TVアニメ「蟲師」第23話「錆の鳴く聲(さびのなくこえ)」。動物でもない植物でもない、生命の原初に近い存在「蟲」。「蟲」を巡る奇譚を集めた「蟲師」の世界の詳細あらすじと感想・考察を。
第23話/しげの健気さ、テツの優しさ、そしてギンコのまっとうな大人らしさ。それぞれが紡ぐ良質な物語。
出展/TVアニメ「蟲師」
第二十三話
錆の鳴く聲
sabi no naku koe
海風を背に受ける峠道。ギシリと雪を踏んだとき、遠くから何か聞こえたように思えて、ギンコは顔を上げる。「空耳?」と呟いて歩き出すとまた・・・。今度はさっきよりハッキリと。
それは、どこかゴジラにも似た・・・もとい、聞きなれぬ物悲しい音だった。ギンコは音の方角に歩き出す。近づくにつれ、それは人の声だと分かってきた。
ふと、傍らの木の幹に赤茶色い錆が浮いているのに気づく。そのあたり一帯、木にも、雪にも、同じようにおびただしい錆がついていた。木や雪に錆がつくなど妙な話だ。不審に思っていると、声が止んだ。
とくに錆が多く付着している雪の割れ目から女が出てきて、ギンコと目が合うとそそくさ雪道を走って消えた。遠くに町が見えた。
錆湧く町の、しげとテツ
▲ペコリとお辞儀してしげは逃げ去る 出展/TVアニメ「蟲師」
町の至る所に錆がついていた。家の戸にも柱にも壁にも。雪にも、人の肌にすら。
障子の格子が縦繁格子で、軒先から干し柿が下がっているので、和歌山県のかつらぎ町あたり・・・を、想定して描かれているのだろうか。鄙びた、いい雰囲気の町だ。
ギンコは町の名士を訪れた。町の皆から「旦那様」と呼ばれるこの男が今回の依頼主だ。
ギンコ「では、この町の病は一体いつから?」
旦那様「もう、十四年前になります。皆、見た目は変わりないのですが、皮膚のあちこちがおそろしく固くなり、手足を自由に動かせなくなるのです。もっともひどい者は、私の昔からの友人なのですが、起き上がる事も・・・」
ギンコ「その患者は、どこに?」
旦那様「西のはずれの家の夫婦です。町の者は皆、彼らの娘が病の原因と言っております」
名士だけあり、男の家は豪華だった。金色の皿を飾った違い棚のある床の間には軸が掛けられ、生け花があしらわれている。しかし壁にも、障子にも、枯山水風の絵が描かれた襖にも、そして当主自身の顔や手にも錆がついている。
面白いのはこの男、床の間を背に座っている。つまり上座に座っていて、ギンコは下の座だ。当時は客でも、相手を見て下座に座らせることもあったのだろう。
旦那様「その娘、しげ、と申しますが。その娘が生まれて以来、周りの者が次々と病になったと。たしかにそれは事実なのですが、十四年間、手を尽くしましたが、原因はつかめず、娘は口を閉ざし、皆、疑念ばかり抱いておるのです」
ギンコが旦那様に話を訊いているちょうどその頃、しげはそのお屋敷の勝手口を訪れていた。しげというのは、雪の峠道で見かけた、あの女だった。
女中「ほらよ、今月の分。まったく旦那様も、親夫婦と友人だからって、こんな子にお情けかけんなら、私らのお給金上げてほしいやね」
女中はしげに袋を手渡した。それをしげは胸に抱き、深々とお辞儀した。しかしその袋には大穴が開いていた。ばらばらと雪の上に豆がこぼれる。
女中「あれま、ひどい穴だね。悪いけど、替えはないんだよ」
どうやらわざとだ。女中はひどく意地が悪い。側で荷車を押していた若者が観ていて、「これ使えよ」と自分の手ぬぐいをさし出した。この男はテツといって、旦那様の家の使用人をしている。
テツは、散らばった豆を拾いながら一人で喋り出す。
テツ「いつも、いつも。飽きねぇな、この町の者は。おまえも一言、言ってやりゃいいのに。あんな噂、嘘だろ? たとえ本当でも、家族や友達を望んで病にしちまったわけじゃねえだろに。俺の村もさ、二年前の嵐で、家族も友だちも半分になっちまって。だから親父の代わりにここでずっと稼ごうって決めたんだ。おまえも、こうするしかないって、決めたんだろ? よくやってると思う」
テツの言葉にしげは、思わず泣きそうになるのをこらえて口を押さえ立ち上がり、ペコリと頭を下げて門から出ていった。
しげの声の秘密
▲皆が体の不自由を感じ始めた四つになる頃、しげは気づいた 出展/TVアニメ「蟲師」
しげの家は外も中もさびだらけだった。父親と母親は布団に横になったまま、「お・・・かえり」「ごくろ・・・さん」と言った。口も上手く動かせないのか、言葉がたどたどしい。
そこにギンコがやってきた。外で豆を洗っていたしげは、ギンコの姿を見ると、あわてて家の中に逃げ込んだ。
