TVアニメ「蟲師 続章」第5話「鏡が淵」。ヒトとは在り方の違う「命の別の形」それが蟲。「蟲師」は、蟲が人に影響したときに現れる奇妙な現象を集めた奇譚集。案内役のギンコと共に「蟲師」の世界の詳細あらすじを追う。感想・考察も加え、作品を深掘り!



第5話/ギンコの高い共感力が、失恋した乙女の投げやりな心を温める。

出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

第五話

鏡が淵

kagami ga fuchi

 

前話「夜を撫でる手」が「蟲師」でもトップクラスにダークな話だったこともあり、続く今作「鏡が淵」は、少しホッとさせられる。とはいえ、音響はかなり怖さを盛り上げているし、蟲自体も恐ろしげなのだが──最後が秀逸で、ただおどろおどろしいホラーではない後味の良いものに仕上がっている。

 

美しい緑の山の景色から冒頭は始まる。艶やかな青味を帯びた森の一本道を、女が息を切らせて走っている。小鳥の囀りが賑やかだ。BGMもずいぶん明るい。

 

やがて女は澄んだ池のほとりにたどり着く。池の水は透明で、あたりの木々をよく写している。そこで女はひとくくりにしていた髪をほどき、水鏡を見ながら櫛を入れる。

 

髪がきれいに仕上がったところで女は「よし・・・と」と満足そうに呟くと、また足早に走り去る。

 

誰もいなくなった池の水面に波紋ができ、やがて、水の中から何か得体の知れないモノが現れた。

 

”水鏡”という蟲

▲真澄のあとをつける水鏡 出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

今作のテーマカラーは青緑色だ。おそらくテーマカラーは、各話のタイトルバックの色なのだと思われる。山は目の覚めるような青緑に染まっている。小鳥は賑やかだが蝉の声はない。梅雨入り前の5月下旬~6月初旬あたりだろうか。一年で一番過ごしやすい季節だ。

 

ギンコは蟲煙草をくわえて木の根元に座っている。歩き疲れて一休みしているのか、またはあまりに陽気がいいのでちょっと腰を下ろし、山の精気を楽しんでいるようにも見える。

 

ふと後ろで、「たぷ、たぷ」と、水の波打つような音がした。振り返ると女が一人。冒頭で髪をくしけずっていたあの女が山道を歩いている。その後ろに、透明な何かがはいずりながら付きまとっていた。水音はそこから聞こえてくるのだ。

 

ギンコはその正体を知っていた。

 

娘──名は「真澄」というのだが──の両親は、茶屋を営んでいる。両親に話を訊くと、娘は失恋しただけという。

 

父親「娘の様子かい? 確かにこの頃、体調を崩しちまってるが。何、原因はわかってるんだよ。医者にも蟲師にも治せねぇ病さ」

 

母親「好いた男が会いに来なくなったってんでね。気が塞いじまって、体の具合まで悪くなっちまったんですよ。毎度の事じゃあるんですが、今回のは、ずいぶん長引いててねぇ」

 

ギンコ「しかし、それは気の病だけとは限りませんよ」

 

父親「・・・と、いいますと?」

 

ギンコ「ひとつ、水盤を用意しちゃもらえませんか」

 

大きな盥(たらい)に張った水を真澄が覗きこむ。

 

▲盥に、真澄の姿は映らなかった 出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

しかし、彼女の影は水に映らなかった。

 

ギンコ「影を写し取られたんですな」

 

目を見張るばかりの両親に、ギンコは詳しく説明し始めた。

 

ギンコ「波のない池に棲む”水鏡”という蟲がいましてね。元は水銀のような姿をしたモノですが、池の水面に動物の姿が映り込むと、その姿を真似て陸に上がります。そして本体の後ろをついて回る。すると・・・本体の方は少しずつ体力が衰えてゆく。本体が衰えるほど水鏡は実体を持ち始め、本体は実体を失ってゆく。そしてやがては、水鏡が本体に成り代わる」

 

ギンコの話に両親は驚いて聞いているが、真澄の方はまるで表情がない。

 

ギンコ「水鏡は水の中の鉱物質を必要とし、実態を持つとより濃度の高い水を求めて歩き回る。水鏡は元々の姿では自ら動く事はできない。だから自由に動ける体を欲しがるんです」

 

