

 

その夜半、波の荒くなった海岸に澪は纜(ともづな)の外れた舟があるのを見つけた。このままでは流されてしまう。澪は不用意に舟に近づき、沖に流された。

 

澪がいないことに気づいた村人は雨の中を捜しまわり、ついに例の双子岩の側、ぼうっと光っているあたりに小舟が浮いているのを見つけた。

 

「あれだ!」ギンコが言うのと同時にイサナが動いた。他の舟を押し、単独、助けに行くつもりだ。

 

祖父「待てイサナ、あの光にゃ近づくな。喰われっぞ!」

 

その舟にギンコが手をかけた。イサナを止めるのではなく、一緒に行くためだ。さすがギンコ。今回も事件の真っただ中に体当たりだ。

 

澪の舟に近づくと、海に浸かった腕から蛍のような光をのせた黒い触手が這い登っていた。

 

「イサナ! 来ないで。お願・・・」

 

そう言うや、澪は海に引きずり込まれた。「待て!」。ギンコが言うより早く、銛(もり)をつかんだイサナが海に飛び込む。相変わらず行動が素早い。

 

黒い触手は、澪を竜宮の底に引きずり込もうとしている。イサナは狙いを定め、触手の真ん中に銛を打ち込んだ。触手がひるんだ隙に、二人は浮き上がり、ギンコのいる舟にたどり着く。まず澪を舟に上げる。

 

ギンコ「大丈夫だったか。イサナ、おまえは?」

 

イサナ「大丈夫・・・」

 

そう言ったイサナの後ろに触手が迫っていた。「上がれ! 早く!」急いでイサナを引き上げようとしたギンコは、手をつないだイサナもろとも、海に転落した。

 

揺らめく触手にからめとられ、ギンコとイサナは海の底に沈んでゆく・・・。

 

ギンコ(くそ。これは、とても敵わねぇ・・・。このまま、コイツに喰われれば、俺も胚にまで戻してくれるんだろうか。すべてが始まる、その前まで。・・・ああ、そりゃあ、たいそう悪い冗談だ)

 

心臓の音だけが聞こえる海の中。ギンコがもうダメかと思ったとき、するすると二人を捕えていた触手が海の底に姿を消した──。

 

ようやく舟にたどりつき、見上げた空に月が輝いていた。──そう、この光は月がのぼれば出ないと、最初の頃に澪が言っていた。

 

生き物の生きた時間を喰う蟲

▲島を離れる日がきた 出展/TVアニメ「蟲師」

 

嵐が去り、ようやくギンコはこの島を離れることになった。海に向かう道を歩きながら言う。

 

ギンコ「あの蟲のことは、ごく一部がわかったにすぎんが──。発光して生物をおびきよせて捕え、大元の姿にまで戻して排出する。そういうモノなんだろう。生き物の生きた時間を喰う蟲・・・と、言えるかもしれんな」

 

後ろを歩いている澪とイサナは黙ってそれを聞いている。やがて、沖に双子岩が見えてきた。

 

ギンコ「何にせよ。あれの事をあんたらはよく知っている。折り合いがつかねえところも、時間をかけりゃいずれ馴染んでいけるだろう」

 

「えぇ」。イサナの肩に手を置き、澪が小さく返事した。

 

ギンコ「しかしイサナ。おまえ、あの時、何も考えずに飛び込んだろ。肝つぶしたぜ、ほんと」

 

イサナ「あはは、ごめんね」

 

ギンコ「・・・あのまま母さん喰われたとしても、生みなおせばまた会えたのによ?」

 

確かにイサナは以前「母さんが死んじゃいそうになったら、母さんを生んであげるんだ。母さんがいなくなるなんて、考えられないもの」と、言っていた。しかし、今度のイサナは少し違った答え方をした。

 

イサナ「ん・・・でも。そうしたら、母さんの生きた時間は食べられてしまうんだよね? そんなの寂しい。生きた時間を誰かにあげるくらいなら、母さんのまま死んでしまう方が、まだいい」

 

澪はイサナの頭に手を載せて、髪をくしゃりとつかんだ。

 

「母さんと、おんなじだ。さすがあんたは、あたしの子だ──」

 

晴れやかな声だった。

 

締めくくりの語りの解釈

▲母娘に見送られ島を離れるギンコ 出展/TVアニメ「蟲師」

 

終盤のイサナの言葉、

 

イサナ「ん・・・でも。そうしたら、母さんの生きた時間は食べられてしまうんだよね? そんなの寂しい。生きた時間を誰かにあげるくらいなら、母さんのまま死んでしまう方が、まだいい」

 

これが本作の肝だ。

 

しかしこの言葉、視聴者はどう受け取ったろう? わたしには、作品をまとめるためのゴリ押し言葉に聞こえた。どうしてイサナが母親の死を語るのだろう? そこがひどく不自然に思えた。

 

