2019年1月~放送のアニメ「どろろ」。第17話「問答の巻」の詳細なあらすじと見どころを紹介します。「百鬼丸の最後の救いはなんたってどろろ!」あわせて感想もどうぞ!【注意】完全ネタバレです!



第17話/百鬼丸と寿海の再会。そこで得たものは義足ではなく、どろろという宝の再認識だった!

 

問答の巻

mondou no maki

 

大きなウロがいくつもある不気味な木(屍の木)のあるところ。何体もの無残な亡骸がころがる戦場跡で、寿海は亡くなった人に無くした手足や目をつけてまわっています。でも、寿海がつけた義肢をつけた傍から盗んでいく者たちもいて・・・。死んだ侍たちの持ち物をあさって売り飛ばそうとしている者たちです。

 

その有様を見た通りすがりの片腕の男が寿海に話しかけます。

 

「あんた、何のつもりか知らんが、どうせなら生きている者にやってやっちゃぁどうだい。その方が、よっぽど人助けだ

 

寿海人は、そう簡単には救えぬ

 

「は! だからって、無駄が過ぎるんじゃねぇかい? おいおい、賽の河原じゃあるめぇし、あんた一体・・・」

 

そこに妖が現れ寿海に襲いかかります。寿海は抵抗する様子もありません。一旦、地面に組み敷いたものの、妖は寿海を食わず、ターゲットを近くにいた男に変えてそちらを襲います。

 

「あんた、なんで・・・」

 

寿海「すまぬ。わしにも分からぬ」

 

どうやら、こういうことは今まで何度もくり返しあったようですね。寿海は、妖に襲われても食べられない。その理由は、当の本人にも分からないようです。

 

妖は、突然現れた男により、鮮やかな手際で倒されます。もちろん現れたのは百鬼丸。久々の再会に、寿海の脳裏に幼かった頃の百鬼丸の姿が蘇ります。川に座り手で水を汲み上げたり、表情のない顔で見上げたり、目を見開いたまま眠っていたり・・・。生まれたばかりの赤子の頃から16年間育てた、息子同然の百鬼丸です。愛しくないわけがない。

 

寿海「百鬼丸。おまえはなんと、なんと凄まじい・・・」

 

口をついて出た最初の言葉がこれでした。愛しいからこそ、血に染まった姿など見たくなかったのでしょう。妖の返り血で真っ赤になった百鬼丸の頬を両手で包み、寿海は自分の額を百鬼丸の額につけます。百鬼丸は寿海のなされるままに、柔らかい微笑みを浮かべて目を閉じ額をこすり合わせます。とても嬉しそうな、おだやかな表情をしています。

 

今回のテーマは「安易に得られる救いはない」。サブテーマは「何かを得るには何かを捨てなければいけない」としました。

 

寿海と百鬼丸の再会を描いた今回の「問答の巻」は、テーマを絞るのがとても難しい。さまざまな要素が込められているので、視聴する人により、それぞれの捉え方ができるでしょう。

 

寿海の百鬼丸への愛情と喜び、百鬼丸から寿海に向けた愛情と喜び。同時にそれぞれの想いのすれ違い。エンディング曲の「闇夜」の一節のとおり、人はいつでも愚かさに苛まれるもの。けれど、迷いながらも生きていかなければいけない。そのためには「救い」や「希望」が必要。主にそんなことが描かれていたように思うのです。

 

そのなかから、「安易に得られる救いはない」を分かりやすいテーマとして選びました。

 

寿海「(この皮膚は)確かに人のものだ。笑えるのだな、おまえ。わしの声も聞こえるのか?」

 

百鬼丸「聞こえる」

 

寿海「喋れる。なんということだ。目は──まだ見えぬようだが」

 

百鬼丸「でも、感じる。ずっと、ずっと感じてた

 

寿海「そうだ。ワシは、ワシは、おまえの・・・」

 

