TVアニメ「蟲師」第1話「緑の座」。動物でもない植物でもない、生命の原初に近い存在「蟲」。「蟲」を巡る奇譚を集めた「蟲師」の世界の詳細あらすじと感想・考察を。


TVアニメ「蟲師」は、原作の独特な世界観とそれを十二分に描き切った高クオリティなアニメ作品

▲「蟲師」OPタイトル 出展/TVアニメ「蟲師」

 

「蟲師」は、1999年~2008年にかけて「月刊アフタヌーン」(講談社)を中心に掲載された漫画作品。数年を経て2013年、翌2014年にも特別編が連載された。作者は漫画家・漆原由紀。

 

「蟲師」は2005年から2014年までTVアニメ化され、原作漫画を忠実に再現したアニメは高く評価されている。

 

わたしも何度もくり返し観ているのに、再放送されるとつい見入ってしまうほど完成度の高いアニメ作品だ。今回は、少し古い作品なのにいつまでも古さを感じさせず光を放ち続ける「蟲師」の世界を深掘りしてみたい。

 

第1話「緑の座」/「蟲」とは? その本質を説く

▲さまざまな「蟲」を写したスケッチ 出展/TVアニメ「蟲師」

 

第一話

緑の座

midori no za

 

第1話では、本作品の肝である「蟲」という架空の存在について明確に語られている。

 

冒頭、遠い虫のざわめきを背景にとつとつとした語りが始まる。

 

およそ遠しとされしもの。

下等で奇怪。見慣れた動植物とはまるで違うとおぼしきモノ達。

それら異形の一群をヒトは古くから畏(おそ)れを含み いつしか総じて「蟲」と呼んだ。

 

舞台を中心にTVドラマや声優としても幅広く活躍する女優・土井美加さんの、全編を通じたこの郷愁を呼び起こす語りがまず心地良い。続いて墨と緑のみで描かれた樹々の葉をバックに、OP曲Ally Kerrの「The Sore Feet Song」が流れる。歌詞は英語だが、どこか懐かしさを覚える曲調と相まって、「蟲師」の世界によく合っている。この楽曲については後述に委ねるとして、まずは第1話本編に入っていこう。

 

山の描写が素晴らしい!

▲緑連なる山の風景 出展/TVアニメ「蟲師」

 

霧を抱いた緑の山々から本編は始まる。低い羽虫のうなりや鳴き交わす鳥のさえずり、そして「ホーホケキョ」と、はっきりとしたウグイスの声。緑の山々とウグイスの鳴き声から、そしてこの先登場するしんらの着物から7月頃の東北あたりが舞台ではないかと思える。とすれば、谷渡りの鳴き声も聞こえてよさそうだ。

 

手入れされていない古い針葉樹の描写や笹の下草、ヤツデの葉。生き物たちの出すさまざまな音の洪水。山の表現が特に素晴らしくて引き込まれる。わたしは幼い頃を山で過ごしたので、こういう描写には特に目ざとい。だいたいの場合は、あり得ない植物が描かれていたり、音が物足りなかったりすることが多いが、「蟲師」の山は素晴らしいと思う。

 

山は生命に溢れ、さまざまな気配が交錯する場所。決して気安くなく、人を拒む場所。そんな山のあり様が十分描かれている。実際の山に何度も足を運び、ていねいに再現したのだろうこの山の描き方ひとつ取っても、どれだけ真摯に作られた作品かがうかがえる。

 

主人公「ギンコ」は「蟲師」を生業とする男

▲主人公「蟲師」のギンコ 出展/TVアニメ「蟲師」

 

むせかえるような緑の山道を、白いシャツを着た白髪の男がタバコをくわえて歩いている。髪こそ白いもののそう年配者ではなく、20歳代にみえる。本作の主人公「蟲師」のギンコだ。

 

「誰か来る。なんか妙なヤツが来る。誰か来る」

 

鮮やかなオレンジ色の着物が樹々を渡っていった。ギンコが目の端にをそれを捕える。

 

ギンコ「なんか今いたな。猿かねぇ? ──しかし、緑が異様なくらい鮮やかなところだなぁ、ここは」

 