父親「そりゃ困る。何とかならんのか」

 

ギンコ「本体と入れ替わる瞬間、誰の目にも水鏡の姿が見える。そこを本体に鏡に映されると姿は崩れ、本体も元に戻ります」

 

それを聞いて両親の顔がゆるんだ。

 

父親「何だ、簡単な事じゃねぇか。おい真澄、おまえ手鏡もってたろ。どこやった」

 

真澄は胸元から手鏡を取り出した。

 

父親「何だ、曇っちまってるじゃねぇか。研いでやるから貸してみ・・・」

 

父親が手鏡に手をかけると、真澄はぱっと引っ込めた。

 

真澄「やめてよ。大事な鏡なの。自分でやるから」

 

それまで呆然と眉ひとつ動かさなかった真澄が、初めて発した言葉だった。

 

男は旅の鏡研ぎ職人

▲逢引はいつも決まってこの場所 出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

夜半。布団に起き上がり真澄は曇った鏡を眺めている。かつて、恋人と過ごした日々が思いだされる。──あの日も、この鏡は曇っていた。

 

茶屋の店先で鏡を見ていると、遠くの山がチカリと光った。真澄が山に向かって走り出す。山の中では男が鏡に日の光を反射させてチカチカやっていた。それが二人の逢引の合図だったのだ。

 

「また、ずいぶん曇ったなぁ」

 

真澄「あんたに研いでほしいから、自分じゃ研がないんだよ」

 

男は鏡研ぎの仕事をしている。江戸時代の鏡はほとんど銅製だったので、すぐに曇ってしまい研ぎ直す必要があった。鏡研ぎの多くは雪降る地方の農閑期の出稼ぎ仕事だったそうだ。鏡研ぎ職人は特別な粉を使う。水銀と錫、研粉(土や石の微細な粉末)、梅酢を混ぜたものを布につけて鏡を磨いた。

 

男は真澄の鏡を研ぎながら、少し言いにくそうに切りだす。

 

「あのさぁ真澄。このところ、ここいら一帯すっかり鏡研ぎのくちも減っちまってな。仕事場、替えてみようと思うんだよ」

 

真澄「え、そんな。じゃあ次はいつ会えるの」

 

「さあなぁ、いつ戻るか」

 

真澄「嫌よそんなの」

 

「俺だって嫌だけど、でも食ってかなきゃならねぇだろ。わかってくれよ」

 

男は仕事のせいにしているが、ていのいい別れ話だ。

 

真澄「じゃあ私、あんたの里で待ってる。あんたの嫁になる」

 

「所帯もつ気はまだねぇよ」

 

真澄「なら、その気になるまで待つよ。だからさ・・・」

 

「おまえみてぇなはねっかえりの嫁はごめんだなぁ。嫁にするならもっと大人しい娘がいいね」

 

と、男は困ったように笑った。こうまで言われては、真澄も黙るしかない。

 

「そういうわけだから、次の約束はできねぇからさ、今度鏡が曇ったら、悪いが自分で研いでくれよ」

 

──それ以来、真澄の手鏡は曇る一方だ。

 

思うにこの男、タラシなのだ。別れ話も手慣れている。あちこち旅しながら、同じようなことを繰り返しているのだろう。

 

しかし旅暮らしをしているなら、別れを言わなくても良かったはずだ。ある日を境にふと姿を消して、そのうち忘れるだろうと真澄を放っておけばよかったのだ。そうしなかったのは、この男なりの誠意だろう。

 

とはいえ、真澄にとっては辛いことだが。

 

ギンコ、渾身の説得

▲「そこはさびしいだろう?」 出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

翌日、真澄は男と逢引していた山の中の場所に行った。歩くだけで息が切れ、ずいぶん体力が落ちてきている。「何やってんだろ」と呟きしばらく過ごした後、またのろのろと帰る。帰りの道すがら、真澄は後ろから「たぷ、たぷ」と水音がするのに気づいた。真澄の後ろには、水の跡が長く残っている。

 

真澄「そこにいるの? あんた、私になりたいの? こんな私になりたいの?」

 

そこにギンコが現れた。

 

ギンコ「おまえさんにも、水鏡の足音が聞こえ始めたか。手鏡は研いだか? そいつに取り代わられたくなかったら、早いとこ研いどけよ」

 

真澄「別に、代わってやったっていいよ」

 

