TVアニメ「蟲師 続章」第20話「常の樹」(とこしえのき)。ヒトとは在り方の違う「命の別の形」それが蟲。「蟲師」は、蟲が人に影響したときに現れる奇妙な現象を集めた奇譚集。案内役のギンコと共に「蟲師」の世界の詳細あらすじを追う。感想・考察も加え、作品を深掘り!



第20話/その大杉は里の人々に身を伐らせ、失くなった。しかしその存在は、長く語り継がれる常の樹となった。

出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

第二十話

常の樹

tokosie no ki

 

ついにTVアニメ「蟲師 続章」も最終話を迎えた。長濱監督が最終話に選んだのは、ご神木と人の関わりを描く「常の樹」。温かく、優しく、ありがたい物語だ。

 

原作漫画での最終話はこの作品ではなく「鈴の雫」。「蟲師」を特徴づける「山の主」にまつわる作品で、TVアニメスタッフにより映画化されている。機会があれば、こちらも記事にしてみたい。

 

李に似た赤い実

▲「お、ありがてえ。李(すもも)か」 出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

木が芽吹き、生長し、若木になり・・・。冒頭では、とある木の始まりが描かれる。最終話とあってか、絵づくりに気合が感じられる。美しい映像だ。

 

山道を歩いていた男が、しばしの休息のため傍らに腰を下ろす。──と、手の届くところに赤い木の実を見つけた。

 

幹太「お、ありがてえ。李(すもも)か」

 

男の名は幹太(かんた)という。幹太は、赤い実をつまみ口に運んだ。

 

繰り返し現れる木の夢

▲幹太は娘に、遠い町の話をする 出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

幹太は大工で、遠くの町で仕事をし、仕事が終われば里に帰るという生活をしている。里には母親と妻、娘のふたばが待つ。ちょうど幹太は一仕事終えて里に帰ってきたところだ。

 

ふたば「今度はどんな所、行ってたの?」

 

幹太「東のでっかい町でな、ずらりと立派な屋敷の並ぶ所だ。そこで一番の屋敷を建ててきた。まるで竜宮城みたいでな・・・」

 

幹太の膝にのり、嬉しそうに話しを聞いていたふたばが眠ると、妻が言った。

 

「あの子、寂しがってたわよ。もう少し近くで仕事したら? あんたの腕ならどこでだって・・・」

 

幹太「俺は知らない土地で腕一本で渡ってくのが面白い。世の中にゃあ、本当にいろんな所があるもんだ。もう少し年を喰ったら落ち着くからさ」

 

その夜、幹太は夢を見た。

 

▲幹太の夢に、くり返し杉の大木が現れた 出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

大きな木に止まり囀る小鳥、地面から生える小さな菌類、地表をはいずるカナヘビ・・・。薄っすら目を開けた幹太は思う。えらく、はっきりとした夢だったな、と。

 

また幹太は出かけ、海沿いの町で仕事に精を出す。

 

仕事先の宿舎で、また幹太は木の夢を見る。ざわめく木の葉、日の光を受ける太い幹、月の下にシルエットとして現れたその木はそれは大きく立派だった。

 

▲幹太とギンコは茶屋で会う 出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

一仕事終えた幹太が里に帰る道すがら、立ち寄った茶屋で一息入れていると、隣に白髪の男が座った。ギンコだ。

 

幹太「あんた、どっかで会ったことがあるな」

 

ギンコ「そうかい。こっちにゃ覚えはねぇが」

 

幹太「いや間違いねぇ。あんたは山の中を五~六人と連れ立って歩いて来た。それからまた山ん中を歩いてった。あんたは十ほどの子どもだったな。一行にゃもう一人子どもがいたな。それから長老のじいさん。あのじいさんは、子どもの頃からよく見た顔だ」

 

話ここに至り、ギンコは男にケチをつける。

 

ギンコ「おい待て、何でじいさんの子どもの頃なんて知ってる。おまえ、年いくつだよ」

 

幹太「・・・そういやそうだな。何で俺、こんな事・・・。誰かに聞いたかな。いや、でたらめ言ってんじゃねぇよ。何か急に思いだしたというか・・・」

 