戦場跡を点々としているらしい寿海の今の住まいは、冒頭に出てきた屍の木の近くの洞穴です。寿海は、布で百鬼丸の汚れた顔や体を拭いてやり、顔や鼻が本当に人のものになっているのに驚いています。しかも笑える、聞こえる、話せると、百鬼丸の変化の一つひとつに目を丸くします

 

寿海おまえの・・・何なのだろうな・・・

 

「(育ての)親」に間違いないのですが、寿海には、胸を張ってそう言えない理由がありました。

 

寿海は手足を欠いた赤ん坊の百鬼丸を拾い、自分の得意技術で体のあちこちを作り物で補い、育ててきた。けれど痛みを感じることのない百鬼丸には、まるで心がないように思えて。自分には心まで救うことができないと、義肢で人が救えると思っていた自分に、無力感を覚えてしまっていたのでした。だからどこかで自分のしたことは、百鬼丸を拾い上げ育てたのは、自己満足のお節介にすぎなかったとでも思っているようなのです。

 

百鬼丸は、今日ここに寿海を尋ねてきた理由を言います。

 

百鬼丸「(自分の粗末な義足を見ながら)これ」

 

寿海「あぁ、壊れたようだな」

 

百鬼丸「戦いに使った。だから、同じものを、欲しい

 

そういう百鬼丸の言葉を無視して「まずは、何か食わねばな」と、寿海は食事の用意を始めます。粥ができあがると、寿海は「ちょっと待っておれよ」と、ふぅふぅして粥を冷まします。

 

百鬼丸「大丈夫。熱いのは分かる。冷たいのも、全部分かる」

 

寿海「そうか。そうだったな。癖は抜けぬものだ」

 

いつまでも子ども扱いする寿海と、それを有難いと思いながらも、もう成長したことを告げる百鬼丸。寿海に最初に会ったとき「ずっと、ずっと感じてた」と言っているし、その表情からも、百鬼丸がどれだけ寿海に会えて嬉しいと思っているか、これまで育ててくれたことに感謝しているか分かります。

 

もちろん寿海も百鬼丸に再会できて嬉しい。百鬼丸が本当の自分の身体を取り戻しつつあるのを喜んでいます。とくに会話ができるのは、どれだけの驚きと喜びだったでしょう! それなのに寿海は、百鬼丸を川から拾い上げ育てた自分の行為を疑問に思っていて、百鬼丸の自分に向ける感情を素直に受け止められていないようです。

 

「ワシはおまえを救えぬ!」けっきょく寿海にも答えは出せなかった

 

百鬼丸の切れたお守りの紐を付け替えようとして、寿海はこう言います。

 

寿海「紐がもろくなっておるな。新しいものに取り換えてやろう。おまえの出生に繋がる唯一のものだからな」

 

百鬼丸「醍醐景光」

 

寿海「醍醐・・・会ったのか? その家紋の主に。それがおまえの──」

 

百鬼丸「オレを鬼神に食わせた。まだ食ってる」

 

寿海「それは一体・・・百鬼丸、聞いたままでよい。話してみよ。家紋の主はそなたに何を語ったのだ」

 

こうして寿海は、赤子の百鬼丸がなぜ身体のあちこちを無くして川に流されたのか、その理由を知ります。

 

寿海「つまり、おまえ一人に、国一つがのしかかっているということか。なんと重い。おまえを拾い生かしたのは、地獄を味合わせるためだったか──

 

またしても寿海は百鬼丸を育てたことを後悔している──いやいやいやいや。

 

確かに百鬼丸は答えを出すのが難しい問題を抱えているけれど、だからって拾わなければ良かったなんて、そんなことはない。目の前の百鬼丸をちゃんと見てごらんなさいってば! 豊かな感情をもち、自分の意思を言葉にし、自分の道を歩いていこうとしているじゃないですか! 寿海の目、曇りすぎ! 考え方、後ろ向きすぎ!