ギンコ「おまえには、この錆が見えているんだろう? 俺はギンコという。病を治しに呼ばれただけだ。おまえを吊るし上げたりはしない。この病は治せる。話を聞かせてくれ」
ギンコは強い蟲散らしを狭い部屋にいくつも炊いた。部屋の中は煙で白くかすんでいる。
ギンコ「もう、いいだろう。この中でなら、声を出しても大丈夫だ。俺も錆びたくはないんでね」
しげは、ごほごほと咳き込み、おそるおそる話し始めた。
しげ「あなた・・・にも、錆が、見えるの?」
ギンコ「ああ」
しげ「この声は・・・おそろしい声なんだ。だから、潰しちまおうと思って・・・。あの洞で、こんな声になるまで叫んできたんだ。でも、どんなに声が変わっても、やっぱり私の声で錆は湧くんだ」
それは──。「小柄な体に似つかわしくない、太くかすれた。けれど、甘く、渋みのある残響を持つ。不可思議な響きの声だった」と、ギンコは語る。この声を、実際にどう表現するか、ここは制作スタッフも声優もかなり頭を悩ませたところだろう。
しげの声を担当する声優は、五十嵐浩子さん。通常はクリアな声の主だが、本作でのしげの声は・・・大声を出し過ぎて掠れてしまったようなガサガサした、それでいて残響に元々のクリアな声が少しのぞく、そんな声だ。地声を潰してこんな声をつくりだしたのか、機械的な編集で創り出した声なのか。個人的には、もう少し常人離れした声にしても良かったかなぁと、思わなくもなかったが。
最初に書いたように、まるでゴジラのような──ゴジラは、コントラバスの軋んだ奏法を逆再生して創られたという説が一般的だ。(本当のところは、いまだ企業秘密だそうだ)。そんな、人由来ではない音を多重に組み込んでも面白かったかなぁと、思った。
しげの声は、生まれたときから錆を呼んだ。
しげ「私が声を出すと、周りの人や物に錆が湧く。私には、それは当たり前の事だった。とくに疑問も持たず、好きだった唄を皆に聞かせたりしていた」
しかし、やがてその錆が見えるのは自分だけだと知る。つまりこの錆は蟲、もしくは蟲由来の何かということだ。
しげ「けれど、皆にそれは見えておらず、良くない事だと気づいたのは、皆が体の不自由を感じ始めた四つになる時だった」
4歳のしげは、そのことを両親に話した。両親は既にかなり身体じゅうに錆がついていて、働くことができなかった。
父「しげ、その事は決して誰にも言っちゃいけないよ。言えば、ここにはいられなくなる。俺らはもう・・・働く事ができん。今、やっていけてるのは、お屋敷の旦那様の情けのおかげなんだ。生きよう。今はここで、皆を欺いて情けにすがって。いつかきっとお返しできる日が来るその日まで、声を出しちゃいけないよ、しげ」
しげは父親の言いつけを守り、ずっと口を閉ざしてきた。働けない両親のため、どんなに女中が意地悪くても、お屋敷の旦那様がくれる食糧を頼りに生きてきたのだ。
しげ、ギンコの言葉に希望を見出す
▲「こいつは、錆じゃあない」 出展/TVアニメ「蟲師」
頬杖をつきながら、ギンコはしげの話を訊いていた。
しげ「皆に憎まれるのは当然だ。私は三人で生き延びる方を選んだんだから」
ギンコ「成る程。聞けば聞くほど奇異なる声だ。何だってこんな声が出せるんだか・・・。およそ人には出す事のできない層の音が混じっている」
ギンコは、採取しておいた錆の入った瓶を取り出した。
ギンコ「こいつは、錆じゃあない。”野錆(やさび)”という名の蟲で、生きている。野錆は普通、生き物の死骸に取りついて分解する害のないモノだが、その時、ある音を出す。おまえの声は、この音を何百倍にも大きくしたようなものだ。そのためにエサがあると判断した山中の野錆が集まって来る。が、食うもんがない。それで生きてるもんにまで付いちまったんだろう」
そこでギンコはしっかりしげに視線を合わせて言った。「となれば、散らせばいい」。口元が少しほころんでいる。
ギンコ「その上で、おまえの声を取り戻す方法もあるはずだ」
つまりギンコの見立てでは、集まった野錆を散らせば町の皆の体の不調はなくなる。ギンコの言い方からすると、これは簡単なことのようだ。ギンコの言葉にしげは「そんな事が・・・」と、驚きを隠せない。さらに、「おまえの声を取り戻す方法もあるはずだ」とは、つまり、しげが普通に話しても野錆を集めなくて済む方法を探そうと言ってくれているわけだ。
しげは、生まれつき人と違ったところがあるだけの普通の娘だ。歌がうまいとか、運動が苦手だとか、人見知りだとか、そういう個性と同じように、ちょっと人と違う声を持っているだけだ。それでこんなに辛い思いをしなければいけないのは、なんとも可哀想だ。ギンコにはゼヒ頑張ってほしい!
