TVアニメ「蟲師」第26話「草を踏む音」。動物でもない植物でもない、生命の原初に近い存在「蟲」。「蟲」を巡る奇譚を集めた「蟲師」の世界の詳細あらすじと感想・考察を。



第26話/少年の心の交流と、時を経てそれぞれが自分の道を見定め歩く様子を郷愁を絡めて描いた佳作。

出展/TVアニメ「蟲師」

 

第二十六話

草を踏む音

kusa wo fumu oto

 

今作、第26話はTVアニメ「蟲師」第1期の最終話となる。じつは第1話~第20話までが地上波放送され、残り6話はDVDに収載される予定だった。が、好評を受けてBSフジで公開されたというイレギュラーな発表のされ方をした。2006年のことだ。

 

この後第2期の放送開始が2014年。「蟲師特別編 日蝕む翳」が新春に放映され、続いて4月より「続章」が放送開始した。

 

その間8年ある。この第26話を制作する段階で続章はまだ決まっていなかったので、今作が「蟲師」の一旦の締めくくりとして選ばれた物語となる。ギンコの幼少期が垣間見られる興味深い作品だ。

 

ギンコ抜きにしても、今作は出色の出来だと思う。「蟲師」を特徴づける「山のヌシ」を絡めた作品で、山の自然と主人公・沢(たく)とイサザの交流が丹念に描かれ、じんわり胸を暖める。ホラー感はほぼないが、「蟲師」の原点を思わせる名作だ。

 

谷霧の向こうを登って行く者たち

▲最後尾の小さな人影がこちらを見た 出展/TVアニメ「蟲師」

 

物語は、大人になった沢(たく)が少年時代を振り返る形で始まる。

 

沢は、山の持ち主を父親にもつ少年だ。近所に子どもがいないのか、それとも彼らと遊ぶことを好まないのか、沢はいつも山の滝壺で釣りをしていた。──はっきり描かれていないが、おそらく後者だろう。

 

子どもの頃、谷霧の向こうにいる者たちの事が気にかかっていた。彼らはいつも五月雨の前頃、現れて、雷雨が止む頃、山から姿を消すのだった。

 

霧に煙った山道を、列なして登る人々の影がみえる。最後尾にいたのは背の低い子どものようだった。彼は立ち止まり、沢(たく)の方をみたように思えた。しかしすぐに他の者たちの方向に向き直り、山を登っていった。

 

山は薄紫色の霧を抱いていた。

 

沢が滝壺に釣り糸を垂れながら本を読んでいると、お手伝いの「ふみ」が呼びに来た。

 

ふみ「坊ちゃーん、やっぱりここだ。旦那様がお呼びだよ」

 

沢は釣りを切り上げ帰ることにした。ふみと連れ立って歩きながら沢はふと足を止め、山を振り返る。

 

沢(たく)「今日はきれいな紫だな」

 

ふみ「私にはただの白い霧にしか見えないよ。ほんとに変わったお子だねぇ」

 

沢にだけ霧が色づいて見えるということは、なにか蟲が関係しているのかも? という予感がする。

 

父親は算盤を教えるために沢を呼んだようだ。文机を挟んで算盤の珠をはじきながら、沢はさっき見かけた山を登っていく人影について話した。父親は「ほお、そうかもうあの人らが来る時期か」と、気にも留めない様子だ。

 

沢(たく)「いいの? 父さん。うちの山で好きにさせてて」

 

父親「なぁに、彼らは悪さはしやせん。ずっと昔から来てるらしいが、山守らと世間話するくらいのもんだ」

 

沢(たく)「一体、何してる人らなの?」

 

父親「何で生業を立てとるかはよく分からん。けども施しを求めるふうもなし。だから深くは関わってこなかった。他所の土地の話など、よく知っていて、聞けば面白い連中だというが、やはり得体は知れんからなぁ」

 

毎年、自分の家の山を訪れる者たちのことを「得体が知れん」と言いながら好きにさせておく、鷹揚なところのある父親に比べ、息子の沢はやや神経質そうに見える。眉根を寄せてこう言った。

 

沢(たく)「あの人ら、滝壺の水に手出しするかも」

 

父親「流れ者にやる水くらい惜しんでどうする。里の連中のように、田に引こうってんじゃなし」

 

沢(たく)「でも俺、あそこによそ者が出入りするの嫌だ」

 

父親「沢(たく)、おまえもうちの跡取りなら、けちな事言うんじゃないよ。彼らは渡り鳥と同じと思えばいい。好きにさせておく事だ」

 

