TVアニメ「蟲師」第12話「眇の魚」。動物でもない植物でもない、生命の原初に近い存在「蟲」。「蟲」を巡る奇譚を集めた「蟲師」の世界の詳細あらすじと感想・考察を。



第12話/「思い出を手放す」──生きるには、ときにはそれも必要なこと

▲出展/TVアニメ「蟲師」

 

第十二話

眇の魚

sugame no uo

 

白髪に碧の片目という異様な容貌をもつ、さすらいの蟲師ギンコ。今回は、ギンコ自身が忘れてしまっている、彼の過去が描かれる興味深い物語だ。なぜギンコが白髪で碧の片目なのかの謎も。タイトルにある「眇(すがめ)」とは片目という意味で、作中に片目の魚が登場するのだが、その姿がギンコにオーバーラップする。

 

少年の名は「ヨキ」といった

▲女の家で目を覚ましたヨキ 出展/TVアニメ「蟲師」

 

月下の森に倒れている少年を、長い白髪を垂らした女が助けるところから物語は始まる。女の家で目を覚ました少年は、天井に集まる光る蟲を眺めていた。

 

「おまえ、蟲が見えるのか?」

 

天井にいる蟲のせいか、それとも女の奇妙な様相のせいか、少年は言葉が出ない。女は長い白髪を垂らしているが、見た目はそう年取っていない。20代後半か、せいぜい30代前半に見える。目は左目だけで、ガラスのような緑色だ。

 

「怯えることはない。あぁいうまだ光を帯びている輩は、大した影響力を持たない。──それとも、私の方が恐ろしいか?」

 

女は水薬を置いて家から出ていった。「早く治して出てっとくれ。長居はお断りだよ」と、素っ気ない言葉を残して。女の家には、何かの植物を乾燥させたものや、瓶が並ぶ。さらに書や巻物も。少年はおそるおそる水薬に手を伸ばしたが──案の定まずかった。

 

少年は「ヨキ」と言った。行商の母親と二人で旅をしながら暮らしていた。生来ヨキは蟲の見える性質だったが、母親には見えないらしく、「そんなものは幻だよ」と言っていた。

 

その日、ヨキの母親は山道で迷ってしまっていた。やがて土砂降りの雨が降ってきて

 

──。

 

泥の中からヨキは這い出した。傍らには、岩の下敷きになった母親が動かない・・・二人は土砂崩れに巻き込まれ、ヨキだけが助かったのだ。動かぬ母親の側に座り込み、呆然自失のまま少年は時を過ごす。夜になり、1本足のクラゲのような蟲に誘われ、少年は森の奥へと歩きだした。

 

その後、森に倒れていたところを、白髪の女に助けられたのだ。母親を亡くしたことを思いだしたヨキは、声を殺して涙した。ヨキは芯の強い子だ。

 

蟲とは「我々の”命”の、別の形」

▲ぬいは、長い白髪に碧眼の片目 出展/TVアニメ「蟲師」

 

数日が経ち、ケガをしたヨキの片足も、だいぶ動かせるようになってきた。女の家は池の側に建っていたので、ヨキは杖をついて池の端まで歩いてみた。池には奇妙な魚がいた。真っ白で、どれも片目がなかった。残った方の目は緑色だ。まるで、ヨキを助けた女とそっくりに。

 

背後から声がかかり、振り向くとそこに女が立っていた。

 

「池に棲む蟲のせいだ。夜や明け方は近づくんじゃないよ」

 

自分が見える奇妙なものたちが女にも見えるようなので、ヨキはそれについて訊ねる。

 

ヨキ「あの・・・、あれらは幻じゃ、ないんだよね」

 

「我々と同じように存在してるとも。幻だとも言えない。ただ、影響は及ぼしてくる」

 

ヨキ「俺らとは、まったく違うものなの?」

 

「在り方は違うが、断絶された存在ではない。我々の”命”の、別の形だ」

 