ギンコ「なに?」

 

真澄「私はもう私でいたって仕方ない。欲しいならあげたっていい」

 

真澄は横を向く。

 

ギンコ「あのな、なげやりにしてっと、後悔する事もできなくなるぞ。水鏡と入れ替わるって事は、自我も実体も失うって事だ。おまえは、自分の意思でこの世に影響を及ぼす事が何ひとつできないモノになるんだ」

 

真澄「いても、いなくても同じものに?」

 

ギンコ「ああそうだ」

 

真澄はしゃがみ込んだ。

 

真澄「なら、今の私と同じだ。あの人にとって私は、それくらい軽いものだったんだ。私が何を言ったって、何をしたって、何の影響も受けやしない。実体があってもなくても同じ事──」

 

ついに真澄は顔を伏せうずくまった。ギンコの表情が曇る。

 

ギンコ「・・・そこは、さびしいだろう? だがな、そこよりずっとさびしい所がある。蟲と同じ、実体を持たない者たちの棲む世だ。そこは、この世には必要とされないモノ達の蠢(うごめ)く暗い所だ。蟲どもに心なんぞありはしないが、多くのモノが光を求めて這い出そうとする。そんな、さびしい所だ」

 

真澄はうずくまったまま少し顔を上げ、ギンコの話を訊いている。

 

ギンコ「相手は、実体に姿を映されただけで消えるはかないモノだ。血の通う実体を持つという事は、それだけで強い力を持つって事だ。だが、一旦入れ替わるとそれも逆転する。また暖かい場所へ戻りたければ、自分の身は自分で守るんだ」

 

たかが失恋。たしかにそうだ。旅にばかり出ている鏡研ぎ職人の嫁なんて、待ってばかりでつまらない。たしかにそうだ。ほかにいい男はもっといる。たしかにそうだろう。だがそんな言葉は、失恋で傷ついている心には響かない。

 

しかし、ギンコの言葉は違った。ギンコはまず「そこはさびしいだろう?」と言った。真澄の気持ちに共感したのだ。真澄は自分が受け入れてもらえなくて、辛くて寂しくてたまらない。医療業界の流行りの言葉でいえば、ギンコは真澄のそんな気持ちに「寄り添った」のだ。

 

だから真澄はギンコの言葉を素直に訊くことができた。ギンコは蟲たちのいる暗く寂しい世界を教えることで、血の通う体を持つという尊さを説いた。ギンコ、渾身の説得だ。

 

夜、真澄は鏡を研いだ。ぱたぱた涙をこぼしながら。真澄の後ろには、水鏡がぼんやり立っている。

 

手鏡なしで水鏡を撃退!

▲ほぼ本体そっくりになった水鏡が迫る 出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

真澄はますます弱っていった。ギンコが床についている真澄の脈をみる。ずいぶん弱い。

 

ギンコ「鏡は研いだか」

 

真澄は「ん・・・」と小さく言うと、懐から研いだ鏡を出して見せた。

 

ギンコ「よし。肌身離さず持ってろ。じき水鏡が姿を現す。その瞬間を鏡に映すんだ。見逃すな」

 

真澄はギンコの方に目をやり、ふとギンコの肩越しに見える山にチカリと光るものを見つけた。思わず真澄は起き上がり、「お手洗い」と偽り家を抜けだした。

 

額に汗を浮かべ、息を切らせて真澄は山道を行く。いつも逢引に使っていた大きな岩のあたりに着いたが、そこには誰もいない。あたりを見回して、木の上のカラスの巣に、切子ガラスの欠片があった。てっきり鏡研ぎの男が戻ってきたと思ったら、ただの勘違いだったわけだ。

 

落胆から真澄は膝をつき、そのまま地面に横たわり気を失った。懐から鏡が落ちて転がった。

 

遠くから水音が近づいてくる。水鏡だ。水鏡はもうほとんど真澄の実体そっくりになっている。真澄が薄っすら目を開けると、目の前に水鏡が立ち見おろしている。あわてて懐をさぐるも、そこに手鏡はなかった。

 

見ると手鏡はずっと離れたところに落ちている。這って行こうにも体が動かない。水鏡はゆっくり近づいてくる。

 

真澄(このまま入れ替わられちゃうの? あんなふうに、人の周りを付いて回るだけのものになるの? いやだ。そんなの、さびしすぎる──)

 

水鏡が手を伸ばす。真澄はしっかり水鏡を見て叫んだ。

 

真澄「何よ。真似してんじゃないわよ!」

 

すると水鏡は崩れ、ただの水のようになりどこかに逃げていった。

 

真澄復活!