ここでの会話から、沢の父親は山の地主で、里の者たちが山の水を勝手に田に引くといって揉めているのが分かる。地主の跡取り息子のように、ふらふら遊んでいられるご身分の子供は他にいないのだろう。それで沢はいつも一人なのだ。

 

それともうひとつ。沢はあの山や滝壺が、結構、気に入っているようだ。

 

山主の息子

▲沢が釣り糸を垂れていると、草を踏む音がした 出展/TVアニメ「蟲師」

 

水流の豊かな美しい滝だ。今日も沢(たく)は、滝壺に釣りに来ている。もちろん一人で。鶯(うぐいす)の声が聞こえる。あたりは濡れたような緑が色鮮やかだ。

 

カサカサと草を踏む音がした。見ると同じ年くらいの見知らぬ少年がやってきて「よう、釣れてっか?」と訊いてきた。ついでに「そこじゃ魚から丸見えだ」と言いながら、川に仕掛けておいた籠を引き上げる。籠にはぎっしり魚が捕れている。おそらくヤマメだ。

 

それをみた沢は、ちょっとむかつき文句を言った。

 

沢(たく)「おまえ、ここの魚そんなに取るなよ。ここは俺んとこの山なんだからな」

 

少年「おまえが? ここのヌシなのか?」

 

沢(たく)「持ち主の子供だ」

 

沢が言うと少年は近づいてきて、しげしげと沢の顔をみた。

 

少年「へぇぇぇ。はぁー。ヌシの子かぁ」

 

「じゃあ、返す」と、ビクに入った魚を差し出しながら、

 

少年「──と、言いたいところだけど、俺らも食い物が欲しい。一人一匹分けちゃもらえないか?」

 

(たく)「まあ、そんくらいなら」

 

少年「ありがとう。じゃ、残りはヌシに返すよ」

 

少年はニコリと笑って沢のビクに魚を入れた。

 

少年「俺はワタリのイサザ。今年もしばらく居させてもらうけど、よろしくな。でもおまえ、変だよな。ヌシの子のくせに釣りが下手なんてな」

 

そう言って川の飛び石を渡って行った。

 

もちろんイサザは勘違いしている。沢を山のヌシの子どもと思っている。実際は「山のヌシ」の子どもではなく「山の地主」の子どもなのだが。その勘違いを、沢の方でも分かっていない。

 

(何だあいつ。山主の子どもが釣りが上手いとは限らんだろが)

 

家に帰り、もらった魚を木桶に泳がせながら、そんなことを思っている。

 

沢とイサザ

▲「おいおまえ、嘘つきめ」 出展/TVアニメ「蟲師」

 

翌日、釣り竿を持った沢は山道で、草結びの罠に引っかかって転んだ。あははは、と木の上から笑い声が上がる。イサザだ。

 

イサザ「おいおまえ、嘘つきめ。じいちゃんに聞いたぞ。この山のヌシはちゃんと別にいるってな」

 

沢(たく)「嘘じゃねぇよ。この山はな、うちの先祖が少しずつ買い取ったんだ」

 

イサザ「買った?」

 

イサザは木の上から飛び降りた。

 

イサザ「それでヌシになったつもりなわけか? ここは誰かが勝手にしていい山じゃないぞ」

 

沢(たく)「勝手になんかしてない。ここは、特別な山なんだろ。ここらの土地が豊かなのは、この山があるからで、だから俺ら一族がずっと守ってきたんだよ。あの滝せき止めて、里に引こうって皆が言ってんのを抑えてんのも父さんだ」

 

イサザ「蟲師にそうしろって言われたのか」

 

沢(たく)「ああ。確か・・・そうだ。ご先祖がそういう人に言われたんだ。でなきゃ山が病気になるって」

 

さっきまで嫌味だったイサザは神妙に沢の話をきいている。やがてバツ悪そうに首をかきだした。

 

イサザ「そうか。おまえらにとっても大事な山なのか。まぁ、そんならいいや。昨日の魚返せって言うつもりだったけど、悪かったな。じゃあな」

 

懐から草履を出して、イサザが立ち去ろうとすると、沢が「待てよ」と呼び止めた。

 

沢(たく)「何か勘違いしてよこしたんなら、ちゃんと返す。恵んでもらう義理はねえや」

 