 

百鬼丸「あれ(義足)がいる、あれが欲しい」

 

寿海できぬ。新しい足はやれん

 

百鬼丸「なぜ」

 

寿海「おまえはまた鬼神との戦いに行くだろう。鬼神を倒し、身体を取り戻し、そしておまえに乗っている国は──いや、それは領主であるおまえの父が背負えば良いことだ。たしかにおまえは、姿は人に近づいたのかも知れん。だがそのじつ、人から遠ざかってはおらぬか。あの様子、おまえが殺めてきたのは、妖だけではあるまい。ワシには分かる。新しい義足は、おまえをまた地獄へ近づけるだけだろう。ワシにはできん

 

百鬼丸の行く道が辛いと思うなら、それこそ少しでも楽になるよう力添えしてあげようと、どうして思えないのかな? その力(技術)が、寿海にはあるのに。たしかに寿海にはむごい戦争体験があり、もう二度と人を殺める手伝いはしたくないという気持ちは分かるけれど──。

 

寿海ワシはおまえを救えぬ

 

またしてもこの言葉。縫の方が自害を企てる直前に言ったのと同じです。けっきょく、寿海にも百鬼丸がどう生きていけばいいのか、答えを導くことはできませんでした。

 

一方、醍醐邸では、「ばんもんの巻」で自害を企てた縫の方が目を覚まします。どうやらずっと昏睡していたようですが、ようやく意識が戻ったのです。そして一言「わたくしは、どこまでも甘い」とつぶやき涙を流します。はいはい、ホント甘いよね。そこは激しく同意します。

 

百鬼丸を救えるのは誰?

 

長雨でぬかるんだ土砂が崩れ落ち、寿海と百鬼丸がいる洞穴の入り口を塞ぎます。風穴もあるし食料の備蓄も水もあるから急がなくてもいいと言う寿海を尻目に、百鬼丸は猛然と外に出る穴を掘り始めます。

 

寿海「百鬼丸、なぜと言ったな。ワシもおまえに問おう。なぜだ、なぜ戦う。ここを出れば、また修羅の世界に戻ることになる。それでも出たいか

 

百鬼丸出たい

 

寿海「身体が欲しいのか?」

 

百鬼丸「欲しい」

 

寿海おまえは人にない力をもっている。人並みの身体は、むしろおまえを不自由に縛るかも知れん。それでも欲しいか

 

百鬼丸「欲しい」

 

寿海「なぜだ──考えたことはないか?」

 

百鬼丸オレのものだ。だから鬼神は、全部殺す!

 

この洞穴の中は安全で、妖に襲われる心配もなければ身体に欠けたところがあっても寿海がいるから不自由もない。食料もあるから飢える心配もない。寿海は、このまま百鬼丸を自分の元に留めて、ずっと一緒に暮らそうと暗に言っているのでしょう。もう鬼神退治に行かず、これ以上、自分の身体を取り戻すのもあきらめてはどうか、と。

 

けれど、それは嫌だと百鬼丸は言います。理由などない、ただ自分の身体は自分のものだから、と。

 

あまり深く考えていなさそうな百鬼丸にかわり「もし百鬼丸がこのまま鬼神を倒す旅を続ければどうなるか」を、寿海は話して訊かせます。「地獄変の巻」で実際に体験したこととはまた少し違った視点からの話しです。

 

寿海「百鬼丸、たしかにおまえの身体はおまえのものだ。取り戻すのに理由はいらぬ。だが殺すのは、鬼神や妖だけではすむまい。おまえの父、母、そして弟も。醍醐の民も必ずおまえの邪魔をするだろう。そうなれば、おまえが取り戻す身体は、人の血にまみれたものになる。それは義手や義足よりも重い。そのときおまえは、人であり得るのか。少なくとも、おまえの側にあるのは、屍だけになりはせぬか。この世におまえ一人だけに」

 

ぐむむむむ・・・・。

 