野錆をあちこち調査していたギンコは、村を見おろす高台に、テツがいるのを見つけて声をかけた。
ギンコ「よう、何してんだ、こんな寒い所で」
テツ「別に」
テツには一つも野錆がついていない。どうやらテツはまだこの町に来て2年と浅い。そのせいかとギンコは納得する。テツが去った後、山の向こうを眺めると海が見えていた。海の方角から雪を巻き上げ突風が吹いてきて、町に吹き降ろした。たしか冒頭でここを通ったときも、こんな風が吹いた。
「もしや・・・」ギンコは何か閃いた。町に戻り、あちこちの野錆を調べて「やはりな」と、一人得心する。
「この病にかかわった者は、皆同じに苦しんだんです」
▲「読んでやるよ」と女中が手紙を取り上げた 出展/TVアニメ「蟲師」
ギンコはまた、しげの家で蟲散らしの薬草を焚き説明した。
ギンコ「蟲を払うのに、おまえの声を利用する。ただ、その後安全に過ごすには、この町を出なけりゃならない」
しげ「わかった。病は治せるんだね。何でもやる。ただ・・・ひとつだけ頼みが。字、教えてほしいんだ」
しげはこの町を出る前に、いつも親切にしてくれるテツにお礼が言いたかったのだ。それで、ギンコに字を習い、テツに手紙を書いて、いつか豆の袋を直すのに貸してくれたテツの手拭いと一緒に手渡した。
しかし困ったことに、テツは字が読めなかった。お屋敷の台所脇で手紙を見ながらテツが悩んでいるところを、例の意地悪女中が見つけて、ひょいと取り上げ読みだした。
女中「”ハナスト オマエモ ヤマイニナル イママデ ゴメン アリガトウ”──テツ! こりゃ誰が書いたんだ。しげか!?」
女中は「こいつを旦那様に」と、手紙を持って奥に行こうとする。「よせ!」とテツは女中の手を引く。女中は土間にひっくり返り、テツはその手から手紙を取り上げ竈(かまど)の火に投げ入れた。
「お世話になりました」。そう言うや、テツはお屋敷を飛び出した。
女中「追うこたないよ! 早くかまどさらっとくれ。しげの奴、もう知らんじゃ通させないよ」
女中はひどい剣幕だ。その騒動を、ギンコが物陰から観ていた。お屋敷を飛び出したテツはしげの家にかけこみ、一部始終を話した。しげの母親は「どこかへ逃げな! 今に皆が来る。何されっかわかんないよ」と、しげをせっつく。
ギンコ「しげ、今はひとまずここを出ろ。あの峠で待っていてくれ。俺は皆を説得してから、そこで蟲の払い方を教える」
テツ「俺も行く。俺ももう、この町にゃいられない。あの峠なら、俺の村と同じ方角だし、一人じゃ危な・・・」
ギンコは背中からテツを小突いた。「頼むぜ?」と。こうしてようやく、しげはテツと一緒に家を出た。
▲「この病にかかわった者は、皆、同じに苦しんだんです」 出展/TVアニメ「蟲師」
ギンコがしげの家の戸口に座って待っていると、お屋敷の旦那様を先頭に、村の者たちがやってきた。彼らは「しげを出せ」「詫びさせろ」と口々に叫ぶ。
ギンコ「しげを追放しても病は治りませんし、しげのせいじゃない。しげはただ、普通の子と同じように話し、笑い、唄っていただけ。その声に、病の原因となるモノを寄せる要素があっただけです」
しかし村人は治まらない。
村人「そんなのは俺らに関係ない。病にさせられた者に、どう詫びるってんだって話だ」
ギンコ「詫びなら、十年間、しげはずっとしてきたはずだ。禁を破って二言三言、言い逃れをすれば、皆の疑念をあおる事もなかったろう。罪ならちゃんと背負ってきた。無論、償いはしてもらいます。病を呼んだのがしげの声なら、払えるのもそうなんです。それで何とか、帳尻合わせにゃなりませんか。この病にかかわった者は、皆、同じに苦しんだんです」
ここのギンコはカッコイイ! そう、しげは悪くない。しげだって、十分被害者だ。好んで錆を呼び寄せていたわけじゃないのだ・・・。こんな風に、きちんとモノ言える大人になりたいと──ギンコよりだいぶ大人のわたしは思う。