こうして沢は、また滝壺で釣りを始めた。しかしこれまでずっと坊主だったのに、急に釣れるわけもない。待ちくたびれたイサザは「まだ?」と、暇を持て余している。

 

イサザと沢。まったく異なる境遇の二人の会話が面白い。

 

イサザは蟲がらみの「ワタリ」と呼ばれる一団のひとり。大人と一緒にあちこち渡り歩いているのだろう。遠慮がないが、素直な性格のようだ。沢の言い分を聞くと、すんなり「悪かったな」と謝った。

 

一方、沢は、地主の息子として、勝手に山を荒らされるのを嫌っている。それはただ自分の家の土地だからというだけでなく、先祖からこの山が特別な山だと聞かされてきたから大事にしたいと思っているのだ。滝壺は、とくに気に入っている場所でもあるし。

 

▲ヌシの事や霧の事をイサザは教えてくれた 出展/TVアニメ「蟲師」

 

この言い合いを通して、二人は急速に仲良くなった。釣りをしている間、沢が訊く。

 

沢(たく)「なぁ、おまえらが言ってるヌシって何の事だ」

 

イサザ「この滝壺にいる、でっかいナマズだってさ」

 

沢(たく)「それは、だれが決めたんだ?」

 

イサザ「山さ。ヌシになるヤツは、生まれた時から体に草が生えてる。それが目印だ」

 

沢は思いだした。以前、そんな大ナマズの影をここで見た事があった。

 

沢(たく)「な、なあ。じゃあ、霧に色が付いてて、生き物みたくうねってるの見た事あるか?」

 

そこで沢は、他の人には見えないという、色のついた霧のことを訊いてみた。するとイサザは、こともなげに「あたりまえだろ」と言った。

 

イサザ「あたりまえだろ。ここは光脈筋なんだし。この土地には生命の素が流れてる。そいつが水に混ざって蒸発して霧になるから、ここらの霧には命がある。だから日によって色や形が違う。霧をみれば、その土地の調子もわかる」

 

今まで誰に訊いても分からなかった事を簡単に説明され、思わず沢は言葉を失う。

 

──と、そこでついにアタリがきた。ようやく1匹釣れたのだ。イサザはその貴重な1匹を持って帰ることにした。

 

イサザ「俺の知ってる事いろいろ教えたんだから、今度そっちの事教えろよな」

 

沢(たく)「俺、たいして特別な事、知らない」

 

イサザ「普通の話でいいよ。里の出来事なら、俺にとっては面白い」

 

その夜、沢は大人たちが酒を飲みながら笑いあっている座敷に顔をだした。何かイサザに話してやろうと思ったからだ。村の子どもたちと置かれた状況が違うから少し浮いた存在だろうが、沢も意外と素直だ。

 

微妙な口喧嘩

▲雨の日は岩穴から釣りをする 出展/TVアニメ「蟲師」

 

あくる日は雨だった。岩穴から川に釣り糸を垂れながら、また沢とイサザは話している。二人は随分、仲良くなったようだ。イサザにしても、同じ年代の子と話すのは滅多にないことなのだろう。沢は、ゆうべ大人たちが話していたことを聞かせている。

 

沢(たく)「あとそうだ。南にふたつ行った町で、変わった子どもを見たんだって。年は十あまり、髪が白くて、目が緑。それも片っぽしかないんだって」

 

イサザ「へぇ。何だろ、異人かな」

 

沢(たく)「そんな感じでもなかったって」

 

イサザ「ふーん。山ふたつ向こうか。俺らの進路と同じ方角だし、会えるかも」

 

沢(たく)「あ、そうか。じき梅雨明けか。いつ発(た)つんだ?」

 

この噂はギンコのことだ。「年は十あまり」というから、ギンコと名乗り始めて数年経っていそうだ。イサザたちは「五月雨の前頃現れて、雷雨が止む頃、山から姿を消す」。いつ発つかは、「爺ちゃん」が毎朝霧を見て決めるのだ言う。

 

イサザ「青味がかってると山の気が静かで早く進むとか、赤っぽいとその反対。金色がかってるのは山の機嫌が一番いいから出発日和だとか」

 

沢はどこか羨ましそうだ。

 

沢(たく)「俺はもう、この先ずっと決まってる。父さんと同じように土地の事でもめて暮らすんだ。羨ましいよ」

 

イサザは「ふーん」と聞いている。口には出さないが「沢の気持ちも少し分かる」という雰囲気だ。

 

▲「もういいよ」「何だよもういいって」 出展/TVアニメ「蟲師」

 