この先、倒すべき敵は妖だけでなく、両親や血を分けた弟を巻き込んだ醍醐の国のすべての人が敵になるだろうというのです。たしかに──そうですね。「おとなしく犠牲になれ。ならぬなら容赦はしない」と、命を狙ってくるでしょう。「みんなのため」と大義を唱え、犠牲を強いてくるでしょう。現代からすれば理屈にもならない道理ですが、当時はそれがまかり通っていたのですね。

 

百鬼丸の剣の腕があるなら、人相手ならすべて斬り伏せるだろう、と寿海は思っています。けれど自分の望みを通して身体をすべて取り戻したとき、百鬼丸の心はもう人でなくなってしまっていないか。と、寿海は言うのです。また寿海はここに引っかかっているのです。身体を補っても心を補うことはできない──それでは人の形をしていても「人」と呼べないのではないか、と。

 

まぁ、正直言って、寿海も縫の方と同じ。いろいろ甘い。「世界じゅうが敵になっても、ワシ(縫の方なら「わたくし」)だけはおまえの味方」くらい言ってごらん、てば! そして、一緒に旅をしてあげればいい! だいたい、身体を取り戻す旅に百鬼丸一人で出立させたときから、わたしは不満だったのです。まぁそれじゃ、どろろの出る幕はなくて、この作品が成り立たなくなってしまうんだけどね──。

 

百鬼丸「一人」

 

寿海「そう、一人だ。ワシにはそれが──」

 

百鬼丸「違う。いる」

 

寿海「だれがいるのだ?」

 

百鬼丸「今は──今は、いない」

 

周りじゅうが敵になっても屍になっても、必ず側にいてくれるのは、もちろんどろろですね^^

 

これでハッキリしました。人から安易に得られる救いはない。自らの頭で考え、自らの手でつかみ取れということです。そして最後の最後に百鬼丸の心を救える存在は、この世でどろろただ一人のようです!

 

お自夜が「心から信頼できる相手に出会えたら」と言い残した財宝の隠し場所。どろろは、そんな相手は百鬼丸しかいないと思っています。百鬼丸も、どんなことがあろうと、どろろだけは側にいてくれると信じています。

 

どろろと百鬼丸。お互いの信頼がやがて愛情に・・・いやいや、まだそこまで言うのは話が飛びすぎですね! いずれそうなるカモ知れませんが、今はまだ可能性の一つにすぎません。

 

寿海は、ずっとぐずぐず実りのない問答を繰り返してきました。それはもう、寿海と百鬼丸の問答というよりは、寿海の自問自答のようなもの。なにしろ百鬼丸の考えは、最初から少しも揺るがないのだから。

 

「知ってる。これがなんという者か。おっかちゃん、だ」

 

百鬼丸が突き崩した土砂から外に出てみると、そこは妖だらけでした。屍ノ木は妖を生む木で、戦場に流れた人の血を養分にして成らせた実から次々、妖が生まれていたのです。寿海の言った通り、安全な洞穴から外に出ればそこは修羅の世──と、いうわけですね。

 

数限りない妖をもくもくと倒している百鬼丸を見ながら寿海は心に思います。

 

寿海「ワシは、あの哀れな赤ん坊を救ったつもりで、再び修羅の川に流しただけだ。百鬼丸、おまえにとって、ワシもまた、鬼神の一人なのかも知れんな」

 

寿海はまだ迷いの中にいます。百鬼丸の命を救ったことは、間違いだったのかも知れないと思っています。妖を倒しきった百鬼丸の首に、寿海はお守り袋をかけてやります。

 

寿海「これでよい。だれかいると言っておったな。おまえの側にいる者か? ──いい、おまえが分かっていれば、それでいい。おまえに殺す以外の存在がある。もしかしたら、その者が、おまえを人に留めてくれるやも知れん

 

いよいよ二度目の別れのときです。百鬼丸は自分を指さし「百鬼丸」と言い、その指を寿海に向けます。名前を問うたのです。

 

寿海「ワシの名か。一緒に暮らしていたときは名前で呼ぶこともなかったからな。ワシは──いや、知らんで良い。ワシは何者でもない」

 

百鬼丸知ってる。これがなんという者か

 