梢を見上げたギンコは独り言をつぶやいて、その目を山々に転じた。連なる山並みは、はるか遠くまで緑に彩られている。

 

やがてギンコがたどり着いた先は土塀に囲まれた山の一件家。そこには「五百蔵(いおろい)しんら」という名の少年が一人で暮らしている。少年には不思議な力があり、左手で絵を描くとそれはたちまち生命をもち、動き出してしまうのだ。

 

「五百蔵」とは耳慣れない名前だが、兵庫県または高知県をルーツとする苗字で、作者が山口県出身とのことから、関西以西に特有のこの苗字を採用したのだろう。

 

アニメの「五百蔵しんら」は、足首の出るやや丈の短い着物に兵児帯を締めている。少年の装いだ。おそらく年齢は15歳くらいだろうか? 声からしてもそんな印象だ。が、原作漫画の「五百蔵しんら」は、もう少し大人に近い雰囲気がある。はっきり描かれていないが、兵児帯ではなく角帯を締めているように見え、20歳少し前に思える。

 

「背景 日差しも徐々に和らぎ木々は萌え鳥の・・・」と、さらさら手紙文をしたためている様子や、この先に登場するお酒をたしなんでいるところ、さらにこんな山の一件家に4年前から一人暮らしできていることからも、わたしとしては大人設定の方がしっくりくる。

 

ともあれギンコは蟲師仲間から訊いた不思議な力をもつ少年「五百蔵しんら」を調査させてもらいたく手紙を送っていて、その返信をもらう前に当人の家を訪ねてきたのだ。

 

ちょうどしんらは、ギンコからの申し出を断る手紙を書いているところだった。

 

しんらの祖母は「新たな生物を生み出すなど、人のしてよい所業ではない。八百万の神々の怒りを受ける」といって「この性質を広めてはならない、なるべく眠らせておくように」と遺言した。だからしんらは祖母亡き後も一人こんな山奥の一件屋に住み続けているのだ。

 

「蟲師」の時代背景と物語の骨格

▲ギンコ以外の登場人物はほぼ和装姿 出展/TVアニメ「蟲師」

 

主人公「ギンコ」は、白シャツのカジュアルな洋装。対して五百蔵しんらは和服姿。後に出てくるしんらの祖母も和服姿だ。「蟲師」全編を通じてほとんどの登場人物が和装で、ギンコをはじめごく少数の者が洋装だ。

 

「蟲師」の時代背景は、原作者の言及により「江戸期と明治期の中間」で、「鎖国時代が続いているという設定の架空の時代」とのこと。今からざっと150年前の日本をモデルにした、ほぼ海外の影響を受けていない架空の世界となっている。

 

神隠しや奇病など奇妙な出来事が科学的な検証がされず、伝奇として伝わっているのが「蟲師」の舞台。これらの伝奇は架空の生命体「蟲」を介したものであり、ギンコがあちこち旅しながら解き明かしていくというのが、「蟲師」という作品の骨格となっている。

 

「蟲」が引き起こす奇妙な現象は、民話に登場するような、どこか既視感のあるものが多い。それらを「蟲」をつかって説明すると不思議とピタリとはまる。味つけとしては、ほのぼのとした「日本むかしばなし」でもなければ「夏目友人帳」でもない。もっと人々の生活に深く根付いていて、どちらかというと人間の負の側面が垣間見られることが多い。しかも主人公「ギンコ」はそう若くもなければイケメンとも言い難い。

 

つまり「蟲師」は対象読者として子どもも若者も設定していない。原作漫画の最初から「大人」を相手にした作品といえる。奇伝の裏に隠された人の業がときに苦く、ときに痛く、ときに心を打つ。オムニバス形式で語られるそれぞれの蟲と人との関わりが生み出す物語ひとつひとつが、じんわり響く「大人」の読み応えある漫画作品であり、見ごたえあるアニメ作品である。

 

「蟲」とは、生命そのもの

▲「ここいらにいるのが菌類や微生物」 出展/TVアニメ「蟲師」

 