じつはこのヨキ少年が後のギンコで、この女は「ぬい」という。ぬいは、かつて蟲師をしていたので蟲に詳しい。ぬいはヨキに、蟲について的確に説明する。

 

蟲とは──第1話でギンコ自身が腕を使って説明しているように、生命のひとつの形だ。一番長い中指の先にいるのが人だとすれば、その周りにいる指──人差し指、薬指、小指は、別の動物たちだ。それらと少し離れた親指は植物。血管をたどっていくと、それらは手首のあたりで一つになる。つまり、動物も植物も、形は違えど同じ命の別の形だ。

 

蟲とは、手首よりさらに遡り心臓のあたりにいるもの。命の根源に近い存在。生物の進化の過程でいえば、人と遠くかけ離れたところに蟲はいる。しかし、命の別の形であることに違いはない。

 

これまで母親に幻だと言われ続けてきたものを、ぬいは実在していると言ってくれた。ヨキはどんなに嬉しかったろうか。そして蟲に、これまでより強い興味がわく。

 

「トコヤミ」と「銀蠱(ぎんこ)」

▲池に棲む眇の魚 出展/TVアニメ「蟲師」

 

また別の日、ヨキは池の蟲について訊ねる。

 

ヨキ「ずっと気になってたんだけど、池の蟲って、どんなヤツなの、教えてよ」

 

ぬい「姿は、闇としか言えない」

 

ヨキ「闇?」

 

ぬい「そう。闇には二つある。ひとつは目を閉じたり蔵の中や月のない夜──陽や明かりを遮った時にできる闇。もうひとつが、常の闇(とこのやみ)。昼間はああした暗いところでじっとしているが、夜になると池を出て小さき蟲を食う」

 

ぬいは女性にしては声が低く、ぶっきらぼうだが、口で言うほどヨキを邪険にしていない。ヨキに蟲が見えると知ってか、いつもていねいに教えている。

 

ヨキ「池の魚やぬいさんが、そんな髪や目になったのは?」

 

ぬい「明け方、時に池が銀色に光っている事がある。おそらく、食った蟲を光に分解してるのだろう。あれを繰り返し浴びるとこうなるようだ」

 

ヨキ「それじゃぁ、ここにいたらもうひとつの目もなくなるんじゃないの?」

 

ぬい「池の魚を見たろう。不思議と両目のない魚はいない。そういうふうにできてるんだろうさ」

 

言うまでもなく、池の魚やぬいの姿は後のギンコと同じだ。少年のヨキは黒髪で、両目とも健在でしかも黒い目をしている。この池が放つ銀色の光を浴びて、白髪、碧の片目の姿になったのだろう。

 

ヨキ「その蟲、何ていう名前なの」

 

ぬい「闇のような姿のものはトコヤミという。光を放つのは、トコヤミに棲む別の蟲のようだが・・・そいつに名があるかは知らない。私は”銀蠱(ぎんこ)”と呼んでいる」

トコヤミから抜ける方法

▲初めて葉巻を吸うヨキ 出展/TVアニメ「蟲師」

 

ヨキはぬいとの生活を楽しんでいるようだ。なにしろ、ぬいには蟲が見えるので、気が楽なのだろう。

 

あるとき、森の木に小さな蟲が絡まり大きな蟲だまりを作っているところに出くわした。するとぬいは葉巻に火をつけ、その煙で絡まった蟲たちを散らした。

 

ヨキ「ねぇ、俺にもできる?」

 

ヨキが訊ねると「少々クセがきついぞ」と言いながら葉巻を吸わせてくれた。──もちろん、ヨキは盛大に咳き込み、それを見たぬいは声を上げて笑う。(「そうか、ギンコがいつも咥えている葉巻は、蟲散らしの葉巻なのか」と、納得した人も多いだろう。かくいう私も──ポンと膝を打つ)。

 

ぬいも、少なからずヨキとの生活を楽しんでいるように見える。

 