しどろもどろに言い訳する幹太を胡散臭そうに見ながら、ギンコは背負い箱を担ぎ直した。

 

ギンコ「新手のペテンなら、もう少しうまくやれよ」

 

幹太「いや、違うんだよ。おーい」

 

歩き去るギンコを呼ぶが、ギンコは振り返らない。

 

また幹太の夢に木が現れた。人が周りの木を伐り、見おろす先に里ができてゆく。その里に幹太は、見覚えがあった。故郷の里を見おろす山の高台に立ち、幹太は納得する。「見覚えがあるわけだ。あれは、この山から見た俺の里だ」と。

 

「覚木」(さとりぎ)という蟲

▲夢の大杉は、既に切り株だった 出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

里の見え方からして、夢に現れる木はこのあたりだと山を探し回った幹太は、巨大な切り株を見つけた。

 

幹太「これ・・・か・・・? そんな」

 

夢の巨木は既になく、切り株だけになっていた。しばらく切り株で休んだ幹太が、そろそろ帰るかと立ち上がると、なんと足が木と同化して抜けなくなっていた。

 

幹太「おーい、誰かいないかー? おぉーい!」

 

幹太の叫び声に応じて草むらからギンコが現れた。ギンコは「遅かったか」と言った。その後、里の者に足の側の切り株を切ってもらい、ようやく幹太は家に帰ることができた。

 

▲幹太の足は木質化してしまった 出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

しかし幹太の足は木質化して、動かなくなってしまっていた。

 

ギンコ「おまえさんに会った後、ふと思い当たる事があってな。一人の人が知り得るはずもない、ある一定の場所のはるか昔の出来事を、まるでその目で見てきたかのように、つぶさに語る者がいる──と」

 

幹太「なあ、何でこんな事になった? まるで足が木になっちまったみたいだ。ぴくりともしねぇ」

 

ギンコ「李に似た赤い実を、先ごろ喰ったはずだ」

 

幹太「ああ」

 

ギンコ「そいつは覚木(さとりぎ)という蟲だ。木の内部に宿り養分を得るモノだが、木の本体が危機に陥ると、赤い花のようなモノをつけ、やがて一つの実に姿を変えて木から離れる。その実には、木の記憶が封じ込められている。そして獣や鳥に喰われるとその体内に巣くい、宿主が木に近づくのを待つ。宿主が木に長い間触れていると、木と融合し動けなくさせ、やがて完全に木と同化させてしまう──」

 

幹太「それで、どうすればこの足は治るんだ」

 

幹太にとって、蟲などどうでもよかった。ギンコの説明より、足を治す方が重要だ。しかしギンコの表情は暗い。

 

ギンコ「治す術は、見つかっていない」

 

幹太「宿主が危険にさらされれば出て行くんだろ。なら・・・死ぬふりをしたらどうだ」

 

ギンコ「花をつける事はあっても、実をつけて抜ける事はないという。覚木には本当の危険とそれ以外とを見極める能力があるらしい。おそらく、それを見極めるために木の膨大な記憶を利用するのだろう」

 

つまり、覚木を「死にそうなフリ」で騙すことはできないというわけだ。すっかり落胆する息子に母親は言う。

 

母親「幹太、私は、あんたの命が奪われずにすんで、それだけでありがたいよ。家族皆で、助けるから・・・」

 

幹太「冗談じゃねぇ! 皆の世話になって生きてくなんて、まっぴらだ。なあ、頼むよ治してくれよ」

 

ギンコは情報を求めて蟲師仲間に手紙を書いた。

 

ギンコに残る巨木の記憶

▲大杉を見上げるギンコ少年 出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

手紙を繭玉通信に入れた後、ギンコは夜の山を見ながら思う。(あの時のあの木、伐られちまったんだな)と。それは、ギンコがイサザたちワタリの集団に拾われた直後、10歳くらいの事だ。

 

その夜は巨木の下で眠ることにしたワタリたちだが、長老がイサザとギンコを呼び巨木の話をして聞かせた。

 