しんらは「調査」は拒んだものの、滅多に訪れない客のギンコを引きとめた。「世間話ならぜひともつきあってほしいんですよ」と。山奥の一人暮らしは、それは寂しいものだろうから、無理もない。

 

しんらが漬けた果実酒を飲みながら二人は話す。いつもしんらを気にかけてくれていた祖母の廉子(れんず)のこと。しんらには「奇妙なもの」が見えること。しんらはそれら「奇妙なもの」を右手で描いたスケッチをギンコに見せた。描いたものが動き出すのは左手で描いたときのみで、右手で描けばそれはただの絵なのだ。

 

ギンコは一目見るなりそれらは「蟲」だと答えた。冒頭でさらりと触れられている「蟲」について、ここでギンコはさらに詳しく説明する。

 

ギンコ「それは、これらが皆「蟲」だからだ。昆虫や爬虫類とは一線を引く「蟲」だ。大雑把に言うとこうだ。こっちの手のこっちの4本が動物で、親指を植物を示すとするぜ? するとヒトはここ──心臓から一番遠い中指の先端にいるってことになるだろ」

 

ギンコは、自分の左手を見せながら説明する。一番長い中指を差しながら、これがヒトだと言う。人差し指、薬指、小指はヒト以外の動物だ。それらは哺乳類、爬虫類、両生類、鳥類、魚類などが含まれる。少し離れている親指が植物だ。

 

ギンコ「手の内側にいく程、下等な生物になっていく。辿っていくと、手首あたりで血管がひとつになってるだろ。ここらにいるのが菌類や微生物だ。この辺りまで遡ると、植物と動物との区別をつけるのは難しくなってくる。けどまだまだ、その先にいるモノたちがある。

 

指先から始まった生命の進化を遡る旅は手首を通り腕を過ぎ、肘から二の腕、肩、ついに心臓へとたどり着く。

 

ギンコ「腕を遡り、肩も通り過ぎる。そしておそらく、ここら辺にいるモノたちを「蟲」あるいは「みどりもの」と呼ぶ。生命そのものに近いモノ達だ。そのモノに近いだけあって、形や存在が曖昧で、それらが見える性質と、そうでない者に分かれてくる」

 

しんら「うん、透けてるのもいる。幽霊みたいに」

 

ギンコ「いわゆる幽霊ってヤツの中にも、正体は蟲だというものもある。ヒトに擬態できるモノもいるからな」

 

蟲は、生命の進化のもっとも原初に位置するモノたち。形や存在が曖昧で、それが見えるヒトと、見えない人に分かれるという。しんらは蟲が見える性質で、祖母の廉子は蟲が見えない性質だった。そして蟲にはさまざまな能力をもつモノがいて、ヒトに擬態できる蟲もいるという。

 

「蟲」という奇妙な生命体の概念を、指、腕、心臓を使って視覚的に説明する方法は、原作そのまま。優れて視覚的で特異な説明なのに説得力をもつ。生物の進化を説明するこんな方法は、生物学ではよくあることなのか、それとも作者オリジナルなのか。オリジナルだとすれば、素晴らしい創造力だと感心する。

 

廉子の半分は蟲だった

▲半分蟲の廉子は少女の姿のまま 出展/TVアニメ「蟲師」

 

夜半、トイレに立ったギンコは、廊下の暗がりにふと妙な気配を感じる。用心のため蟲を刺す「蟲ピン」を取り出したところで、上から声が降ってきた。

 

「へぇ、蟲ピンだ。そいつで蟲を串刺しにして飾るのか、卑しい蟲師め」

 

オレンジ色の着物姿の短い髪の少女だった。山を歩くギンコを高い木の枝から見つけて「誰か来る」と警戒していたあのオレンジ色の着物の主だ。彼女は今、廊下の天井近くに浮いたまま、ギンコを睨んでいる。

 

ギンコ「卑しい? 蟲に言われたかねーよ」

 

どうやらオレンジ色の着物を着た少女は蟲のようだ。ギンコには一目でそれが分かった。少女の胸元からコトリと半欠けの緑色の盃が落ちた。すかさずギンコが拾い上げる。

 