すっかり日が暮れた帰り道、明かりも持たずにぬいは歩く。歩きづらいヨキが「明かりつけようよ」と促すと、ようやくぬいは気がついた。

 

ぬい「私の目は夜目が利くのでな、つい・・・」

 

碧の目は夜目が利くらしい。──そういえば前作「やまねむる」で、ムジカがクチナワを呼んでいると気づいたギンコが、明かりも持たずに山に分け入っていた。なるほど、そうだったのかと今更気づく。

 

ぬいは提灯に火を入れ、ヨキと並んで歩き始めた。

 

ぬい「なぁヨキ。夜、山を一人で歩いているとな、さっきまで道を照らしていた月が急に見えなくなったり、星が消えたりして方向がわからなくなる時がある。それは普通にもある事だが、さらに自分の名前や過去の事も思いだせなくなってるようなら、それはトコヤミが側に来ているためだ。どうにか思い出せれば抜けられるという」

 

ヨキ「どうしても思い出せない時は?」

 

ぬい「何でもいい。すぐ思いつく名をつければいいそうだ」

 

ヨキ「そんなんでいいの?」

 

ぬい「その代わり、前の名だった頃の事は、思いだせなくなるそうだがね」

 

まぁこれはフラグで、後にヨキはそういう事態に陥り、その時つい口から出たのが「ギンコ」だったのだろうと気づく。さらに前の名だった頃のこと──つまり、今ヨキがもっている記憶も、これからぬいと重ねていく記憶もなくなってしまうのだと予告されている。

 

ぬいの過去

▲ぬいは、池にトコヤミがいることに気づいた 出展/TVアニメ「蟲師」

 

その夜、囲炉裏端で食事をしながらヨキは尋ねる。「ぬいがどうして、ここにいるのか、聞いてもいい?」と。「あぁ、構わないよ」と、ぬいは話し始める。

 

ぬいの故郷は、この山の先にある。周囲を山に閉ざされた辺鄙な場所だが美しい里だ。画面に映るのは。特徴的な合掌造りの三角屋根が並ぶ景色。白川郷のあたりが想定されているのだろう。おそらくヨキの母親は、この村を目指して道に迷ってしまったのだ。

 

かつてぬいは、旅の蟲師をしていた。ギンコや、前回「やまねむる」に登場したムジカと同じように、蟲を寄せる性質のため、ひとつ所に留まることができなかったからだ。それでも故郷の村で結婚し、子どももできた。子育ては、夫が引き受けてくれていたようだ。

 

あるとき里へ戻ると、夫と子どもが山に入ったきり行方不明になっていると聞かされる。さらに夫と子どもを捜しに山に入った家族や村人も、多くの村人が戻ってこないと。

 

ぬいは一人山に入り、この池にトコヤミがいることに気づいた。

 

ぬい「トコヤミに囚われたらどうなるのか、どうすればいいのかは他の蟲師より伝え聞いていた。それで、彼らはきっと、まだ彷徨っているのだと、諦めきれずに・・・ここにいるのさ」

 

それから既に6年が経っているという。ヨキは言う。

 

ヨキ「その人達さ、ぬいと同じ姿になってるのかな」

 

ぬい「そうだな。きっと」

 

ヨキ「俺も捜すの手伝うよ。いいだろ? だからここに」

 

ぬい「ダメだ!」

 

この頃のヨキはいくつだろう。10歳くらいに見えるが──そんな年齢で独りぼっちになってしまったのだ。ぬいは蟲に詳しいし、ぬいとの生活は居心地がいい。このまま、この生活を望むのは当然だ。しかしぬいは激しく拒絶した。

 

ぬい「これは、私だけでやりたい。それだけだ。ここにいるための、口実にするんじゃないよ。それ以上言ったら、すぐにでも追ん出すよ」

 

──どうだろう? ぬいは今も山を彷徨っている家族を捜しているんだろうか? そんな風には見えないが。ただトコヤミのいる池の側で静かに暮らしているようにしか思えない。当然ヨキもぬいの言葉に疑問をもった。「ぬいは、何か隠してる。俺がいちゃ困る理由が何かあるんだ」と、その理由を探しに夜の池に出かけた。