百鬼丸は寿海の頬に手を当てて言います。

 

百鬼丸おっかちゃん、だ

 

寿海「はは・・・バカ、それは違うぞ。ちが・・・あは、は・・・」

 

眉根を寄せ、笑う寿海の目から涙が溢れました。ここ、グッと来ますね。

 

けっきょく、来たときと同じ木の粗末な義足と杖を片手に百鬼丸は寿海の元を去ります。見送る寿海の足に、最後の力を振り絞った妖が噛みつき、そして息絶えたのを見て寿海はつぶやきます。

 

寿海「そうか。これまでおまえたち(妖たち)には、ワシなど生きた者とは見えていなかったか。──(ワシは)まだ死ぬ資格があったとはな」

 

かつて「ワシにはまだ、すべきことがある」と寿海が農民に義肢をつけてあげていたのは、そこに寿海自身が「救い」を見出していたからだと思います。寿海は、「救い」がなければ生きられないほど辛い過去を背負っていますから。百鬼丸を川から拾い上げたときも寿海は「ワシは再び生かされた」と言っています。百鬼丸に身体を与え、育てることが自分の「救い」になっていたのです。

 

百鬼丸を拾い育てたことは間違いだったと後悔に苛まれた寿海は、百鬼丸を旅立たせた後、世捨て人になってしまっていました。もう人と関わることを諦め、死者のために祈ることしか自分にできることはないと思ってきました。

 

けれどまた再び、寿海は百鬼丸から「救い」を得ました。寿海が手足を与え育てた百鬼丸は、ちゃんと心を育んで帰ってきました。寿海を「おっかちゃん」と呼ぶほどに、愛情をもってくれていることを知り、涙が流れるほど嬉しい思いをさせてくれました。

 

これまで妖からすら「精気が感じられない」と敬遠されてきた寿海の生き方は、今回の百鬼丸との再会を境に変わるのだと思います。また以前のように、必要としている多くの生きた人間に義肢をつくってあげる生活に戻れたらいいな、と願いますね。それが寿海の天命だし、生きる糧でもあると思うのです。

 

そして、命が尽きようとしていた赤子の百鬼丸を拾ったのは間違いではなかったと、あの子は自分が育てたのだと胸を張ってほしいですね。

 

[char no=”1″ char=”あいびー”]大丈夫、百鬼丸もどろろもバカじゃない。ちゃんと自分たちにふさわしい未来を切り拓いてくれますよ! たぶん──いや、ぜったい![/char]

寿海はどうして義足を与えなかったのか?

 

百鬼丸を愛しているなら、大切に想うなら、どうして寿海は義足をつけてあげなかったのだろう。「新しい義足は、おまえをまた地獄へ近づけるだけだろう。ワシにはできん」と言うけれど。義足を与えないことで、百鬼丸は鬼神にやられてしまうかも知れないのに!

 

人相手なら、たしかに片足が不自由なくらいでちょうど良いのかもしれないけれど──。自分を「おっかちゃん」と呼び慕ってくれる、赤子から育てた子どもを、どうして助けないでいられるのだろう。百鬼丸への愛情は感じているはずなのになぜ? わたしは当初、ここがすごく疑問でした。

 

おそらく寿海は「自分の行動の責任を取るのが怖いのだろう」と、思えてしまいました。寿海が義足を与えたことで、百鬼丸が鬼神を討ち醍醐の国から命を狙われる結果につながるのが怖いのだろう、と。これまで自分が義肢を与えて良い結果になることはなかったから(いや、そもそもそれ自体が勘違いなんですけどね!)、だからもう生きた人間に義肢を与えることはしたくない、と過去にこだわりウジウジしているのだろう、と。

 

けっきょく、寿海には「生きる覚悟」がない失敗に向き合い受け止めるだけの心の強さがない。まぁ、それも人間か。いつでも正しい選択ができるわけではないから──と、最初は思っていたのですが、考えを変えました。

 

百鬼丸に備わった常人を越えた能力をよく知っている寿海だからこそ、「あまりに強い力をもてば、いつかその力が心を飲み込み人でなくなってしまうのではないか」と行く末を心配してのことなのだと考えるようになりました。

 

たしかに同時進行で語られる多宝丸が、兵庫と陸奥という二人のお付きをつけていてさえ、小さなネズミの妖1体に手こずっているのを見るにつけ、その力の差は歴然ですよね!