おそらくお屋敷の旦那様の口添えもあったのだろう。しげが病を払うことで、これ以上しげを責めないと、話がまとまったようだ。
しげの声が山々にこだまして、野錆を散らす
▲しげの助けを呼ぶ声が山々にこだました 出展/TVアニメ「蟲師」
一方、しげの家を逃げ出したテツとしげは、ギンコの言われた通り、峠を目指していた。
テツ「しげ、あの文さ、何だかもう町を出るような感じがしたんだが、病が治ったら、そうするのか?」
しげはコクリと頷く。さらにテツは「あてはあるのか?」と訊く。これにしげは首を横に振る。「・・・じゃ!」と、どこか嬉しそうにテツは言う。
テツ「じゃ、おまえも俺の村、来るか? 家も舟も、ほとんど流されちまった漁村だけど、皆で少しずつ立て直してる。何とかなる。そうしろよ」
しげがお屋敷に豆をもらいに行ったとき、女中に意地悪されて穴の空いた袋から豆が落ちて難儀していたところをテツが助けた折に、確かにテツはそう言っていた。嵐で自分の村がひどい被害を受けたから、この町に働きに来ていると。
テツの優しい言葉に、しげはこっくり頷いて涙ぐんだ。涙を腕で拭いながら歩いていたせいで、しげは雪道を踏み外し、助けようとしたテツもろとも崖下に転がり落ちた。
日が傾きかけた頃、村人を説得したギンコが峠にやってきた。しかし、そこにはテツもしげもいない。
一方崖下で、しげは困っていた。しげは大丈夫だったものの、テツは額から血を流し気を失っている。
しげ(助けを呼ばなけりゃ。声・・・この距離で叫んだりしたら)
ここで助けを呼んだら、テツにまで錆が付いてしまう・・・しげは戸惑っていた。しかしこのままでは──。「この病は治せる」。ギンコの言葉が蘇る。意を決してしげは叫ぶ。
二人を捜していたギンコは、山々にこだまするしげの叫びを聞いた。
その声につられ、村の野錆たちが動き出す。家の壁から、人の肌からも。ズルズル這って、しげを目指す。「何か、足が軽くなった」。「私もだよ」。町の人々の病はすぐに良くなった。
夜になり、ようやくギンコは二人を見つけた。幸い、気を失っているがテツのケガは軽かった。しげと、テツをおぶったギンコがしげの家に戻ると、両親が戸口まで出迎えた。「しげ、無事だったか。見てくれ、足が!」。両親も動けるようになっていたのだ。
償いの唄
▲「しげ、峠か? 俺も行くよ」 出展/TVアニメ「蟲師」
結局しげは、ギンコがしてもらおうと思っていたことを、知らずにしていた。潮風が吹き込むあの峠で、しげが声を張り上げ山々にこだまさせることで、町に集まった野錆を山に散らすことができた。なぜなら、野錆が”潮気”を嫌うからだ。このことを、ギンコはあちこち調べてつきとめていた。
ギンコ「潮風の吹き込む町の端の方についてた錆は、野錆ではない、普通の錆だ。テツが病にならなかったのは、漁村育ちで、ここへ来てからも度々、潮風にあたっていたためだろう。おまえも、海の側でなら普通に暮らせる。だが、散らせた蟲は、まだごく一部だ。この先、何年も繰り返さなきゃすべては払えん。あるいはおまえの声が本当に潰れる方が先かもしれん」
しげ「そんなのは、全然、構わないよ。かすかにだけど、覚えてる。まだ錆のあまりなかった町のこと。あの頃、私、この町がとても好きだった。少しでも、元の姿に戻せるのなら・・・」
それからしげは、テツの誘い通り、テツの漁師村に住むことにした。ここでなら、しげは野錆を呼ぶことはない。野錆が潮気を嫌うから、集まらないのだ。
その後、娘が町を去ってから、病はじょじょに消えていったという。けれど今も町の者は、潰れ果てたが奇妙に美しい、聞き覚えのある唄声が、山々にこだましているのを、微かに聞く事があるのだという。
波打ち際をしげが歩き、その後をテツが追っている。二人はその後も仲良くしているようだ。
今作、じつはかなりの良作だった!