 

「もう、全部手遅れなんだヨキ。わかったら、おまえはもう出てお行き」

▲ぬいは、ヨキの胸を突き放す 出展/TVアニメ「蟲師」

 

ヨキが池を棒でかき回していると、木立ちの向こうからトコヤミが現れた。やがて池が白く光りだす。

 

ヨキ「──なんだ、あの魚。残った方の目がつぶれて・・・消えた」

 

光る池を泳いでいた片目の魚の残った方の目から闇が広がり、やがて魚は光の中にかき消えた。そこにぬいがやってくる。

 

ぬい「ヨキ、何してんだい。光を浴びるのはよくないと──」

 

ヨキ「ぬい。片目の魚しかいないのは、両目がなくなったら消えちゃうからなんだ。ねぇ、知ってたの?」

 

ぬい「消えるのではない。銀蠱の放つ光が生き物をトコヤミに変えるのだ」

 

ヨキ「そんなの一緒だよ。どうして知っててそのままにしておいたの。蟲師だったんだろ? こんな恐ろしい蟲、どうして生かしておくんだよ」

 

ぬい「畏れや怒りに目を眩まされるな。皆、ただそれぞれが、あるようにあるだけ。逃れられるモノからは、知恵ある我々が逃れればいい。蟲師とは、ずっとはるか古来からその術を探してきた者達だ」

 

ここでの、ぬいの言葉は、作者の代弁だ。作者が「蟲」をどう捉えているか、蟲師とはどんな存在か。自分と違う生き物と、どう折り合いをつけるのか。単純に表現してしまうと、「蟲師」とはそんな物語だ。

 

ぬいがトコヤミとどう折り合いをつけようとしているか、これからその過程も含めて話される。

 

ぬい「私も、銀蠱の記録を取り続けたよ。そして、魚の行く末に気づいた時には・・・私ももう光を浴びすぎていた。片目の魚を池から離し、光を浴びぬよう繰り返し試しもした。だが、一度白化の始まった魚達は多少の遅れは見られても、いずれは両目を失い、トコヤミとなった

 

いずれ、ぬいも片目の魚と同じようになる。つまり、いずれ両目を失いトコヤミとなる──。ヨキもそのことに気づいたようだ。

 

ヨキ「そんな。それじゃ、ぬい」

 

ぬい「それでも、夫や子らがトコヤミになってしまったと認めたくはなかった。光を浴びぬようにして生き長らえ・・・捜し歩いた。けど。さすがに、いつからか・・・すべてはここにあると悟ってしまった。もう、全部手遅れなんだヨキ。わかったら、おまえはもう出てお行き」

 

もうすっかり、ぬいは自分の生を諦めている。いずれ両目を失い、トコヤミに取り込まれていくのを静かに待っているのだ。もちろんヨキは抵抗する。「きっと何とかなるよ、ぬいもここを出よう!」と。しかし、ぬい自身が言ったように「もう手遅れ」なのだ。ぬい自身の心が、もう手遅れなのだ。

 

ぬい「もう、どうにもならないし、ずっと、どうにもならなくていいと思ってきたのに。おまえがいると、辛いばかりだ」

 

こう言うと、ぬいはトンとヨキの胸を突き放した。「頼むから、もう行ってくれ」と──。

 

ヨキとの生活の中で、ときに笑い声すら上げていたのに。その自分自身の変化が、ぬいには辛かったのだ。もう決心していたはずなのに、その心が迷ってしまいそうになるから。

 

端から観ている視聴者には、ぬいの諦めが切ない。気持ちは分かるが、もう少し頑張ってみてほしいと思ってしまう。「やまねむる」のムジカのように、ここでもギンコ(ヨキ)は、間に合わないのか。

 

明け方、銀蠱が目を覚ます

▲「できる限り遠くへ行くんだ」 出展/TVアニメ「蟲師」

 