少女「うるさい返せ。ずうずうしく人の家あがりこみやがって、とっとと出ていけ」

 

ギンコ「ん? はーなるほど、そういうことか。おまえは元々ヒトだったのが蟲の性質を得た類のものだろ。蟲として不完全だからそんなに弱いんだな。緑の半欠けの盃。これで何故おまえがそうなったかも見当がつく。おまえが誰かってこともな。おまえの名は「廉子(れんず)」だ。ここへ来る前に、しんらのことは調べさせてもらったからな。俺に、この盃を元に戻す案があるが、聞いてみるか? 廉子ばあさん」

 

蟲の生態に詳しいギンコには、すぐに事情が分かったようだった。ここからはギンコの説明だ。

 

「蟲の宴」という現象がある。蟲がヒトに擬態して円座に座り酒をふるまうというもので、その酒を飲み干せばヒトは蟲となってしまう。そこに招かれたのが少女の頃の廉子だった。しかし宴は、思わぬ邪魔が入り中断してしまう。

 

手渡された緑の盃を満たす酒を半分だけ飲んだ廉子だが、宴が中断されたため結局、蟲になりきることはなかった。盃は半分に割れ、片方はヒトの廉子の体内に宿り、もう片方は半分蟲の廉子の手に残った。ヒトの廉子は何事もなかったように家に帰り、半分蟲の廉子もまた家に棲みついている。

 

ヒトの廉子は年を取り4年前にこの世を去ったが、半分蟲の廉子は少女の姿のまま今も家にいる。

 

しんらは蟲を見る力をもつが、蟲の廉子は半分しか蟲でないのでしんらには見えないようだ。そこで、それを見えるようにしてやるとギンコは提案する。──それはつまり、廉子を完全な蟲にする方法だ。

 

廉子「本当か。本当にそうすれば、しんらに会うことができるのか」

 

それまでギンコを警戒しきつい目つきだった廉子は、愛らしい少女の顔で涙を流した。自分がいるのに一向にしんらに気づいてもらえない寂しさを、これまでずっとかみしめてきたのだろう。

 

廉子を完全な蟲にするにはしんらの協力が必要だった。すべてを話したギンコの提案に、しんらも頷いた。

 

半分蟲の廉子は完全な蟲に。そしてしんらも──。

▲光酒を飲むしんら 出展/TVアニメ「蟲師」

 

半分蟲の廉子を完全な蟲にするには、もう一度、蟲からもらった盃であの酒を飲まなければならない。そのためには、欠けた盃のもう半分が必要──そこでギンコは、生き物を生むことができる神の手である左手で、その盃を想像して描くようしんらを促す。

 

しんら「緑・・・のような気がする。この国の緑のような、濃くて鮮やかな。・・・それで、平たくて円い形」

 

ギンコ曰く、ヒトの廉子が体内に宿して持ち帰った盃の半分は、子から孫へと受け継がれるという。だからしんらは、どんな盃だったか聞かずとも、それが平たくて円い形の鮮やかな緑色をした盃だと分かり、描くことができた。

 

しんらの絵から生み出された盃はすぐに半分に割れ、片方の欠片は煙と消えた。残った半欠けと、蟲の廉子がもっていた半欠けを合わせると、それはピタリと合わさった。盃の底から金色に光る酒が染みだしてくる。

 

盃を両手で受け取った廉子が酒を飲むと、少しずつしんらにも身体が見えるようになってきた。緑に映えるオレンジ色の着物に幅の広い緑色の兵児帯を締めた裸足の廉子。しんらは、少女のばあちゃんに少し照れている。

 

ギンコ「ほら、おまえもいっとけ。祝いの酒だ」

 

ギンコはしんらにも盃を渡し、酒をすすめる。「うん」と応じて盃を受け取るしんらだが──あれ? それを飲んだらしんらも・・・。

 

光酒(こうき)は、命の源

▲「蟲の宴」の輪に座る廉子 出展/TVアニメ「蟲師」

 

ところでなぜ蟲たちは「蟲の宴」を開き、少女の廉子を招いたのか。それは、蟲自身が語っている。

 