ある日、沢はイサザたちワタリが商売をしているところを見た。蟲師たちに「蟲の関わっていそうな噂」や「光脈筋の変動なんかの情報」を売る。それが「ワタリ」の生業だ。

 

沢(たく)「なら、先にそう言やいいのに。そしたらもっと”それっぽい”話、聞いてきてやったさ」

 

沢は少し機嫌が悪そうだ。ただの噂話をして楽しんでいるとばかり思っていたら、それを商売にしていたと聞き、裏切られたような気分になったのだろう。「里の普通を知らなきゃ、何が異変か俺にはずっと分からない。里の話、聞くのは好きだし」と、イサザは言い訳じみた説明をする。

 

「もういいよ」と沢は歩き出す。

 

イサザ「何だよ、もういいって」

 

沢(たく)「だからもう分かったっての」

 

イサザ「まだヘソ曲げてんじゃん」

 

沢(たく)「うるさいな、ついてくんな」

 

イサザ「俺は、謝んないぞ。これが俺のやり方なんだ」

 

沢(たく)「謝れなんて言ってねぇよ」

 

ちょっとしたことで、二人は口喧嘩をしてしまった。沢は、これ以上話したくないとばかりに歩き去った。

 

ほんの些細な思い違いからくる、子どもっぽい口喧嘩。もしかしたら、これは沢にとって初めて経験する「友だちとの口喧嘩」じゃないだろうか。きっと大人になった沢は、この口喧嘩を懐かしく思い出すのだろう。子どもの頃の懐かしい思い出の1ページになっていそうな、そんな気がする。おそらく、イサザにとっても同じだろう。

 

数日後、梅雨明けを知らせる雷雨が上がると暑い夏がやってきた。沢は庭に笹につけたイワナを見つける。「イサザ?」と呟き見上げると、山にかかる霧は金色だった。彼らはこの地を発ったのだ。

 

「もう、ここにはいたくない。連れてってくれよ」

▲「連れてってくれよ。俺も、あのギンコって奴みたいにさ」 出展/TVアニメ「蟲師」

 

沢とイサザの交流は、この年以降も続いた。霧の向こうの山道を登るイサザは、遠くに沢を見つけると手を振って合図した。しかし、イサザの後ろにもう一人子どもがいた。それは白髪に片目の──。

 

イサザ「ああ、拾ったんだ。ほら、沢が言ってた話、本当でさ。町うろついてて行くあてないって言うから。見た目変わってっけどいい奴だぜ。ギンコってんだ」

 

イサザは川で洗濯物をしていて、それを釣り竿を手にした沢が聞いている。少し離れたところにギンコ少年が立っている。

 

イサザ「でも、そんなに長くは一緒にいないと思う。蟲を寄せる体質なんだ。光脈筋にずっといたんじゃ、そのうち、あいつか光脈に障りが出る。近いうち、蟲師の誰かに引き渡されるだろうな」

 

なるほど、そうだったのかと、ここで視聴者は思うわけだ。第12話「眇目の魚」でトコヤミから逃れてそれまでの記憶を失い町をさまよっていたギンコ少年は、イサザたち「ワタリ」に拾われたということだ。

 

しかし「ワタリ」は光脈筋をたどって旅をしている。蟲を寄せるギンコをずっと一緒に置いておくわけにもいかない。それで、蟲師の誰かに引き渡されるのだ。

 

木立ちの向こうを、お手伝いのふみが慌てた様子でやってくる。「ふみ、どうしたんだ?」と沢が声をかけると、ふみは震える声で言った。

 

ふみ「坊ちゃん、旦那様が、旦那様が──」

 

沢の父親が急死した。

 

遺言には「山はすべて沢に譲る」と書いてあったが、まだ沢は幼い。「沢が一人で立ち回れるかよ」「何、俺らにまかしてくれりゃ、うまい事やる」とかなんとか・・・。山は親類たちに取り上げられてしまった。

 

ある雨の日。沢の家にイサザがやってきた。

 

イサザ「山守の人に聞いたよ。親父さん、気の毒だったな。おまえずっと山に来ねぇし、大丈夫か?」

 

雨戸を細く開け、沢は震える声で謝った。

 

沢(たく)「俺、山を守れなかった。みんな親類に取り上げられた。そのうち滝はせき止められて山は荒らされる。・・・ごめん」

 