ヨキを遠ざけたぬいは、机に突っ伏している。望んだこととはいえ、ヨキとの別れは思いのほか辛かったのだろう。やがて、窓の外が白み始めた。夜が明けかけている。こんなとき、銀蠱が目を覚ます。ぬいは池の側に歩いていった。

 

ぬい「これでもう、いいよなぁ」

 

呟くと、ぬいの碧の目にトコヤミが落ち、全身に広がった。

 

一方、ぬいに追い出されたヨキは、森の中にうずくまっていた。池の方が明るいのに気づいたヨキは、それが銀蠱の光なのだと察する。「ぬい、行っちゃイヤだ、行っちゃイヤだ」。そう言いながら池に向かって走り出すと、ぬいの形をした影が木立ちの中を歩いていた。

 

ヨキ「待ってよ、行くなよ、ぬい」

 

叫んでぬいの手を取った。ぬいの手からヨキの手へ、闇が広がってゆく。ここからは、ぬいの闇に取り込まれたヨキと、あとは銀蠱に飲み込まれるのを待つばかりのぬいとのやり取りだ。

 

ぬい「なんてこと」

 

ヨキ「ぬい? ぬいなんだな」

 

ぬい「戻るんだ」

 

ヨキ「ぬいは?」

 

ぬい「私は、もう・・・。もうじき銀蠱が目を覚ます。できる限り遠くへ行くんだ。さぁ、早くおし」

 

ぬいはヨキの手をつかみ、引っ張り始める。ヨキにぬいの手の温度は感じられない。逆にぬいは、ヨキの手の温かさを感じていた。

 

ぬい「手だけじゃぁない。私に、もう目玉はないが、おまえの目玉がこちらを見ると、まるで陽のあたるように温かだ。あの仄暗い池の傍らで、それがどんなに懐かしかったか。さぁ、ヨキ。この先は片目を閉じてお行き。ひとつは銀蠱にくれてやれ。トコヤミから抜け出すために。だがもうひとつは固く閉じる。また陽の光を見るために──あぁ、いけない。銀蠱が目を覚ます」

 

手をつないでいたぬいが、かき消え、ヨキは「ぬい!」と叫ぼうとして言葉を飲み込んだ。長い2本のひげをもつ、大きなナマズのような白い生き物がゆうゆうと泳いでいった。

 

ヨキ「あれが、銀蠱。常闇の底の目のない魚」

 

ぬいをトコヤミに変えた後、銀蠱はゆっくり遠ざかった。

 

畏れや怒りに目を眩まされるな。皆、ただそれぞれが、あるようにあるだけ。

 

ぬいの言葉が低くこだました。

 

ぬいは、本当に手遅れだったのか──?

▲ぬいの夫と子ども 出展/TVアニメ「蟲師」

 

本当にもう手遅れで、ぬいはトコヤミに取り込まれる他に生きようはなかったのだろうか? どうしてもそんな思いに駆られる。母を亡くしたヨキと、家族を亡くしたぬい。二人とも蟲が見える体質で、相性も良さそうに見えたのだが。はからずもぬいは、笑い声すら上げていたのに。

 

ここで思い出されるのが、ぬい自身が語った、トコヤミから逃れる方法だ。

 

ぬい「自分の名前や過去の事も思いだせなくなってるようなら、それはトコヤミが側に来ているためだ。どうにか思い出せれば抜けられるという」

 

ぬいは、トコヤミから逃れる方法を知っていた。ぬいは銀蠱の光を浴びすぎていて、自分はもう手遅れなのだと言ったが、それがもしウソだとしたら。それまでの記憶と引き換えに、生き続けることができると知っていたとしたら。

 

──ぬいは、記憶を手放したくなかったのだ。

 

わたしには、そう思えた。もしトコヤミから逃れる方法を知っていたとしても、ぬいは家族を忘れ自分だけ生き続けることが許せなかったのだ。とても残念なことだが、心が手遅れだった。そういえば、「枕小路」もそんな話だった。

