「アシェラッドが視聴者を仕分けしてきたシーズン2、第14話暁光」のあらすじ感想考察を紹介します。2019年7月~放送の「ヴィンランド・サガ」は、1000年前の北欧を舞台にヴァイキングの生き様を描いた骨太な物語



第14話/「襲撃、略奪は、我らノルド人の伝統でしょう?」

▲月夜に呆然とたたずむ少女アン 出展/TVアニメ「ヴィンランド・サガ」公式

 

#14

暁光

The Light of Dawn

 

物語は、少女の独り言から始まる。

 

アン「神さま、どうしてもわたしたちは、清くなければいけませんか?」

 

冠雪した野に立つ少女の手はあかぎれで血が滲み、爪の先は縦にささくれている。指先を温める息は白い。

 

アン「本当ですか? あなたのいいつけを守らない者は、天使ですら罰せられると父ちゃんが言ってました」

 

少女は右手を空にあげ、その指先を観ながらくるくると雪の上で旋回する。少女の名はアンと言った。

 

アン「あたしのような者に、あなたの思し召しは分かりません。ただ、あたしにはあなたの天の国は、とても遠くに感じられます」

 

夕食の支度を手伝うよう母に呼びかけられたアンは、すぐに「行く!」と返事した。それから少し母の視線を気にするようなそぶりをしながら、傍らの木のうろに何かを隠す。カチリ、と小さな音が響いた。

 

アン「あなたが天に座し、あたしたちを観ていらっしゃることが、あたしには重荷でした」

 

空からとめどなく雪が落ちてくる。

 

今回のテーマは「弱肉強食のリアル」。サブテーマを「キリスト教の宗教観」、サードテーマを「ターニングポイント」としました。

 

前回は、ついにアシェラッドの過去が明らかになりました。

 

アシェラッドには半分はデーン人の血、もう半分はウェールズ人の血が流れています。これまではデーン人として海賊の首領をしてきましたが、心はウェールズにありました。アシェラッドはデーン人を嫌っていて、もう二度とウェールズの地に彼らヴァイキングの侵入を許さないと誓っています。

 

そのため、デンマークのスヴェン国王第2王子クヌートを利用しようと考えています。これからアシェラッドの計画が実行に移されます。その足掛かりとして、まずアシェラッド隊は、無事にクヌート王子をスヴェン国王のいるゲインズバラまで届けようと、雪降るイングランドを行軍しています。

 

素晴らしい血脈をもった才能豊かな男アシェラッド。今回は、ほぼ主役と言っていいほどの存在感をみせるこの魅力的な人物が視聴者に、こんなセリフをぶつけてくるような回です。

 

「おめぇら、おとぎ話観てんじゃねぇぞ!」

 

眼光鋭く、不敵な笑みすら浮かべて。残虐で薄汚い、弱肉強食の現実を見せつけます。これが今回のテーマです。

 

サブテーマとしては「キリスト教の宗教観」を取り上げました。キリスト教が浸透し始めているこの時代、キリストの教義と真逆のような考えにいるデーン人たちとの対比が描かれます。ここも重要なポイントと思われます。

 

3つめのテーマとして「ターニングポイント」を取り上げました。これまで常勝だったアシェラッドのツキに陰りが忍び寄ります。

 

 

教会で祈る幻から覚めると、神父のヴィリバルドはワインの酒樽を手に雪の上に座る自分に気が付いた。目の前ではアシェラッド隊のトルグリムとアトリが食事の用意をしているところだ。彼らは「愛」について知りたがっている。

 

アトリ「あー、つまり神父さんよ。あれだ、オレとこの兄貴がそうだ。ガキの頃から何をするにも一緒。お互い助け合ってやってきた。戦場での連携プレイじゃ誰にも負けねぇぜ。な!」

 

トルグリム「おうとも、ツーカーよ! オレが背中を預けられんのはコイツだけよ」

 

アトリ「この信頼関係は、銀にゃ代えらんねぇよな、兄者」

 

トルグリム「あたりきよ弟。ま、金額によるがな」

 

第12話で神父が「愛とは銀ではかれないもの」と言ったのをうけ、彼らは、それはどんなものか探り当てようとしている。「これで当たりだろ?」とドヤ顔の兄弟だが、神父の表情はピクリとも変わらない。

 

神父ヴィリバルド「さぁ、どうなんでしょうね。わたしの想像する愛とはぜんぜん違いますけど──では、わたしが戦場に立ったとして、あなたはわたしの背後を守ってくださいますか?」

 

アトリ「あー? 何いってんだぁ? 兄者とだからやれるんだっつうの。酒漬け坊主に背中まかせられっかよ」

 

神父ヴィリバルド「でしょう。だから違う」

 

アトリにはさっぱりワケが分からない。それじゃ神父がいつも持っている酒=愛なんじゃないかと訊いても「違います」と一言で否定。じゃ、こんなのはどうだ? とトルグリムが話しはじめた。

 