長老「この木は、千年もここに立ち続けているという。イサザ、ちゃんと聞かんか」

 

イサザ「だって俺、この話、何度も聞いたよ」

 

長老「何度でも聞け。忘れんように。おまえもいずれ、若いワタリに言い伝えられるようにな。この木には、もう長い事、覚木が棲んどる。そいつが今まで二度ほど赤い花をつけた事があるという」

 

長老は「これがその花だ」と、巻物の、覚木のところを開いて花を指さす。

 

長老「一度目に咲いたのは、五百五十年ほど昔。この地に大地震があった時、地が割れ根から倒れそうになったが、何とか生き延びた。二度目は百七十年ほど前。この木に雷が落ち、傷を負った。しかし近くの里の者達が懸命にその傷を治し、再びこの木は生き長らえた。

 

ほら、あそこに見える里だ。あの里の者らがここへ来たのは三百年ほど前。山を開くのにこの木を伐ろうとしたが、どうやっても伐れなかった。それで人々はこの木を畏れ、やがて神木と祀り、大事にしたのだという。

 

ここは光脈筋だ。長くそこに生きた木は、時に特殊な力を持つ。人の力が及ばん事もある。わしも子どもの頃からいろんな巨木を見てきたが、これほど大きく見える木はそうはない。だが、この頃は、この木を訪れる里の者の姿は減った、そいつが少々、気にかかる」

 

ギンコはじっと長老の話に聞き入っていた。

 

大杉が伐られた理由

▲大杉に赤い花が咲いていた 出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

その夜。ギンコが巨木の切り株を訪れると、幹太の母親がいた。母親はひざまずき、巨木の切り株に手を合わせていた。

 

ギンコ「かつては、ご神木だったそうですね」

 

母親「ええ。それは立派な木でしたから」

 

ギンコ「それが何故こんな事に」

 

母親「皆、怯えていたんです。このままではきっと、里は終わりだ──と」

 

今から15年ほど前。当時この里の者は、皆が杣人(そまびと)として木を育て売る事を生業としていた。そこに山火事が起きた。このままでは生活が成り立たないと、里の者たちは困り果てた。「里を下りて物乞いをやるしか・・・」とすら言う者もいた。ある男が、ご神木の大杉を伐る事を提案した。

 

「なあ、あの大杉・・・。町の材木商が大金で買いたいと言ってたろ」

 

「そうか、あの木は無事だったな」

 

「でも、あの木はなぁ・・・」

 

「それに、絶対伐れないって話だろう」

 

ついに「そんなもの、やってみなけりゃわからない」と言い出す者が現れた。止める者もあったが「うちの子は、このままじゃしんじまう」と、手に手に斧を持ち大杉を目指した。

 

大杉に到着すると、木いっぱいに赤い花が咲いていた。花が見える者は「何だか恐ろしいよ」「木が怒っているんだよ」と、畏れた。しかし花の見えない者は「何を言ってる、どこに花なんか」と、斧を振り上げた。

 

言い伝えとは異なり、斧はすんなり幹にささった。

 

▲大杉の伐り口から、光る水が広がった 出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

ついに大杉は伐り倒された。その切り口から光る水が滴り落ち、あたり一面に広がった。大杉は、里全体がしばし暮らせるほどの額で売れた。そして焼けた山も、不思議な早さで蘇っていった。

 

母親「当時、幼かった幹太が無事に育ったのも、この木のおかげなんです。ああしなければ、今の里はなかったでしょう。でもあの時、やはりこの木は怒っていたのでしょうね。これは、報いなんでしょうか」

 

母親はほろほろと涙を流した。

 

ギンコ「草木は怒ったりしませんよ。でも、何も感じないわけでも何もしないわけでもない。ある種の木は、害虫が大量に湧くと、その葉から毒を出して自分の身を守る。草木は自ら動けない。だが、その分、周囲の変化を敏感に感じ取り、時にそれに応じて自らを変える術をもつ。この木には、人の斧を寄せ付けないほどの力があった。それが何故その時は伐れたのか・・・。それはこの木が自ら、その身を伐られるよう変化させたせいなのかもしれない。傷ついた、山全体のために」