 

どろろが鬼になりかけた百鬼丸を全身で留めるように、寿海のつくる性能の良い義足を与えないのは百鬼丸を人に留める寿海なりの愛情表現なのだと考えるようになりました。育ての親(または百鬼丸言うところの「おっかちゃん」)ならではの、心配と愛情なのだろう、と。

 

その気持ちは百鬼丸にじゅうぶん伝わっているようです。望む義足はもらえなかったけれど、百鬼丸の寿海に対する愛情は最後まで一貫していたし、ね。

 

「問答の巻」で百鬼丸が得たもの

 

新しい義足をもらいに寿海を尋ねた百鬼丸ですが、けっきょく望みのものは得られませんでした。けれど、まるで収穫がなかったわけでもありません。ここでは「問答の巻」で百鬼丸が得たものについて、考えてみたいと思います。

 

寿海は第三者目線で、いくつか貴重な言葉をくれました。ここに箇条書きにしてみましょう。

 

1、「百鬼丸、たしかにおまえの身体はおまえのものだ。取り戻すのに理由はいらぬ」

➡百鬼丸が自分の身体を取り戻したいと思うのは、間違いではない、と百鬼丸の行動に賛同してくれた。

 

2、「鬼神を倒し、身体を取り戻し、そしておまえに乗っている国は──いや、それは領主であるおまえの父が背負えば良いことだ」

➡鬼神を倒すことで醍醐の国に起きる厄災について、百鬼丸が必要以上に責任を感じる必要はないと言ったのです。信頼のおける寿海の口からそう言ってもらえたことは、どれだけ百鬼丸を勇気づけたことでしょう! ただし、琵琶丸はやや否定的な口調だったので、人により考え方はいろいろだと知ることができましたね。

 

3、「ワシはおまえを救えぬ」

➡これは「他力本願の安易な救いはない。自分で切り拓け」と、いう意味だと思います。

 

4、「おまえの側にあるのは、屍だけになりはせぬか。この世におまえ一人だけに」

➡どんなことがあろうと、どろろだけは側にいてくれる──百鬼丸は、自分の心がはじき出した答えから、どれだけどろろが大切な存在か、再認識できました

 

5、「ワシは・・・おまえの何なのだろうな」

➡寿海のこの問いに百鬼丸は「おっかちゃん」だと答えました。きっと百鬼丸は、どろろの言う「おっかちゃん」に強い憧れがあると思うのです。強く、優しく、愛情をかけて育ててくれた人。縫の方は「母親」だけれど、「おっかちゃん」とは違う。自分にも愛し育ててくれた「おっかちゃん」がいる、という想いは、きっと百鬼丸の心を強くしてくれると思います。

 

ここでは百鬼丸が得たものについて書きましたが、そのじつ、寿海が得たものの方がはるかに大きかったのではないかな、と思います。

 

多宝丸の決意

 

サブテーマの「何かを得るには何かを捨てなければいけない」は、「進撃の巨人」のアルミンの言葉なんですが──。これはなかなか真実だと思うので、ここでのサブテーマに選びました。

 

お店で商品を買うにはお金を払わなければいけない。鬼神の力を得るには生贄を差し出さなければいけない。人が他者の命を奪うには人間性(情)を捨てなければいけない。

 

醍醐景光の一人息子として、物質的になに不自由なく育ってきた多宝丸には、母親の愛情を感じられずに育ったという寂しい気持ちがありました。いつも母親の縫の方は首のない菩薩像に祈ってばかりで、多宝丸を見ようとしないからです。縫の方が祈っていたのは、自分に隠されていた兄・百鬼丸の身の安全だったと知った多宝丸は、どれだけ嫉妬したことでしょう。