▲「髪の色とかヘンだけど血筋? 奥さんいるの?」 出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

その後真澄は自力で家に帰ったのか、倒れているところを助け出されたのか──。なんとか家に戻り布団に横になっている。水鏡がいなくなったので、ずいぶん体力も戻ったようだ。

 

真澄「何で、消えたの?」

 

ギンコ「いや、俺もずっと考えてんだがな・・・」

 

少ししてギンコは「そうか、目だ!」と、思いついた。

 

ギンコ「おまえの目に水鏡の姿が映ったんだろう。何だ、目を開けていさえいりゃ鏡なんか必要ねえのか。やはり、実体を持って生きてるってのは、それだけで十分力を持ってんだな」

 

嬉しそうに話すギンコを真澄はじっと見ている。

 

ギンコ「・・・どうかしたか」

 

真澄「今まで気が付かなかったけど、あんたよく見ると男前だね」

 

ギンコ「・・・は?」

 

真澄「髪の色とかヘンだけど、血筋? 奥さんいるの? 郷里はどこ?」

 

真澄を挟んだ向かい側に座っている両親に向かい「本当にもう治ったみたいですな」とギンコが言うと、「さようで」と母親が眉根を寄せた。

 

ギンコ「じゃ、俺はこの辺で」

 

真澄「えーっ。も少しゆっくりしていきなよ。お礼もしたいしさあ」

 

母親「真澄!」

 

父親「おまえ少しは懲りんかっ」

 

──ともあれ一件落着。真澄も元通り元気になった。

 

ギンコ、水鏡を山深い池に連れて行く

▲「ついてこい。もっと山深い池に案内してやる」 出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

夕暮れ時。真澄の家を辞したギンコはまた山に分け入る。そして、例の池にたどり着くと、自分の姿を水に写した。やがて水面が波立ち、水鏡が姿を現す。

 

ギンコ「やはり元の場所に戻ってたか。ついてこい。もっと山深い池に案内してやる。実体はくれてやらんがな」

 

水鏡は水面から半身を覗かせたまま、じっとしている。

 

ギンコ「そんな、さびしそうにしてるなよ」

 

ギンコが歩き出すと、後ろを水鏡がついてゆく。ながい水の尾を引きながら。

 

里に近い池に棲んでいては、また真澄のような者が出るかもしれない。だからギンコはもっと山奥の、人の訪れない池に連れて行ったのだ。水鏡は実体をもち自由に動けるようになりたい。そんなモノだ。人にとり憑けば危険だが、だからといって屠るのでは水鏡がかわいそうだ。

 

ギンコは真澄の寂しさに寄り添ったように、水鏡の寂しさにも寄り添った──。ヒトと蟲の共生を目指すギンコらしいエンディングだ。

 

真澄が元通りになって一件落着で終わるのでは凡百。このラストあってこその「蟲師」といえる。「たかが失恋」とバカにせず、しっかり真澄の寂しさに寄り添うところもすごく良かった。ギンコのまっすぐな人柄がよく出た物語だったと思う。

 

真澄の若い娘らしい立ち直りの速さも楽しく、含みは多いものの後味は悪くない。

 

蟲になるということ

▲「血の通う実体を持つという事は、それだけで強い力を持つって事だ」 出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

ギンコは蟲の存在を尊重している。しかし、だからといって蟲が人を食べたり入れ替わったりするのは許さない。安易に人が蟲になろうとするのも、あってはいけないことだと思っている。

 

この辺りの心情は、「蟲師」第5話「旅をする沼」のpic upで詳しく述べているので、参考にしてほしい。

 

ギンコは、「蟲師」第1話「緑の座」で、半分ヒト半分蟲の廉子(れんず)を完全な蟲にしてしまったことを少し後悔している。廉子の場合は意思をもち、孫のしんらと目を合わせることができたけれど、それでも、そんな事をして良かったのかと繰り返し自問している。

 