 

咄嗟にヨキが自分につけた名前は──

▲水瓶に映ったギンコはぬいそっくりの姿 出展/TVアニメ「蟲師」

 

ぬいが消えて銀蠱も去り、ヨキは一人になった。森を彷徨うこと数日。また月がのぼる。

 

ヨキ「また月・・・これで何回目だっけ。・・・分からなくなった。俺の名前・・・・。こういう時、どうすればいいんだったっけ」

 

翌日、ヨキの右目は夜明けを見た。トコヤミに取り込まれそうになったとき、ぎゅっと固く結んでいた目だ。ヨキの髪は白くなり、右目はガラス玉のような碧色になっていた。

 

ふらふら歩いていたヨキは、通りかかった柴を担いでいる男の前でばたりと倒れた。男はヨキを自宅に連れ帰った。

 

「──で、どうだ。名前以外に何か思いだせたか?」

 

ヨキ「・・・いいや」

 

「まぁいいさ。何ならずっといてもいいぞ。ともかく明日村長のとこ顔出しとこう」

 

どうやら男は一人暮らしで、ヨキを引き取ってもいいと思っているようだ。ヨキは運がいい。

 

ヨキは水瓶を覗きこむ。そこに、黒い穴になった左目が映っていた。左目の穴は、陽の下においても闇をすくい取ったかのように昏く、それは奇妙なものを寄せ付けた。

 

ヨキ(このままここに寄せ続けたら、きっとあれらは災いを呼ぶ。・・・そんな気がする)

 

ヨキは男の元から姿を消した。知らずに男がヨキを呼ぶ。

 

「おーいギンコメシにするぞ。あれ? ギンコー? おぉい、どこ行っちまったんだ」

 

今後この少年は「ギンコ」として生きていく。母のことも、ぬいのことも忘れたまま。生きることを自ら選んだから──。

 

蛇足だが──。上の場面、少し混乱しなかったろうか? ギンコは右目を手で押さえていたので右目が健在で、左目が食われたはず。それなのに逆になっている???と。上の場面でのカメラは、水瓶に映った自分を覗きこんでいるギンコの視線と同じだ。ギンコの目から見れば、自分の顔は左右が逆になっている。

 

しかし視聴者は、カメラは水瓶の中にあり、水瓶の中から実物のギンコを見上げているシーンだと錯覚しがち。わたしも最初、そう思って混乱した。水紋が描かれていれば、混乱することもなかったろうに。

 

ぬいとの過去は、たとえ思い出せなくてもギンコの記憶にこびりついている

▲池の上に踊る蟲たち 出展/TVアニメ「蟲師」

 

ギンコのその後はまた別の物語で語られるが、周知の通りギンコは旅の蟲師になった。ぬいと同じように。ヨキは池でトコヤミを見たとき、こう言った。

 

ヨキ「こんな恐ろしい蟲、どうして生かしておくんだよ」

 

これに対してぬいはこう答える。

 

ぬい「畏れや怒りに目を眩まされるな。皆、ただそれぞれが、あるようにあるだけ。逃れられるモノからは、知恵ある我々が逃れればいい。蟲師とは、ずっとはるか古来からその術を探してきた者達だ」

 

この言葉を、ギンコは思いだすことができない。しかし、記憶の底にこびりついているのではいかと思う。ギンコの蟲に対する解釈は、ぬいと同じだ。蟲はただ蟲の生を生きているだけ。そこに何の思惑もない。そんなものとして受け入れる──これがギンコの基本スタンスだ。

 

その上で、人が受けた蟲からの影響を解く手助けをするのがギンコが考える蟲師の仕事だ。本来、蟲を退治するのが蟲師の仕事ではないと思っている。もちろん蟲師にはギンコ以外の者もたくさんいて、中には蟲退治が蟲師の仕事だと思っている者もいる。

 

ギンコは、すっかり思いだせないぬいの考えを忠実に継承している。たとえ思いだせなくても、記憶の片隅に、きちんとぬいがいるのだ。

 

いずれギンコも、トコヤミになる?