トルグリム「古株の間じゃ今でも話にのぼる。昔、オレらがフェローで船を襲ったときのことだ。その船には戦士が一人乗っててな、これがもうめっぽう強かった。オレらは総出でかかったんだが、そいつ一人に30人があっちゅう間に素手で叩き伏せられた。素手だぞ! 結局そいつはオレらが仕留めたが、あとで損害を調べたら、不思議なことに死者がいねぇ。何だったんだろうなぁ、ありゃぁ」

 

アトリ「野郎、たしか剣を帯びてたよな。やっぱオレら舐められてたんだろうか?」

 

トルグリム「だとしたらムカつく! つか、戦士としての礼儀ってもんが──」

 

もちろん、二人が話しているのはトルフィンの父親・トールズのことだ。実際に経験した二人にとっても、いまだにトールズの言動が理解できていないのだ。それまでまるで感情を出さず淡々としていたヴィリバルドが、目を見開いて食いついてきた。

 

神父ヴィリバルド「その者、ほかに何かしましたか? 名は何と言いますか?」

 

トルグリム「・・・名前は言えねぇ」

 

アトリ「やっぱ、ワケ分からんちん同士で魅かれるもんがあるんだなぁ。その野郎も、妙なこと言ってたぜ。”本当の戦士に剣はいらない”──とか何とか」

 

ヴィリバルドは更に目を見開き驚愕の表情を浮かべると、のろのろとさっきまで座っていたところに戻り、腰を下ろした。

 

アトリ「何なんだよ坊主よ。今のは当たりか? 愛か?」

 

そのまま神父は貝のように口を閉ざしてしまった。日が暮れ、翌日になっても神父はまだそこにいる。ただ、トールズが言った言葉をぼそぼそとつぶやいている。「本当の戦士」「剣は必要ない」・・・。

 

感想&考察1、「本当の戦士に剣は必要ない」の意味するところは──?

▲剣を使わず戦うトールズ 出展/TVアニメ「ヴィンランド・サガ」

 

トールズが命をかけて残した言葉「本当の戦士に剣は必要ない」。トルフィンはまだ父の言葉の意味に気づいていませんが、正直言ってわたしにも良く分かっていません! トルフィンの境遇を憐れみ、アシェラッドの謀略を応援し、トルケルのあり得ない強さを楽しんでいますが、この物語の本質はこの言葉にあるんでしょう。

 

トルフィンがどうやってこの言葉に追いつくのか、どう解釈しどう生きていくのか、そこが一番の楽しみです。トールズの行動と謎の言葉は、アシェラッド兵団の者たちにも忘れられないもののようです。彼らにも、トールズの言動の意味が理解できず、喉にかかった小骨のようにいつまでも悩まされているのです。

 

ただし、神父には何か察するところがありそうです。ここでの会話の流れからすると「トールズの言動=愛」なんでしょう。でも──やっぱりよく分からない。教会に何度か行ったことがあり、聖書勉強会に数回通った経験もあるんですけどね・・・その程度のわたしの知識じゃ理解できないです。

 

ただ、ここでの会話で一つ言えることがあります。それは、戦場で背中を預けられるトルグリムとアトリの関係は、「信頼」ではあるけれどキリスト教で言う「愛」とは違うということ。キリストの愛に条件はありません。人を信頼し受け入れるのに「兄弟だから」とか「同郷人だから」とか「お金持ちだから」などという条件づけは、ないということです。

 

これはおそらく、キリスト教者ならだれでも理解している基本的なことなんだろうと思います。でも、宗教に関心のない日本人には、なかなか理解しにくいですよね。

 

ちょっとだけ脱線しちゃいますが。日本では子どもを厳しくしつけようとしますよね。「いい子」の型にはめようとする。日本の考えって性悪説で「放っておいたらダメな子になる」という考え方が基本なんですよ。でも、欧米は真逆です。その子はその子であるだけで愛される、尊重されるべき価値がある存在なんです。基本が性善説なんですよ。だから矯正して「いい子」にしようとしない。それぞれの子がもついいところを伸ばして、社会に役立つ存在になれるようサポートするのが親や教師の役目という考えです。

 

日本のしつけは「〇〇できる子じゃなきゃダメ」と、条件づけの愛。欧米の子育ては無条件の愛です。勉強できなくても、マンガばっかり読んでても、言葉遣いなってなくても、ゆるぎなく存在を肯定される──つまり愛されます。こんなところも、キリスト教由来なのかなぁ~なんて、思いました。

 

ラグナルの呪いの言葉「キサマからツキが離れとる」

▲「引き返せ!」と迫るラグナル TVアニメ「ヴィンランド・サガ」

 

これまでテントで野営を繰り返してきたアシェラッド隊だが、ついに今夜は吹雪となった。この天候で野営はムリとアシェラッドは判断した。

 

アシェラッド「天気の文句をあたしに言われても困りますよ。あたしゃ船乗りですよ。海ならともかく、丘の天気なんぞ専門外でしてね。冬の入りっぱなに、こんなに積もることを予想しろって方が無茶ですよ」

 

ラグナル「そんなことは言うとらん。わしゃ今、キサマからツキが離れとることを言うておるのだ。雪に焦って進路を変えたとたんこれじゃ。キサマの兵も少なからず動揺しておるぞ」