 

でも、百鬼丸に出会いそれが自分の兄だと知ったばかりの多宝丸は、兄に会えたという喜びの方が勝っていました。けれど百鬼丸を鬼神に差し出すことで醍醐領の繁栄が守られていると知ってしまい、悩んだ末に、ついに百鬼丸を討ち醍醐の国を守ることが自分の使命と心を決めます。

 

「ばんもんの巻」の終盤、百鬼丸に斬りかかった多宝丸は、折れた自分の刀で右目を失ってしまいました。百鬼丸を討つために、多宝丸は少しずつ変わっていきました。情を捨てなければ実の兄を討つことなどできないと悟ったのです。もしかしたら、自分が寂しい思いを強いられたのは百鬼丸のせいだ! 自分が片目を失ったのも百鬼丸のせいだ! と、自らの復讐心を煽っているかも知れません。

 

今回、縫の方が目を覚ましたというのにもう多宝丸は母親に心を寄せません。さらに母ネズミの妖が子ネズミをたくさん抱えているのを見て、瀕死の母ネズミごと家を焼いてしまえと命じます

 

多宝丸「火をかけよ。親をこのままにしておけば、子も逃げまい」

 

兵庫「若。いくら妖でも、オレはこのやり方は好きじゃない」

 

陸奥「兵庫」

 

多宝丸「帰るぞ。陸奥、兵庫、わたしは二度と剣を情でにぶらせることはしない。この国を民を守るために」

 

そんな多宝丸に、景光は百鬼丸討伐を命じます。百鬼丸を探させていた忍びから、百鬼丸の一味(どろろのことですね)が袖ヶ浜にいるという知らせが入ったので、そこに向かわせようというのです。袖ヶ浜というのは、しらぬいと二郎丸がいるあのあたりの浜ですね。

 

しかし景光・・・なにもそこまでしなくても! 九尾を倒したときの百鬼丸の強さは見ているだろうに、どうしてわざわざ多宝丸を向かわせるのか。多宝丸が死ぬかも知れないとは思わないのでしょうか? なんとも、絶句しかない親です景光・・・。兄弟に決闘させて何が面白いのか、気が知れません。ラスボスは、やっぱり人間性を無くした景光ですかね!

 

寿海の元を去った百鬼丸も、ようやく袖ヶ浜にたどり着いたようです。浜にいた漁師から「白骨岬」のことを訊いたらしく、一人船を漕いでどろろを追います。

 

次回、イタチとその手下、どろろ、しらぬい、二郎丸、百鬼丸、さらに多宝丸と兵庫、陸奥、その他大勢の醍醐兵入り乱れての乱戦になりそうな気配が・・・。さらに埋蔵金の行方も気になるし。あわわ! これは大変だー!

 

「菩薩像が砕けた今、殿との約定は破れました」って、え?! 物語の行方がとてつもなく心配なんですが──。

 

「ばんもんの巻」以降、眠ったままだった縫の方が意識を取り戻し、鬼神との約定について語っているので、最後にそれを記しておきます。

 

縫の方「殿、首なしの菩薩像を覚えておられましょう」

 

景光「あぁ。常日頃、拝んでおったな」

 

縫の方「あの首が消えたのは、百鬼丸が生まれたとき。わたくしは、これこそ信心の賜物と、その後もずっとあの子の無事を祈り続け、生きていると分かったときは、母の想いが通じたのだと。なんという思い上がり。殿、百鬼丸が生きていたは、あの菩薩像が身代わりとして鬼神に食われたためにございます。そうでなければなぜ、すべてを奪われたあの子の頭が残っておりましょう。あの菩薩像が砕けたとき、ハッキリと感じたのでございます。12の鬼神のうち、あの子を食い損ねた者がいると。菩薩像が砕けた今、殿との約定は破れました。そして、百鬼丸はきっと己の身体を取り戻すでしょう。殿、この国の安寧のときは終わりまする

 

菩薩像の首は百鬼丸の身代わり。12の鬼神のうち食い損なった最後の1カ所とは、なんとなんと、百鬼丸の首だった?!!! 首というか、頭部全部! でも、それって顔の皮膚や目や鼻や耳も含まれるんだけど、二重取りにならないんでしょうかね? まぁ、鬼神の考えることは分からないから、縫の方がそう言うのなら、きっとそうなんでしょう!

