2019年1月~放送のアニメ「どろろ」。第1話の詳細なあらすじと見どころを紹介します。あわせて感想もどうぞ!【注意】完全ネタバレです!


第1話/「あんた何なんだ、人間なのかよ?」因果を背負わされた百鬼丸とどろろの出会い

 

「醍醐の巻」

daigo no maki

 

ときは戦国。戦乱の世での話です。北陸の石川領(今でいう石川県と福井県の県境あたりと思われます)は、度重なる飢饉と流行り病で領土も領民も、もはや死をまつばかりにやせ衰えています。領主の醍醐景光(だいご・かげみつ)は、自国領の領民を救うため、さらにいつかは天下を取る野望を果たすため、神仏にすがるのではなく、鬼神と契約する道を選びます。

 

「地獄とはこの世のことよ」──一向一揆直前の北陸が舞台

 

覚悟を決め、鬼神を祀る「地獄堂」にやってきた醍醐景光。そこには、この寺の上人(しょうにん/僧侶の敬称)が座っていました。ここでの二人の会話から、いかにこの世が物質的にも精神的にも荒れすさんでいるかが分かります。

 

上人「醍醐さま。御仏の道を外れるは外道。外道にあるは人にあらず。踏み出せば、この先あなたさまを待っているのはただ地獄」

 

景光「上人どの。地獄とはこの世のことよ。そなたらが日がな一日拝んでいた御仏の道など、どこにもありはせぬ」

 

仏の道に生きる上人は、景光が外道に落ちるのを心配して鬼神と契約するのを止めていますが、景光はとうに心を決めています。おそらく景光は、これまで長らく仏へ祈りをささげ続けてきたのでしょう。けれど一向に良くなる兆しはありません。それでもう仏にすがるのを諦めたのです。

 

この会話の後、上人は燭台を手にします。それを見た景光は、刀で上人を斬り伏せます。おそらく上人は、景光を止めるため、地獄堂ごと焼き払おうとしたのだろうと思います。

 

上人「ありがたき。これで救われまする。おおせの通り、今の世は地獄。日々、祈りはむなしぅなり、いずれ我が内に御仏への疑いが生まれるやもと。その前に死ぬるは何より。醍醐さま。鬼神に近づいてはなりませぬ。生きながら外道に落ちては」

 

景光「もう、落ちておる──」

 

景光が上人を斬り伏せたのは、地獄堂を焼き払おうとする上人の行動を止めるとともに、仏への帰依を断ち切る自らの覚悟を示す意味もあったのでしょう。

 

斬られた上人は「ありがたい」と言い残します。上人自身にも、仏への祈りが現実世界を良くしてくれることがないことはよく分かっていました。原作や1969年版アニメでは、上人は景光を地獄堂に案内し鬼神たちの説明をする役割です。が、2019年版アニメでは、上人は最初から地獄堂に座っています。

 

2019年版アニメの上人は、自らが仏の道を捨て外道に落ちる覚悟で鬼神たちと取引しようとしていた。もしくはその迷いのなかにいたのではないかと思われます。そうなる前に、僧侶としての誇りが傷つけられないまま死ねるのが「ありがたい」と言っているのです。

 

壮絶ですね。そこまで切迫した状態なのだと、この短い会話から知ることができます。さまざまな情報を凝縮した、とても優れた導入だと思います!

 

上人を斬った景光は片手を立て、自分を心配してくれていた上人に小さな祈りを捧げます。上人への敬意の印なのでしょうが、景光に仏に祈る習慣が根付いていることを示しています。根っからの悪人ではないのです。

 

地獄堂には、12体の鬼神像が並んでいます。景光は言います。

 

景光「これから申すこと、そなたらへの祈りではない、取引である。もし、我が領土を守護し我に天下を握らせるならば、これよりほかに我が手に入るものをやろう。よいか、何でもだ。そなたたちの好きなものを取るが良い。返答やいかに!?」

 

そのとき地獄堂に雷が落ち、景光の額に十字の切り傷が刻まれました。──取引は成立しました。

 

その後、産気づいていた景光の妻・縫の方(ぬいのかた)が男の子を出産します。その直後にまた雷が落ち、赤ん坊の姿は一変。手も足も、目も鼻も、皮膚もなくなってしまったのです。産婆はすっかり腰を抜かしています。

 

縫の方「殿、わたくしは儚く愛おしいと思いました。どのような姿であろうとも、間違いなく殿とわたくしの子にございます」

 

縫の方、優しいですね。どうやらこれは鬼神のしわざだと気づい景光は、笑い出します。

 