イサザ「沢、聞いてくれ。山がおかしいんだ。ひどく落ち着かない。地面が熱いし変な臭いがする。動物も減ってきてるし、光脈もずれ始めてる。俺達も一緒に移動する。おまえらも気をつけろ」

 

「もうここへは来ないのか?」沢は涙をぬぐって雨戸を開けた。「わからない」と、イサザは答える。

 

沢(たく)「なあ、俺もおまえらの一団に入れてくれよ。もう、ここにはいたくない。連れてってくれよ。俺も、あのギンコって奴みたいにさ」

 

「じいちゃんに聞いてみる。明日の朝、滝に来い」と、イサザは言った。

 

▲滝いたのはギンコだけ 出展/TVアニメ「蟲師」

 

次の日。山の霧は真っ白だった。「こんなこと、今までなかった」と、沢は思う。滝に着くと、待っていたのはイサザではなくギンコ少年一人。ギンコは、イサザは夜のうちに移動したと言った。

 

ギンコ「イサザからことづて。”ごめん”とさ。あいつらは光脈に逆らえない。ワタリなんてのは、蟲のために里からあぶれた奴らの流れ着くところだ。おまえもそうなら、いずれまた会える」

 

沢(たく)「おまえみたいな・・・奴の事か」

 

沢が言うと同時に遠くからギンコを呼ぶ男の声がした。「おいおまえ、そろそろ行くぞ」と。

 

ギンコ「・・・俺は、またあぶれたけど」

 

1歩2歩と歩き出し、ギンコは思いだしたように足を止め振り向いた。

 

ギンコ「あ、もうひとつ言う事あった。”おまえらも、ここから逃げた方がいい”ってさ」

 

山の霧が色を失ってから半年後、山は火を噴いた。行くあてのある者は里を見限り出て行った。しかし、沢は里に残った。

 

十数年の歳月で、変わったもの、変わらないもの

▲山の再生に務める沢 出展/TVアニメ「蟲師」

 

回想の最後は、山の噴火後を伝える沢の語りで締めくくられる。

 

山は焼け、滝は涸れたが滝壺は沼となり残った。ある時そこで巨大なナマズの影を見た。だがその頭に、以前あった草の冠は見えなかった。

 

それから十数年。灰を掻き、木を植え、少しずつ山は再生したが、以前ほどの豊かさはなく、生まれてくる子供の中には体の弱い者が少なくなかった。

 

現在の沢は30歳前後にみえる。語りにある通り、体の弱い娘の親だ。娘は5~6歳といったところか。沢は娘の布団の傍らに座り、額に手ぬぐいを置いたりしながら考える。

 

沢(たく)(イサザ達なら、何か知っていたろうに。おそらく”光脈”に関わっている・・・。だが、一体どうすれば助けられるのか。最早、どうやって捜せばいいのかもわからない。今も山で、草を踏む音がするとはっとする。彼らが戻ってきたのではないかと)。

 

朝になり、いつものように畑にクワを入れていると、妻があわてて走ってきた。

 

沢の妻「沢、沢、大変だよ。子どもらの病治せるって人が下の家に!」

 

その家に行ってみると、それはギンコだった。ギンコは薬の作り方を教え、1日1包飲むように言っている。

 

▲大人になったギンコと沢。十数年ぶりの再会 出展/TVアニメ「蟲師」

 

続いてギンコは沢の家を訪れた。

 

沢(たく)「この土地は、以前”光脈筋”だったのに捨て置かれた。多くの蟲もそれと共に居を移したが、ヒトの近くにいるようなヤツばかり残った。あの子らが弱いのは・・・そのためか?」

 

ギンコ「へぇ、あんたやけに詳しいな。そんなとこだ」

 

娘に薬を飲ませ、今は沢とギンコはお茶を飲みながら向かい合いに話している。

 

ギンコ「あんたらは光脈の恩恵に授かって丈夫に生まれたが、子どもらは違う。あれは蟲除けと滋養の薬だ。しばらく必要だろう」

 

「そうか・・・」と言ってから、沢は話題を変えた。

 

沢(たく)「なぁ、あんた。そっちは覚えてないようだが、俺はあんたに会った事がある」

 

ギンコ「へぇ、悪いな。何だったか・・・」

 

沢(たく)「イサザの事は覚えているか」

 

ギンコ「ああ、あんたイサザの知り合いか? あいつなら、今も馴染みだぜ。ここの事も、あいつに聞いて来たんだよ。そろそろ薬の必要な時期だろうってな。今も変わらずやってるよ」

 