 

そして、菩薩像は砕けたのですね? 「ばんもんの巻」のラストで、琵琶丸の手の中で菩薩像が光を失っていった描写しかなかったので、まさか砕けたとは思っていなかったのですが、どうやら砕けたようです! 砕けた菩薩像の首では、もう身代わりにならないから、景光と鬼神との間の約定は破れたのだそうです!

 

これまでわたしは、いろいろ読み違いをしていましたね。

 

地獄堂には、1体まだ実体化していない鬼神像がありました。それが菩薩像の力で実体化を抑え込まれている鬼神だと思っていました。だから菩薩像が力を無くしたと同時に鬼神は百鬼丸から「何か」を奪いに来る、もしくはすでに奪ったとばかり思っていたのですが・・・。

 

そうではなくて、百鬼丸の頭を食う代わりに菩薩像の頭を食ったためにそれ以上、百鬼丸から何も奪うことができなくなった鬼神が1体あり、その鬼神は菩薩像の頭では実体化できないため地獄堂に封印されたままになっている、ということだったのですね!

 

そして、これまで食べていた菩薩像が砕けてしまったので、もう景光との約定は反故になってしまっていると。

 

ここ、難解ですね。

 

景光と鬼神との約定って、この作品の「要」です。これが分からなければ、意味不明な部分がとても多い。視聴者が頭を悩ませてきたのは、いつもこの部分。最初の方のエピソードで、鬼神との約定について、菩薩が邪魔したためにどうなったか、今後どうなるのか、もう少し分かりやすく教えてほしかったかな。

 

まぁでも。これでスッキリしました。縫の方が言うのだから、もう鬼神との約定は反故になってしまったのでしょう! そういえば以前、雨担当の鬼神が倒されたにも関わらず雨が降り景光がいぶかしげに雨降る庭を見ている描写があったし、醍醐領はもう鬼神に守られていないということで決まりなのでしょう。

 

だとすれば──。

 

え?

 

景光っちゃん、もう百鬼丸を追い回す必要なくないですか?

 

人間共通の敵として百鬼丸と共に鬼神を討てば、それですべて解決じゃないですか??

 

「今まで済まなかった」とかなんとか、百鬼丸に土下座して、終わりじゃないですか???

 

百鬼丸もすべての身体を取り戻してめでたしめでたし、じゃないですか????

 

後は景光を磔の刑にするなり、醍醐の次期領主におさまるなり、どろろの埋蔵金を手に諸国漫遊の旅を続けるなり、余生を好きに過ごせばいいんじゃない?????

 

ていうか──。

 

そんなちゃちなエンディング見たくないんですけど──。

 

ここまで盛り上げておいてこれ、どうなっちゃうんでしょうか?????

 

残りあと7話・・・なんか、とんでもなく心配になってきました──。

 

お願いしますよ靖子さん!

 

おまけ。間違い探し?!

 

──と、いうことで。何度か16話と17話のエンディングを交互に視聴してみたんだけど──。その結果、分かりませんでしたー! どなたか変わったところ分かりました??

 

ちなみに、新エンディングの演出を担当された徳土大介さんは、ツイッターで次のようにコメントしています。

 

私は15年ほどアニメーションに携わってきましたが、楽曲を含め今回の映像が私の一番のお気に入りです。 視聴者の方々に気に入って頂けると幸いです。

 

楽曲も映像もとても素敵で、わたしもお気に入りです! 素晴らしい作品をありがとうございます^^

 

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