 

母親「木が・・・そんな事を?」

 

ギンコ「さてね」

 

母親「もしそうだとしたら・・・私達は本当に、大事なものを失くしてしまったんだわ」

 

幹太の母親は、しんみり言った。

 

幹太の足に赤い花咲く

▲幹太の足に赤い花が・・・ 出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

ギンコが足の治療法について知人に送った手紙の返事は、どれも良いものはなかった。そこで他の蟲師にあたってみると言い残してギンコは一旦、里を離れた。

 

幹太はそれからも木の夢を見た。大木となった木の周りでは、人が下枝を払っていたり、鹿が草を食んでいたり、花が咲いたりした。相変わらず木質化した足は動かない。幹太は夢に出る巨木をいまいましく思った。娘のふたばと遊んでやることもできない。

 

ふたば「ねぇ、お外行こ」

 

幹太「すまんな、父ちゃんはもう、前のようには・・・」

 

ふたば「じゃあ、お話して」

 

幹太「もう、してやれる話もないんだ・・・」

 

遠くの町で家を建てては里に帰ってきて、町で見聞きした珍しい話をしていた幹太だったが、この里から出られない今の生活では、もう娘に話してやれる話もない。

 

幹太(あの木のせいで何故、俺がこんな目に・・・。とうに伐られた木のくせに、何故いつまでも俺の中に居座り続ける)

 

そう思って見ると、足の爪の先に赤い花が咲いていた。報せを聞いたギンコが里に着いた頃には、幹太の足は花盛りだ。

 

ギンコ「おまえさん、体の具合はどうだ」

 

幹太「いや別に」

 

ギンコ「なら・・・何か起こる前兆だ。あんたの身に、危険の及ぶ何か──」

 

夜。妙な気配を感じて、幹太は布団の上に起き上がった。

 

何だろう、この気配。草木が騒いでいる。

 

この気配は、知っている。遥か・・・遥か昔に一度・・・。

 

思いだせ、思いだせ。あの時、何が起こったか──。

木の記憶が教えてくれた事

▲大地震が里を襲った 出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

そうして、幹太は思いだした。幹太は起き上がり、村の者を起こして全員を避難させた。歩けない幹太は、ギンコが負ぶって運ぶ。

 

ギンコ「ここいらでいいか」

 

幹太「いや、ここらは危ない。まだ先だ。急がねぇと、もうじきだ──」

 

まだ夜も明けないうちに、里を強い地震が襲った。地震が収まると、幹太の足に咲いた花は散った。村は壊滅的な被害を受けた。明るくなると、人々は復旧作業に精を出しながら噂した。

 

「しかし、この中にいたら・・・と思うとな」

 

「ああ」

 

「幹太のやつ、何でわかったんだろうなぁ」

 

「それがよ、この間、十五年前に伐ったあの大杉にとりつかれただろ」

 

「それ以来、えらい昔の事まで知ってるんだと」

 

「それがわしのひい爺さんの話と同じでなぁ」

 

「わしらはまた、あの大杉に助けられたのかもしれんな・・・」

 

幹太の家は、里の皆が建て直してくれた。幹太がお礼を言うと「気にするな、命の恩人なんだからよ」と返ってきた。そして、こう付け加えた。

 

「あの大杉を伐ってしまった事は、今でも皆、古傷のように残ってんだ。受けた恩ももう返せない。だから、おまえに返させてくれ。困った事があったら、里の皆で助ける。またあの木が、教えてくれる事があったら、わしらにも教えてくれ・・・」

語り継ぐ物語

▲気の遠くなるような長い時間、大杉はそこに立っていた 出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

里の者たちの大杉への気持ちを幹太は知った。大杉への恩義と、申し訳ないという気持ちを。大杉はもうないが、それでもまだ人々の心の中にはしっかり残っていたのだ。

 

気の遠くなるような、永い、永い時間。

 

この地には、一本の木が立っていた。

 