▲崖の下。助けを呼ぼうとして、戸惑うしげ 出展/TVアニメ「蟲師」
うーむ。これは唸らずにいられない!
この作品、じつはそう記憶に残っていなかった。辛い思いをしていた錆を呼ぶ少女が、ギンコの登場で錆を散らす方法を知り、自分が普通に暮らせる場所を見つけた──そういう、ちょっとした小品だと思っていた。
しかし今回、丹念にみてみるとこれ、なかなかどうして良く推敲されている。まずしげの住むこの町が、海からほど近い山々に囲まれた窪地のような場所にあること。そしてテツが、漁師村の出身だったこと。これが重要だった。
しかも、普通の錆が潮気を好むのに対して、野錆は潮気を嫌うという、逆説的なウイットも込められている。意地の悪い女中の気持ちも分かるし、町の人々の怒りも当然だ。どこにも破綻がなく、緻密に構成されている。締めくくりもいい。
町を離れた後も、しげはずっと償い続けている。自分に罪はないとはいえ、自分のしたことの責任を逃げずに取り続けている。そんなしげの歌声を聞くとき、町の人たちの心からも少しずつ錆が落ちていくのだろう。そんな未来が伺える。
ハッピーエンドではあるが、決して甘すぎない。しげの人間としての強さと、テツの優しさが好ましく、応援したい気持ちにさせられた。
そういえば、人が錆びるという本作のこの病気、老化とは細胞が酸化──つまり錆びることだとする考えから着想しているのだろう。細胞の酸化をそのまま可視化してみせたのは、とても面白いアイデアだと思う。
pic up/ときどきギンコがブラックジャックに見える!
ブラック・ジャック 1 ブラック・ジャック (少年チャンピオン・コミックス)
ときどき、ギンコがブラックジャックに見えることがある。説明不要とは思うが──ブラックジャックとは、手塚治虫の傑作医療マンガだ。医師資格をもつ手塚治虫だからこそ描けた作品といえる。見せ場はブラックジャックの見事な外科手術の腕だが、この作品でもっとも重要なのはヒューマンドラマの方だ。
ブラックジャックは気分屋で、金持ちにはとんでもない額の治療費を請求し、お金のない者にはお金以外のちょっとしたもので手術を引き受けたりする。ブラックジャックが関わることで、その病気を巡るさまざまな人の生き様が浮き彫りにされる、見ごたえある作品だ。
ブラックジャックの外見は奇妙だ。顔に大きな手術痕があり、半分白髪。いつも黒いコートを着ている。対するギンコも外見の異様さでは負けていない。髪は白髪で、緑色の片目。誰もが着物を着ている時代に、一人だけ洋装だ。おそらく原作者・漆原友紀さんは、ギンコの人物設定をブラックジャックをイメージしながら創ったのではないかと思われる。
ギンコはいわば、蟲関係の医者だ。今回も、野錆を移動させることで町の人々の奇病を救った。「蟲師」という作品もまた、見せ場はギンコの蟲退治だが、もっとも重要視されているのはヒューマンドラマの方だ。ヒューマンドラマがしっかり作りこまれているからこそ、作品に深みがうまれている。
作品単体でみれば「蟲師」は、「ブラックジャック」よりも息の長い作品になりうる要素があると、わたしは思う。「ブラックジャック」は、時代設定が「現代」なので、どうしても今から見れば医療技術や時代背景が古く感じられる。残念だが、「ブラックジャック」が今からリメイクされることはないだろう。(とはいえ、もちろん天才・手塚治虫の傑作として長く読み継がれていくだろうが)。
その点「蟲師」の時代設定は、鎖国がそのまま続いた江戸時代と明治時代の間の頃。既に「昔」であり、しかも架空の時代だ。「蟲師」の技術も架空のものなので、いつまでも古くならないという大きな利点がある。小説の世界でも、出版社が「時代物」を求めるのは、こういう背景があるからだ。売れれば何度も増版できる、息の長い作品になり得る。一方、次々と新しい技術が生み出される現代モノは、すぐに古臭く感じさせるものになる。いまや折り畳み携帯を登場させただけで、内容に関係なく「古臭い」と思われてしまう宿命にある。
いろんな意味で「蟲師」は、本当によくできた作品だと感心する。
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