「これより31年後に誕生するそなたの孫は、生物世界を変える程の特異な性質をもって生まれてくる。そなたには、生涯その目付けをしてほしいのだ。それがその子どもとこの世界にとって幸福なことなのだ。それを望まれるなら、そなたに力を与えよう。さぁ、残りの酒をすべて飲み干されよ」

 

どうやらこの蟲は未来を見通せる力をもつ。やがて生まれる廉子の孫が神の左手をもつことを見越して、その力が決して広まらないよう生涯目付けをしてもらうために、廉子に酒をふるまったのだという。

 

ここで重要なのは「生涯」の示す意味。ここでいう「生涯」は人である「廉子の生涯」ではない。「しんらの生涯」だ。人である廉子に、孫の「しんらの生涯」を目付けすることはできない。自然の摂理に従って、廉子の方が先に逝く。

 

ところが、廉子が蟲になれば「しんらの生涯」を通じて目付けすることは可能だ。どうやら蟲の生命は、人のそれよりはるかに長い。だから蟲は「蟲の宴」を開き、廉子に酒を飲ませて蟲にしようとしたのだった。

 

そんなことができるこの金色に光る酒とは──これは「光酒(こうき)」と呼ばれるもので、それ自体が命を生み出す生き物なのだ。蟲は、「光酒」についてこう説明している。

 

「それは光酒という生き物。普段は真の闇の底で巨大な光脈をつくり、泳ぎ回っておるものだが、それを抽出することのできるその盃を特別にそなたのために作ったのだ。それはこの世界に生命が生まれたときから流れ出て──それが近づいた土地は草青み、命芽吹き、遠ざかれば枯渇する。つまり命の水。この世にこれより美味いものはない」

 

この「光酒」も「蟲」の一種なのだろう。「=命」と読み替えてもいいほど根源的なもの。それが地中深く流れていて、その光脈に当たる土地は生命に溢れる。ここで冒頭の緑濃く数限りない生命に溢れた山の描写が、重要な意味を伴い立ち上がってくる。

 

その左手で描いたものが生命をもってしまうほど特異な力をもつ子どもが生まれる地。「──しかし、緑が異様なくらい鮮やかなところだなぁ、ここは」と、思わずギンコがつぶやいたこの豊かな緑の座す地は、光酒が流れる光脈の上に位置するのだろう。今回のエピソードは、すべて光酒が生んだ濃い生命の影響だったのだ。

 

ギンコ去る

▲光酒の湧く盃を手にギンコは山を下りる 出展/TVアニメ「蟲師」

 

翌朝、ギンコはひっそりと山の家を去る。昨晩、緑の盃から溢れた光酒がしみ込んだあたりは一面の苔に覆われている。そこには廉子が立っていた。

 

廉子「しんらの調査とやらはあきらめるのか」

 

ギンコ「そーなぁ、面倒なお目付け役が復活しちまったからなぁ」

 

そう聞いて、廉子の表情がゆるむ。

 

廉子「調査抜きでなら、近くに来たとき寄るといい。仕方がないとはいえ、こんなところに一人では、しんらもさみしかろう」

 

ギンコ「別にその必要はないんじゃないか。これからは、いつでもあんたが側にいるんだから」

 

男前な言葉を残してギンコはタバコをくゆらせながら山道を遠ざかる。後にしんらが気づいたことだが、ギンコはちゃっかり例の緑の盃をお礼代わりに持ち去っていた。

 

これは人の営みと感情を描く、良質な伝奇物語

▲ヒトでも蟲でもないモノになってしまった廉子の悲しみが、しんらに涙を流させる 出展/TVアニメ「蟲師」

 

本作は伝奇もの──時代設定的にも落ち着いた作り的にもあえてカタカナは使いたくないが、ジャンル的には「ホラーファンタジー」の範疇になる。流行りの「ダークファンタジー」はもっとグロさが強く少し性格が違う。他作品では「魔法使いの嫁」が「ホラーファンタジー」の範疇に入ると思う。

 