深く深く根を下ろし

 

この地に生まれては消えるもの達の移ろいを

 

変わらず静かに見おろしていた。

 

幹太は、なんとか杖をついて歩けるようになった。幹太は外にいる娘を呼び寄せた。

 

幹太「おーい、ふたば。こっちにおいで」

 

ふたば「なぁにー」

 

幹太「一本の木の話をしようか。ずーっとずーっと、この山に立っていた、おーきな木の、話しても話しても終わらない話だ」

 

里を見おろす山に立っていた一本の大杉。地震をかいくぐり、雷も乗り越え千年も生きてきた大杉。大杉は、雷に打たれた枝を手当てしてくれた恩義を、山火事に遭って困っている里の人々に、身をていして返したのかもしれない。

 

その事を申し訳なく思っている里の者を、幹太の体を借りて大杉はまた救った。大杉は決して怒ってなどいなかったのだ。

 

たとえワタリたちが語り継ぐのをやめたとしても、幹太の里ではずっとずっと語り継いでいくだろう。そして、あまり人が訪れなくなっていた大杉の切り株には、また注連縄が張られるのだろう。村を救った大杉として、大事に祀られていくのだろう。

 

「植物は怒ったりしないが、何も感じないわけでも何もしないわけでもない」

Ophrys mouche (Ophrys insectifera)
Ophrys mouche (Ophrys insectifera) / Sandrine Rouja

▲メスの蜂に擬態してオスの蜂を誘い、受粉を狙うオフリス(Ophrys)属のラン

 

悠久の時を生きてきた巨木の物語だった。

 

ギンコが言う通り、植物は怒ったりしないが、何も感じないわけでも何もしないわけでもない。植物はじつにおもしろい戦略で、環境に適応して生き延びてきた。山火事が起きることで発芽する種、虫そっくりに擬態して仲間の虫を誘う花、蜜を出してアリを呼ぶ植物など、など。虫に食べられないよう毒をもつ植物は、意外と多い。

 

だから千年も生きた巨木なら、人を見守り、支え、体をなげうち守る無償の愛を示す木があってもおかしくない。そんな考えが、今作の創作の源だろう。

 

今回の物語からわたしは、「The Giving Tree」という絵本を思いだした。

 

「The Giving Tree」とは


GIVING TREE,THE(H W/CD) [ SHEL SILVERSTEIN ]

 

ご存知ない方に簡単に「The Giving Tree」について説明を。「The Giving Tree」は、1964年にアメリカで出版された絵本。作者は、グラミー賞を2度受賞しているシンガーソングライターでもある、イラストレーターのシェル・シルヴァスタイン(Shel Silverstein)。

 

日本では「大きな木」というタイトルで、藤田 圭雄、本田錦一郎、村上春樹の3人の翻訳本がある。

 

シェル・シルヴァスタインの作風は、線で描かれた単純な絵柄と、簡単な英文からなるが、表現する内容は奥深い。「The Giving Tree」の内容を簡単に紹介しよう。

 

 

登場するのは、1本のりんごの木と男の子。遊んだり、お昼寝したり、二人はいつも仲良しだった。

やがて男の子は若者になった。リンゴの木はお金が欲しい若者のため、実をどっさり取らせてやった。

次に男の子は家が欲しいと言い、リンゴの木は家の材料にするため枝を与えた。

次に男の子(もうとっくに男の子ではないが)が望んだのは船だった。リンゴの木は自分の幹を与え、男の子は船で遠くに旅立った。

やがて年老いた男の子が戻ってきた。リンゴの木はもう何も与えるものがなかったけれど、男の子も欲しいものがなかった。そこで男の子はリンゴの木の切り株に腰かけた。リンゴの木は幸せだった。

 

 

要約すると「男の子は、いろんなものをリンゴの木から与えてもらった。リンゴの木はついに切り株だけになったけれど、それでも男の子を愛していた」となる。気がついた方も多いだろうが、リンゴの木は母親の無償の愛情を表現している。

 

