TVアニメ「蟲師」第2話「瞼の光」。動物でもない植物でもない、生命の原初に近い存在「蟲」。「蟲」を巡る奇譚を集めた「蟲師」の世界の詳細あらすじと感想・考察を。
第2話「瞼の光」/蟲に目玉を喰われた少女の物語
出展/TVアニメ「蟲師」
第二話
瞼の光
mabuta no hikari
「蟲師」第2話も前話と同じ、あの心地よい語りから始まる。
およそ遠しとされしもの。
下等で奇怪。見慣れた動植物とはまるで違うとおぼしきモノ達。
それら異形の一群をヒトは古くから畏(おそ)れを含み いつしか総じて「蟲」と呼んだ。
今回は、蟲が引き起こすどんな怪事件が起きるのだろうか。この語りで一気に「蟲師」の世界に引き込まれる。
騒がしい小鳥の鳴き声とともに、重いものを引きずるような音が響く。木漏れ日が斜めから射し、気持ちの良い朝の風景だ。緑の木々の中に建つ土蔵の戸を、少年がガラガラと開け、中に入って閉じる。美しい外の景色も音も消え、画面は真っ暗闇になる。
ビキ「おはよう、スイ」
スイ「おはよう、ビキ」
蔵に入ってきた少年はビキ。そして、真っ暗な倉の中にいるというのに、さらに黒い包帯を目に巻いて座っている少女はスイといった。
スイは本家の娘で、光が当たると目が痛むという奇病を半年ほど前に患った。どこの医者に診せても治らないので、より丈夫な光を遮断する蔵があるビキの家に預けられたのだった。スイに食事を届け、包帯を取り換えるのがビキの日課だ。
今回は、目に巣くう蟲についての物語だ。少女は暗闇にいる。一方ビキは明るい世界にいる。その明暗の対比、そして暗闇で頼りになる音が印象的に表現されている。
ふたつめの瞼を閉じると見えるモノ
▲「その光はよく見ると全部、小さな蟲でね」 出展/TVアニメ「蟲師」
その日、スイは妙なことを言った。
スイ「瞼の裏にね、もうひとつ瞼があるの。そこは絶対に外の光が届かないところで、蟲はそこにいるのよ」
ビキ「二つめの瞼?」
スイ「そうよ。ビキは閉じ方知らないの? じゃぁ教えたげる。目を閉じて」
ほぼ確信するが、ほとんどの人がスイの言葉に従い実際に瞼を閉じてみたことだろう。瞼を閉じても暗闇にはならない。眼球は、瞼を通して外のぼんやりとした光を捕える。光の届かない蔵の中にいるビキには、何かチカチカしたものが見えたようだ。
スイ「でしょ。一度、瞼を閉じても目はまだその瞼を見ていて、本当には閉じていないの。だから本当の真っ暗闇がほしい時、そのチカチカを見ている目玉をもう一度閉じるの。──そうしたら、上の方から本当の闇が降りてくる」
瞼の内側のもうひとつの瞼。ビキは閉じられなかったようだ。そして、わたしにも閉じ方が分からなかった。
そんなやりとりの後、スイとビキは真っ暗な蔵の中で遊ぶ。声を頼りにゆっくりとした追いかけっこをしたり、鈴のついた毬をついたり。ふとビキは不思議に思う。蔵に入ってすぐは何も見えないのに、しばらくして目が慣れてくると、ぼんやりモノの輪郭が見えてくるのはなぜだろう?
そんな経験をしたことのある人も、それをビキと同じように「なぜだろう?」と不思議に思った人も多いだろう。わたしも、そう思ったことがある。もちろん答えなど見つからなくて「そんなものか」と何となく納得してきたわけだが。それにスイはキッパリ答える。
スイ「地面の下に光の河が流れているからよ。ふたつめの瞼を閉じると見えるよ。ずーっと本当の闇を見ているとね、遠くの方から光の粒が見えてきて、それがどんどん洪水になるの。その光はよく見ると全部、小さな蟲でね。でも、もっと近くで観ようとして近付くと・・・会ったことない知らない人よ。片目の男の人がいつも河の向こう岸にいてそう言うの」
これは──前回「緑の座」で登場した「光酒」ではないか? スイはふたつめの瞼を閉じて光酒の流れを見ているのだ。暗闇でモノの輪郭が見えてくるのは、地面の下に光酒が流れているからというなら、その説を否定する理由はない。なにしろ、わたしも暗闇でモノが見える不思議を経験したことがあるのだから。
だれもが経験したことのある事柄をベースに作者の創造物である「蟲」の存在を信じさせる手法は、なかなか巧妙だ。読者または視聴者は、これはフィクションだと思いながらも、どこかで嘘とも言い難いような錯覚を掻き立てられる。うまいと思う。
心の天秤は揺れる。本家の体裁と娘の病気。自分の息子の健康と他人への思いやり
▲蔵に長く居すぎるとビキを心配する母 出展/TVアニメ「蟲師」
蔵に病気の娘を閉じ込める。この設定はやや重いが、実際にいくらもあったことだ。村社会は、お互いの助け合いで成り立っている。その反面、狭い監視社会でもある。村で問題を起こしそうな者がいないか、誰もが他人を監視し情報交換(つまり噂話)し合っている。それが「本家」の人間なら、かっこうの噂話のネタになる。
だから体裁を重んじる「本家」の嫁であるスイの母親は、分家筋のビキの家の土蔵にスイを隠したのだろう。ビキの母親は「スイの病気が伝染するのが怖くて手放したんでしょう」と言うけれど、それだけではなかったはず。ビキが感じた通り「捨てていった」のだ。ビキの母親としては本家の頼みを断ることができないし、スイを可哀想にも思っている。だから面倒を引き受けたのだろう。
しかし、だからといって、息子のビキにまで同じ病気を伝染されてはたまらない。スイを可哀想だと思う気持ちと、ビキを心配する気持ちの間で揺れるビキの母親の心がリアルで痛い。
真っ黒な眼窩から大量の蟲がドロドロ噴出する!