わたしは「ホラーファンタジー」作品は好きで以前よく読んだが、次第に雰囲気重視とご都合主義が鼻につき読むのをやめたという過去がある。やや倒錯した雰囲気と現実を超越したご都合主義な展開は底が浅いことが多く、なんとなく分かったような分からないような、それでも強引に話しをねじ伏せてしまうような力業でエンディングにもっていく。「蟲師」第1話にも、ややそんな片鱗が見て取れる。

 

ここに登場する神の左手をもつ少年と、半分蟲になってしまった廉子という奇妙な二人。二人とも現実にはあり得ない存在だ。そこに関わる蟲や光酒という設定も荒唐無稽。しかもそれらを瞬時に見破ってしまうギンコの慧眼も、あまりにご都合主義。そう斜めに見てしまうこともできる。

 

それでも本作を良質と言えるのは、そこに人の営みと感情がきちんと描かれているからだと思う。

 

しんらは生まれたときから側で見守ってくれてきた祖母が大好きで、亡くなってから4年たっても祖母のいいつけを守り通している。一方、半分蟲になった廉子はヒトの廉子と同じようにしんらの家にいるのに視線を合わせることもできなければ言葉を交わすこともできず寂しい気持ちで過ごしている。

 

第1話では、「蟲師」の屋台骨ともいえる「蟲」という存在と、「光酒」と呼ばれる命の源についてていねいに語られている。これがメインテーマだ。しかし、しんらと廉子の心の交流もサブテーマとしてしっかり描くことで、上質な物語に仕上げている。

 

長い生命をもつ蟲の完全体になった廉子と孫のしんら。これからも二人はしんらの左手の力を誰に知られることなくこの山深い一件家で暮らし続けることだろう。穏やかに、平和に。

 

【追記】以前わたしは、しんらも光酒を飲むことで蟲となったのだろうと推論していたが、後に光酒は「蟲患いの万能薬」と語られ、ギンコが蟲患いで弱っている者に飲ませる描写が登場する。つまりただ光酒を飲んでも蟲にならず、廉子の場合は特殊ケースだったようだ。通常の蟲に心はない。しかし廉子は「蟲の宴」に招かれたことで、ヒトとしての意識を保ちつつ蟲になったのだろう。しんらは、普通のヒトとして一生を送ったと思われる。

 

pic up/廉子の着物の柄は「やどり木」

▲廉子のオレンジ色の着物は緑によく映える 出展/TVアニメ「蟲師」

 

少女の廉子が着ているオレンジ色の着物について。オレンジ色は緑色と補色関係にあり、緑にもっとも映える色としてオレンジ色が選ばれたのだろう。原作漫画でも廉子の着物はアニメとまったく同じ、オレンジ色だ。

 

ちなみに、しんらの着物はアニメでは白一色だが、原作漫画では白一色の日と地模様がついている日がある。地模様は浴衣でよく見かける模様なので、しんらは浴衣を着ている設定だろうと思われる。

 

▲やどり木は常緑なので冬によく見つけられる

 

廉子の着物に描かれているのは、実をつけたやどり木。やどり木は、他の樹木に寄生して生きている。半分蟲の廉子は、ヒトに光酒が寄生しているような状態だと暗示しているのだろう。

 

クリスマスの季節にやどり木の下で恋人同士がキスをすると結婚することができる、という言い伝えがあることから西欧の植物と思われがちだが、じつは日本にも自生している。やどり木は常緑なので、木の葉を落とした冬の樹木でよく見つけられる。スキー場や、身近なところでは街路樹で見かけることもある。

 

▲やどり木の実には粘着力があり、鳥に運ばれ樹木に取りつく

 

やどり木は樹木にとりつき、樹木から樹液を吸い上げ生きている。が、けして樹木を枯らすことはない。樹木が枯れればやどり木自身も生きていけないからだ。やどり木と樹木はお互いに折り合いをつけながら共生している。その関係が、「蟲師」の世界のヒトと蟲との関係と共通している。

 

日本人は自然を屈服させるのではなく、折り合いをつけながら共生してきた。そんな日本人の生き方を、「蟲師」の世界はさまざまなエピソードで見せてくれる。第2話以降も楽しみだ。

 

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