突然ギンコが現れたのは、イサザの差し金だった──そう知ったときの沢はひどく驚いた顔をして、それからゆっくり口元をほころばせた。

 

沢(たく)「そうか。ならいい。これでいい」

 

すっかり姿を変えてしまった山を見ながら、沢はそう呟いた。

 

▲「これでいい」と沢は山を見上げる 出展/TVアニメ「蟲師」

 

帰り道、ギンコは例の沼に差し掛かり、見覚えがあることに気づいた。(大ナマズにこの沼の形・・・俺、前ここに来た事あるな)と考えて、ようやく思いだした。

 

ギンコ「あー、あいつか。あいつも山もずいぶん様変わりしたもんだな。・・・なぁ、元ヌシ殿よ」

 

尾びれを少し水面から覗かせて、大ナマズは悠々と沼の中に消えていった。

 

沢とイサザの自然なやり取りと交流。その繊細な描写が素晴らしい!

▲イサザとは、雨降る庭で別れたきり十数年 出展/TVアニメ「蟲師」

 

プライドが高いけれど根は素直な坊ちゃん気質の沢と、大人の中で生活している割に擦れたところのないイサザ。二人の交流が緻密に、流れるように描かれていて気持ちいい。

 

一人ぼっちの沢と、大人の中で子ども一人のイサザは、同年代と話すことは滅多になかった者同士。「山の主」を巡った勘違いから仲良くなり、ちょっとしたすれ違いで小さな喧嘩をし、サヨナラも言わずに別れたまま十数年。

 

沢は「草を踏む音」がすると今でもイサザかと胸躍らせてしまう。そんな折にやってきたギンコの口から、イサザがこの里のことをずっと気にかけていたことを間接的に知り、「そうか。ならいい。これでいい」と口元に笑みを浮かべる。

 

しかもイサザは「おまえらも、ここから逃げた方がいい」と、噴火の前にギンコに伝言を託していた。にも拘わらず、沢がここに居続けていることを確信して十数年後にギンコを送り込んでいる。この演出もにくい。大人になったイサザはどこにも姿を現さないのに、沢にはイサザの気持ちがすっかり伝わっている。

 

「そうか。ならいい。これでいい」という沢の台詞は、自分の気持ちが一方通行じゃなかった、そしてイサザは今も元気にやっていると確認できたことの満足感なんだろう。ムダがないのに、多くのものを含んだ、いい台詞だと思う。年を経ても、山や姿が変わっても変わらない、細く強く結びついている二人の絆が美しい。

 

「あいつも山もずいぶん様変わりしたもんだな」

▲「ああ、あいつか」とギンコは沢を思いだす 出展/TVアニメ「蟲師」

 

光脈から外れ、災害に見舞われた地でも、ここが好きだからこそ沢は毎日せっせと山を育てている。子どもの頃に思い描いていた、地主としての将来と大きく予定は変わったけれど、それはそれで満足なんだろう。皮肉にも、山の再生という目標ができたからこそやっていけてる面もあるかもしれない。

 

元ヌシの大ナマズも同じように、今は沼になってしまったかつての滝壺に棲みながら、それはそれで満足しているような気がする。

 

ギンコが最後に言った台詞「あいつも山もずいぶん様変わりしたもんだな」。ここも含みが多い。山は噴火で形を変え、子供だった沢はこの地を離れることを考えていたのに、今では人の親になり、この地に根を下ろし山の再生に励んでいる。

 

ギンコの口元は薄っすらほころんでいる。沢の現在が、ギンコに好ましく映ったのは確かだ。

 

少年期への郷愁を、災害の多い日本人の生き方を絡めながらふわりと包み込むように着地させている、胸くすぐられる佳作だと思う。

 

pic up/間接的に、沢はギンコの恩人かも

▲ギンコ少年──ほぼ今と変わらずw 出展/TVアニメ「蟲師」

 

これはギンコの知らないことだが。ギンコがトコヤミから逃れた後、行くアテもなくフラフラしていたとき。それを見かけた沢の親戚が、沢の家で話した噂話をイサザにしたことがきっかけで、ギンコはワタリの仲間に。さらにそこから蟲師になったわけだ。

 

こう考えると、沢はギンコの恩人といえる。ギンコが「蟲師」になったのも、間接的には沢のおかげだ。

 

天涯孤独に生きているように見えるギンコだが、こうしてさまざまな人の手に助けられているんだなぁと、妙に感慨深く思った。

 

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