「覚木」が大杉と里の人々の心を繋いだ

▲長老は、ギンコとイサザに「覚木」を教える 出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

今作「常の樹」に登場する大杉も、「The Giving Tree」と同じ無償の愛情を示した、母親のような神さまのような存在だ。愛情を与えられたのは里の人々。

 

山火事で、人々がこの里を去るしかないという状況に陥ったとき、大杉は自らの幹を伐らせた。大杉を売ったお金で人々は里で生活し続けることができた。切り株だけになってしまったかつてのご神木を、訪れる者はもうない。

 

しかし、里の者の心には、しっかり大杉が生きていた。申し訳なかったと、後ろめたい気持ちを抱えていた。そして大杉は、幹太を通してまた里を救った。

 

ついに里の者たちは大杉への後ろめたさを払拭し、有難いと前向きにとらえるようになった。

 

「あの大杉を伐ってしまった事は、今でも皆、古傷のように残ってんだ。受けた恩ももう返せない。だから、おまえに返させてくれ。困った事があったら、里の皆で助ける。またあの木が、教えてくれる事があったら、わしらにも教えてくれ・・・」

 

「覚木」という蟲が、大杉と里の人々を繋いだのだ。これは、幸せな共生といえるだろう。

 

「The Giving Tree」の男の子は、最後までリンゴの木にまるで感謝する様子もないが、今作「常の樹」では里の人々はちゃんと感謝を口にした。もちろんリンゴの木は男の子がいてくれるそれだけで幸せだし、大杉も人々が里を捨てずに再建してくれたことを嬉しく思っているだろう。

 

それでもやはり感謝を示し、語り継いでくれるなら、もっと幸せなのではないだろうか。いつも見守り、助けてくれる者たちに。

 

第1期は「蟲」に、第2期は「人」に軸足が置かれていた。

▲今もギンコは、日本中を巡っているに違いない 出展/TVアニメ「蟲師 続章」

 

ついに「蟲師」26話、「蟲師 続章」20話が完結した。TVアニメの締めくくりに相応しい、美しい物語だった。

 

蟲は原作者の創造物だが、この作品に触れると、目に見えないモノは存在するという思いが強くなる。それは今作のように「神さま」に近い有難いものだったり、「病気」のように人にとって少し迷惑なものだったりする。それらも含めての世界であり、人はその1要素に過ぎないという考えは、すんなり受け入れることができる。この世界観が非常に優れている。

 

第1期「蟲師」では、どちらかというと「蟲」に軸足が置かれていた。奇妙な蟲が現れて、その生態を紹介する。しかも少々ホラーな手法を取り入れて。登場人物の背景がしっかり作り込まれている気配は感じるものの、あくまで前面に出るのは蟲だった。だから面白おかしく視聴することができた。

 

第2期「蟲師 続章」は、「人」に軸足が置かれた物語が多かった。そのため蟲の奇妙な生態よりは、ヒューマンドラマが目立った。ギンコは蟲を紹介する通りすがりのキャラクター扱いなので、ギンコファンにはやや物足りないかも知れないし、重いモノが多くくり返し視聴するには辛い人もいるだろう。

 

ホラー風味な初期の作品も、地方を取材することで奥行きのある物語を紡いだ中期の作品も、奥深い人間の営みを正面から捕えた後期の作品も、どれも魅力的で本当に面白かった。

 

途中で少々生意気な辛口もたたいたが、これだけの水準で描かれた短編集は稀有で、それを緻密に高レベルの映像作品に仕上げてくれた長浜監督ならびにアニメスタッフには頭が下がる。何度見ても楽しめる、何歳になっても楽しめる素晴らしい作品群だ。

 

ギンコはこれからどんな人生を歩んでいくのか容易に想像できる。これまで同様に、おそらく一生涯、放浪の蟲師として生きていくのだろう。出世や金銭欲などとは無縁に、自然の、命の源を説き、人々をひっそり助け続けるだろう。化野や淡幽という数少ない友人を定期的に訪れながら。

 

「蟲師」の舞台は100年前だが、今もギンコは日本のあちこちを巡っているような、そんな気がする。

 

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