▲眼窩からドロドロと! 出展/TVアニメ「蟲師」
しかし母親の心配が的中し、ついにビキも光で目が痛むと言い始める。ここでようやく、ギンコの登場だ。縁側から勝手に入り込んだギンコはビキに薬と鎮痛剤を与えた。これだけでビキは大丈夫だろうと言う。問題はスイの方だ。
スイの両目は死んでいた。ギンコいわく。
ギンコ「ふたつめの瞼は、長い時間閉じすぎると闇に眼玉が喰われるんだよ」
それでも、何とかしてみると請け合って、月の下でギンコの治療が始まる。ギンコに言われた通り、スイがふたつめの瞼を閉じたまま目を開けると、スイの眼窩は真っ黒だった。そこからドロリとなにかが溢れ出る。よく見ると、それは小さな蟲たちだった。
大量の蟲の中から、うねる黒ヘビのような蟲をつかんだギンコはそれを仕留めた。スイの眼窩から溢れた大量の小さな蟲たちは、またスイの中にもどってしまったが、とりあえずこれで、これ以上ひどくはならないらしい。
ギンコは自分の片目から眼球を取り出す──といっても、もちろん義眼だが。ガラスでできたギンコの義眼は緑色をしている。そこにさっきの液状の蟲を注入すると、義眼は生命を宿すのだという。
なにかと驚くビキに「きみ、さっきから驚きすぎ」とギンコは言うが、ビキでなくても驚くだろう! なにしろ真っ黒な眼窩だけでも不気味なのに、そこから大量にドロドロしたものが溢れるのだから相当気持ち悪い。そのドロドロがまたスイの身体に戻っていくのも、背中を逆撫でされるような気分だ。しかもギンコは指を自分の目に突っ込んで目玉を取り出すのだ。
こういう演出を見ると、なるほど「ホラーファンタジー」作品なのだと頷ける。ちょっと病みそうになる怖さだ。
現実と非現実の狭間に紡がれる物語
▲ガラスの義眼が生命を得る 出展/TVアニメ「蟲師」
ビキはギンコに訊ねる。
ビキ「あなたたちが見ていた光の河の正体って、一体何?」
これに対して、ギンコは奇妙な答え方をする。
ギンコ「おまえは忘れてしまったのか? おまえも昔はあんなだったじゃないか」
と。
前回の指や腕を使ったギンコの説明によると、蟲とは生命の起源の頃の姿。ヒトに繋がるずっとずっとご先祖様の姿だ。だとすれば、この身体も、蟲の集合体のようなもので、スイの身体から大量の蟲が溢れ出ても、そこにまた蟲が戻って行っても、何もおかしなことではないのかも知れない。
ただ「おまえも昔はあんなだったじゃないか」と言われても、そんなとんでもない昔の記憶など、ヒトは覚えていない。脳のどこかには、あるのかも知れないけれど。
人間は光を手に入れた頃から、ふたつめの瞼の閉じ方を忘れたのだという。が、それは生きるものとしては良かったのかもしれない。かつて人間は「そのもの」を見すぎたばかりに、目玉を失う者も多かったというから。
ギンコは蟲を注入したガラスの義眼をスイの左目に入れた。スイの左目は生命を宿し、ふたたびスイは光の中でさまざまなものを見ることができるようになった。不思議な物語だったが、ギンコの活躍により一件落着だ。
pick up/「蟲」とは「細菌」からヒントを得た存在ではないか?
原作者が「蟲」や「光酒」の存在をどんなふうに思いついたのか詳細は分からないが、そのヒントは細菌ではないかと思っている。
わたしたちヒトには、さまざまな常在細菌がいて、お互いに共生しながら生きている。有名なところでは腸内のビフィズス菌。ビフィズス菌を良い状態で保つことで、腸内を健康に保つことができる。皮膚には表皮ブドウ球菌などがいて、皮膚を弱酸性に健康に保つことに役立っている。
これら細菌はヒトとは別の生物だが、ヒトは常在細菌に棲みかを提供して身体の健康に役立ってもらっているし、常在細菌はヒトからエサを得て生きている。驚くことに、細胞に含まれる「ミトコンドリア」すら常在細菌であるらしい。
こう考えると、ヒトは単体の生物というよりは、数限りない細菌の集合体ではないかと思えてこないだろうか?
しかも細菌にはヒトに害を及ぼすモノもいる。たとえば虫歯の原因になるミュータンス菌や、歯を失う原因になる歯周病菌など。同じ細菌でも、ヒトの役に立ち共生している細菌もいれば害を与える細菌もいる。
「蟲」を「細菌」と言い換えれば、この「蟲師」の世界観は容易に飲み込める。ヒトもはるか昔には細菌だったわけだし。
登場人物の心理描写が優れていて、さらに荒唐無稽と切り捨てるには「蟲」の存在に妙に説得力がある──これが「蟲師」の世界観のリアルを担保している。とてもユニークで魅力的な物語だと思う。
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