もともとイサナは「私もねぇ、母さんが死んじゃいそうになったら、母さんを生んであげるんだ。母さんがいなくなるなんて、考えられないもの」と言っていた。その後、澪が海の底に引きずりこまれそうになり、自分もしにかけた経験を経て考えを変えたのだ。

 

もし澪を生みなおしたら、生まれてきた子は母の記憶をもっていない。命をかけて助け助けられた、澪とイサナの記憶をもった相手ではない。この強い絆の記憶を共有できる澪だけが、イサナにとってかけがえのない存在なのだと気づいたのだろう。

 

だとすれば、少し言葉を変えて、こんな台詞ならどうだろう。

 

ギンコ「・・・あのまま母さん喰われたとしても、生みなおせばまた会えたのによ?」

 

イサナ「ん・・・でも。そうしたら、母さんの生きた時間は食べられてしまうんだよね? 毎日一緒にご飯食べたことも、布団を並べて眠ったことも、昨日の双子岩でのことも、みんな忘れてしまうんだよね? 私そんなの寂しい。私と母さんの時間を誰かに取られるくらいなら、母さんのまま死んでしまう方が、まだいい」

 

イサナはまだ子供だ。自分中心の考え方しかできなくて当然。「自分の事を忘れてしまった母さんならいらない!」と、言っているわけだが、これくらいの方が分かりやすいと思う。

 

続く澪の言葉「母さんと、おんなじだ。さすがあんたは、あたしの子だ──」も、やたら生っぽく感じてしまった。分かりやすくはあるのだが、もう少し控えめな演出の方が好ましい。

 

澪がイサナの髪をくしゃりとなで「母さんもだよ」と言って抱きしめる。これくらいでいいように思う。

 

最後は締めの語りだ。

 

その島で、生みなおしはこの先も、通常的に行われ続ける事だろう。死にゆく者の慰めに、残される者の空洞の埋め合わせに。それを望まずに死にゆく事は、得難く幸福な事かもしれないから。

 

そう。生みなおしは、死にゆく者と残される者のためにある。実際に生みなおしをする者と、生みなおされた者のためではない。

 

ラストの一文は難解だ。

 

生まれ変わる必要はないと言える人は、それほど充実した人生だったということだ。心残りはないと。そんなことは滅多にないから、だから生みなおしの習慣は続けられるだろう──と、いうことだろうか。解釈が少し違うかもしれないが・・・。

 

澪とイサナは、生みなおし否定派になった。体が蘇っても、頭の中身が蘇らなければ意味がない。積み重ねた時間こそが大切なのだと悟ったからだ。澪とイサナの物語を締めくくる文章として、ラストの一文は・・・その事に気づけた二人は得難い幸福を手にした──という解釈でいいのだろうか。

 

どんな過去であれ自分の積み重ねてきた時間は自分だけのもので、蟲にくれてやる気はないと、少なくともギンコはそう思ったようだ。もちろん人によりどちらが幸福と思うか分からないが──こういう気分がラストの一文の末尾「かもしれない」という曖昧な表現に繋がっているとも受け取れる。

 

最初に書いたが、わたしはこの作品を物足りないと感じた。珊瑚の産卵を思わせる美しい映像や、ギンコたち3人が交互に蟲の触手に絡まれ溺れそうになる迫力あるシーン。南の不思議な島でのエピソードとして設定は十分魅力的なのだが、澪の内面的な戸惑いという小さな問題なのがひとつと、問題解決のイサナのセリフが不明瞭なこと、続く澪のセりフが生っぽいこと、ラストの一文が難解なこと。

 

この辺りが原因だったように思う。──まぁ、「おまえ、読めてねぇなぁ!」って言われるかもしれないが。

 

pic up/沖ノ島と沖津宮

▲舞台の島は、どう見ても沖ノ島 出展/TVアニメ「蟲師」

 

九州の日本海側、九州本土から約60km離れた玄界灘の真っただ中に沖ノ島がある。沖ノ島は2017年「神宿る島」としてユネスコ世界遺産登録されている。島全体が宗像大社沖津宮のご神体であり、現在でも女人禁制の島だ。

 

古来より日本と朝鮮半島、大陸を結ぶ海路の要所に位置し、航海の安全、国家の安泰を祈り、大和政権によって国家的な祭祀が行われた。落ち葉を払えば土器が見つかると言われるほど膨大な出土品があり、海の正倉院とも呼ばれている。

 

宗像大社沖津宮(むなかたたいしゃおきつぐう)は沖ノ島にあり、「田心姫神(タキリビメ)」を祀る。本作「沖つ宮」は、この神社名を借りたのだろう。

 

澪たちの住む南国の島が楽土であり、よそ者が関わるべきでない神聖な場所というイメージを持たせたのだろうと思う。いつかぜひ訪れてみたい場所だ。女人禁制だから、無理なのだが・・・。

 

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