景光「かなったぞ、これで我が望みはかなった。鬼神が取引に応じたのだ」

 

そこで景光は、床に転がる首がもげた観世音菩薩像を拾い上げます。それを見た側にいた女が「何かの身代わりではないかと」と、産婆の言葉を伝えます。

 

観世音菩薩は、人々を苦しみから救い利益をもたらすと信じられています。さまざまな姿がありますが、ここに登場する観世音菩薩像は、子どもを抱いています。つまり鬼子母神の姿です。

 

鬼子母神は、もともとインドで訶梨帝母(かりていも)と呼ばれていました。訶梨帝母は、とても残虐な性質でした。多くの子どもを産んだ母親でありながら、近隣の子どもをさらってきて食べてしまうので、人々から忌み嫌われていたのです。それを救おうと考えた釈迦は、訶梨帝母の末子を隠してしまいます。訶梨帝母は、末の子を探して嘆き悲しみます。このことから訶梨帝母は、子どもを奪われるのがどれほど辛いことかを知り、これまでの自らの過ちを悔い、釈迦に帰依して「安産・子育て」の神「鬼子母神」となったのです。

 

鬼子母神像の首は、何の身代わりなのでしょう。ここでは明らかにされていませんが、赤ん坊の「命」だったのでしょうか?

 

こうして後に育ての親から「百鬼丸」と名づけられる赤ん坊は、11カ所の欠損を抱えた姿で川に流されます。

 

それから16年後──。

 

戦乱の世を、たった一人でたくましく生きる「どろろ」の登場

 

とある村で小さな子どもが露店を開いています。「どろろ」です。「貴族のお姫さまが着ていた着物」に「ヤマタノオロチの酒瓶」・・・怪しいです。どうやらどろろは、人の荷物を盗んで嘘八百並べたてて売っていたようなのです。そこに荷物の持ち主がやってきて文句を言われても

 

どろろ「このご時世、子どもだからって油断する方が間抜けなんだよ。勉強になったろう?」

 

と、なんとも口が減らない。逃げ出すどろろですが、ついに荷物の持ち主たちに捕まり、河原でひどく殴られてしまいます。

 

そこに現れたのが百鬼丸。百鬼丸は、目も見えなければ耳も聞こえず声も発せません。手も足も義手、義足です。百鬼丸には、どろろたちが見えていません。ただ、化け物の気配を感じているだけです。

 

その驚異的な身体能力で、川を流れてきたヘドロのような化け物を退治した百鬼丸に駆け寄るどろろ。そのどろろの目の前で百鬼丸は小刻みに震えだし、やがて顔からポロリと面が落ち、本当の皮が戻ってきます

 

どろろ「あんた何なんだよ、人間なのかよ?」

 

驚くどろろが思わず口走ったこの一言が、じつはなかなか深いのですが、それはおいおい分かります。顔の皮を得た百鬼丸は、最後にパチリと瞬きします。生まれて初めての瞬きです。


 

タイトルにもなっている「どろろ」は、もう一人の主人公です。旧作アニメによると5歳の設定ですが、2019年版ではいろいろ設定が変わっているので、もう少し上かなぁという印象です。両親の愛情をしっかり受けて育っているので人の情をよく理解していて優しい反面、幼くして一人で生きているので生意気でしたたかなところがあります。この後、百鬼丸のよき相棒となります。

 

その頃、石川領では。醍醐景光の目の前で、地獄堂に雷が落ちます。どうしたことかと駆け付けた景光は、地獄堂の12の鬼神像のひとつが真っ二つに割れているのを目撃します。同時に土砂崩れが発生。百鬼丸が失った身体を取り戻したと同時に、我が子の身体を代償に得た石川領地の繁栄に陰りが現れたのです。

 

我が子を犠牲に領地と領民を救った景光、その陰で葬られようとした百鬼丸の因果、これ以降、百鬼丸と行動をともにするどろろとの出会い。さまざまな要素を無駄なく美しく収めた第1話でした。

 

[char no=”1″ char=”あいびー”]百鬼丸の脚はじつは片方はもうすでに本当の脚で、もう片方は義足です。そのため片方ずつ足音が違うところや、義手に仕込んだ刀を振るう殺陣のかっこよさ、どろろのしたたかさや声の可愛らしさなど、など。細かいところまで練り上げてつくられていて、傑作を予感させる素晴らしい初回です![/char]
▼第2話「万代の巻」の詳細あらすじと感想はこちらをどうぞ


▼「どろろ」関連のすべてのページ一覧はこちらです

 

スポンサーリンク