ギンコ「・・・そこは、さびしいだろう? だがな、そこよりずっとさびしい所がある。蟲と同じ、実体を持たない者たちの棲む世だ。そこは、この世には必要とされないモノ達の蠢(うごめ)く暗い所だ。蟲どもに心なんぞありはしないが、多くのモノが光を求めて這い出そうとする。そんな、さびしい所だ」

 

今作「鏡が淵」は「蟲師」第7巻に収載されている。最初はなかったが、この頃になると「蟲」とは、闇から生まれるモノという表現がされている。生命の根源「光酒」が流れるのは地中深く。暗く寂しい場所だ。そこに原初の蟲たちが蠢いている。

 

そんな蟲たちの世界は、ふたつめの瞼を閉じたときに現れる真の闇の世界。ギンコがトコヤミに囚われたときの、ウソくさい月が昇る闇の世界。ギンコは蟲たちの世界を知っているからこそ言えるのだ。蟲たちもまた、そんな寂しい場所に留まっていたくないのだと。やがて彼らは進化しさまざまな形をもち地上に棲む。

 

蟲たちに心はないが、多くのモノが光を求めて這い出そうとするその理由をギンコは、蟲たちも本能的に温かさを求めているからだと言っている。温かさは、日の光がもたらす温度と、他者との関わりの中で生まれる心地よさ、どちらも含んでいるのだろう。

 

ヒトはヒトであるだけで輝くばかりの強さをもっている。そうおいそれと蟲になっていいはずがない。これはギンコの信念だ。

 

動きひとつにも意味がある。長濱博史監督インタビューより

▲草履を履いた足の微妙な動きがリアル 出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

アニメ「蟲師」は、とにかく原作漫画の雰囲気ドンピシャで描かれていて、それは長濱監督はじめスタッフたちの「蟲師愛」あってこそだと、「蟲師 続章」第2話「囀る貝」のラストで書いたが、今回はもっと技術的な側面を長濱監督のインタビューから引用して紹介する。

 

長濱監督「「蟲師」は、とにかく原作を読んで感じる空気感を損なわないアニメにしたかったんです。山奥の湿気とか、海の潮の香りとか、本来、映像やイラストでは伝わらないはずの感覚、原作に散りばめられた作品の世界観や空気感を構成する要素のひとつひとつを大事にしていこうと。安易にアニメの文法に落とし込まないでほしいと」

 

やはり原作から感じる空気感──山奥の湿気や海の潮の香りなんかを大事に表現されているわけだ。今作でいえば、山奥のフィトンチッドたっぷりの清浄な空気や、人工物など未だかつて一度も写したことのなさそうな池の水面がクリアに描かれていて、本当に美しかった。

 

長濱監督「何も考えずに、ここはパン(横方向にカメラを振って撮影すること)で、とか、ここはTU(カメラが被写体に近づいていくこと)で、というやり方ですね。演出の人にはよくある癖だと思うんですけど、絵がもたない、とかそういう曖昧な理由で動きを付けてしまう。でもその動きに意味を見出さない限り、むやみに動きをつけちゃいけないと思うんです。僕はもし「ここは何でパンアップなんですか?」って聞かれても、「このキャラのこういう心情を表現するためですよ」って、答えられるようにしてあります」

 

動きひとつひとつにも意味をもたせ、緻密に考えられているという。さらに・・・。

 

長濱監督「あとは作り手が実感していること。 ~中略~ 鉄砲を持ったことがない人には鉄砲の質感や重さが描けないですし、草履を履いてみると、草履を履いた足がどういう動きをしているのかまで表現できるようになる。体感しておくことはとても大事です。火が熱い、水が冷たいっていうのも、各々が実感しているから伝わるわけですから」

 

これは「やはり!」と思った。草履を履いて歩いたとき、どんな風に草履が動くか、すごくよく再現されていて、しっかり自分たちで履いて研究した結果だと思っていた。こういう話がきけると嬉しくなる。アニメ制作には、こういう実際の作業以外のところが絶対に重要だと思う。

 

最後に、とある雑誌編集者の言葉を紹介しておこう。「そのページにどれだけ手をかけたか、どれだけ時間をさいたか、その熱量はかならずページに表れる。そしてその熱量は必ず読者に伝わり、読者を動かす」。アニメ制作も同じだと思う。

 

出展/「蟲師」アニメ再始動──長濱博史監督が明かす8年間

 

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