▲既に白化しているギンコもやがて──? 出展/TVアニメ「蟲師」

 

現在の、大人になったギンコは自分の過去をどう考えているのだろう? 白髪、碧眼、そして幼い頃の記憶がないことから、自分がトコヤミに取り込まれそうになったことがあると、分かっているだろう。自分なりに、トコヤミについて研究もしているだろう。しかし、どうしようもないと諦め受け入れているのだろうか。

 

ぬい「一度白化の始まった魚達は多少の遅れは見られても、いずれは両目を失い、トコヤミとなった

 

このぬいの言葉の通りなら、いずれギンコも両目を失い、トコヤミになってしまうのか? それを承知の上で、ギンコは自分の生をまっとうしようとしているのだろうか?

 

この先、第20話で放送される「筆の海」という物語がある。とある地に蟲封じの秘書が集められた書庫があり、そこには狩房淡幽(かりぶさ・たんゆう)という女性がいる。彼女の右足は墨色で、動かすことができない。そこに禁種の蟲が封印されているからだ。

 

淡幽は、蟲師が蟲を屠る話を文字に写し取っている。そうすることで、彼女の足に封印されている禁種の蟲を少しずつ眠らせることができるのだ。そこにギンコがやってきて、淡幽に自分が解決してきた仕事の話を聞かせる。その代償に、ギンコは書庫の書を読むことが許される。蟲師の活動報告が、閲覧料といったところだ。

 

ほかの蟲師と異なりギンコに蟲を屠った話は少ない。じつはそれでは淡幽の足に封印されている蟲に効果はないのだが──。淡幽はそうは言わずにギンコの話を聞くのを楽しみにしている。彼女は蟲を屠る話を書きながら、一方で蟲を好ましいと思っているのだった。

 

その後ちょっとしたトラブルがあり、最後に二人はこんな会話を交わす。

 

ギンコ「おまえさ、足治ったらどうすんだ」

 

淡幽「おまえと旅がしたいな。話に聞いた蟲を見たい──なんてな。ははは。良くてもその頃、私は老婆だがな・・・冗談だよ」

 

ギンコ「いいぜ。それまで無事、俺が生き延びられてたら・・・だがな」

 

淡幽「生きてるんだよ」

 

ギンコ「いや、明日にでも蟲に食われてっかもしんねーし」

 

淡幽「それでも、生きてるんだよ」

 

この物語、かなり好きなのだが。ギンコの数少ない、個人的な想いが語られる物語だ。「俺が生き延びられてたら」というのは、いつトコヤミに取り込まれるかも知れないという意味が込められているのかも知れない。しかし淡幽のような存在がいるなら、きっとギンコは大丈夫だと思いたい。将来の約束があれば、トコヤミに負けることはないような、そんな気がする──。

 

pic up/ぬいの声優は語り担当の土井美加

▲ぬいの声優は、語りのアノ人 出展/TVアニメ「蟲師」

 

「蟲師」の声の演技は、全体的にかなり抑えた表現だ。アニメは大げさな声の演技が多い中、「蟲師」ではどの登場人物も淡々と話す。主人公のギンコからしてそうだ。今回の「眇の魚」では、ほぼヨキ(少年時代のギンコ)とぬいの二人しか登場しない。これだけの分量の声を担当するのだから、これまで以上に高い演技力が要求される。

 

ぬいの声は、語りを担当している土井美加さん。常に落ち着いた語り口だが、ヨキとの関係性が変わってくるにつれ、声の表情が微妙に変化しているのがよく分かる。ヨキとの生活につい笑い声を上げてしまった後、急激にヨキを突き放すところや、一転してトコヤミに取り込まれてしまったシーンの迫力は、さすが舞台女優だと思わせる。味わい深い声の演技にも注目してもらいたい。

 

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