 

アシェラッド「あたしの手下は、修羅場をくぐって来てるんです。この程度のことじゃビクビクしませんよ。命令通りにすらすらっと動いとるでしょう」

 

口論するアシェラッドとラグナル。先に進もうとするアシェラッドに対して、ラグナルは引き返せと言っている。

 

アシェラッド「どちらにせよ、今夜は露営はムリでしょう」

 

これを聞いてラグナルは、「うーん・・・」と眉間に皺をよせ黙り込んだ。そこに耳がやってきて「アシェラッド、準備万端だ。行けるぜ」と告げた。

 

ラグナル「アシェラッド、ツキの落ちとるときは何をやっても裏目に出るぞ」

 

アシェラッド「ラグナルどの──何をそんなにためらわれるのです? 村友の襲撃、略奪は、我らノルド人の伝統でしょう

 

吹雪の夜を暖かいところで眠るため、さらに食糧の調達のため、どうやらアシェラッドは村を襲撃する準備を進めていて、ラグナルはそれに反対していたのだ。唸るラグナルに向かい、アシェラッドは言う。「襲撃、略奪は、我らノルド人の伝統でしょう」と。表情には皮肉な笑みが浮かんでいた。

 

感想&考察2、ここがアシェラッドのターニングポイント!?

▲「襲撃、略奪は我らノルド人の伝統でしょう?」 出展/TVアニメ「ヴィンランド・サガ」

 

前回の最後でラグナルが「兵糧はどうする」と訊いたのに対してアシェラッドは「平気、平気。それもちゃんと考えてますって!」と、軽く応じてましたよね。まぁ、誰でも気がつくところですが、この時点でアシェラッドは村の襲撃を想定していますよね。

 

故郷のウェールズでは話し合いで兵糧を得てきたけれど、ここはイングランド。なんのためらうことなく村を襲撃しようというところです。

 

キリスト教信者のクヌート王子は嫌だろうし、その従者ラグナルも気持ち的に嫌なんだろうけれど、アシェラッドとしては手下の今夜の快適な眠りを得るために、もちろん王子の健康のためにも、兵糧を得るためにも、襲撃は必須と判断します。

 

何とか思いとどまらせようとするラグナルに対して「略奪はノルド人の伝統」と言い放つアシェラッドの薄笑いが皮肉だこと!

 

もう一つここで印象的に思えたのが「キサマからツキが離れとる」というラグナルの言葉です。重ねて「ツキの落ちるときには何をやっても裏目に出る」と、ほとんど呪いのような言葉をくり返しています。これ、平たく言うところのフラグですかね。これまで機転をきかせて上手く切り抜けてきたアシェラッドも、そういつも上手くいくとは限らないということで──この後、何か悪いことが起きそうな予感が・・・。

 

悪党デーン人登場!

 

アシェラッドたちが目をつけた村には、冒頭で登場したアンが家族と暮らしている。両親、祖父、子どもが──おそらくアンを入れて7人。大家族だ。ちょうど夕食どきで、パンと玉ねぎ入りのミルク粥、少しの干し肉だけの粗末な食卓を囲み神に祈りを捧げている。

 

アンの父親「天にまします我らが父よ。私たちの日ごとの糧を今日もお与えください。私たちが罪人を許すように、私たちの罪をお許しください。誘惑に遭わせず悪よりお救いください。国と力と栄えとは限りなくあなたのものです」

 

夕餉の話題は、20年後にやってくるらしいこの世の終わりについて。イエスが復活してから1000年後、つまりこの時から20年後にこの世は滅びる。良い行いの者は神の国に、悪党は地獄に落とされると。一人の子が言う。

 

子ども「オレ知ってる。悪党はデーン人!」

 

アンの父親「おぉ、あいつら超ワル! きっと神さまは、あぁいう連中が湧いてくるのをご存知だったんだろうな。いいか、おまえたちはイエスさまの言いつけをよーく守って──」

 

父の言葉のさなか、アンは立ち上がり外に出た。「おしっこ」と偽って。「どうしよう、悪魔怖いよー!」と神の裁きに怯えながらも、木のウロから取り出した指輪をはめ見とれるアン。市場に出かけたとき、どうしても欲しくてつい盗ってしまったものだった。

 

アン「あたしみたいに悪い子は、きっと裁きの日に地獄に堕ちるんだわ。きっと家族の中であたしだけ天国に行けないんだ」

 

木の根元にうずくまり涙ぐみ、いっそ指輪を捨ててしまおうとして、やっぱり捨てられず・・・。一人もんもんとしていると、家の戸口に3人の男が立っているのが見えた。ビョルンたちがやってきたのだ。

 

とつぜんアンの家の戸を開けたビョルンは「ちーっす、晩御飯拝見!」と言った。あっけに取られる家族たち。ビョルンは今晩の「自分たちの」食事を味見して、思わず吐き出した。「まずい! ひでぇもん食ってんな」。それはビョルンにとって、彼ら家族の食事ではなくもはやヴァイキングのための食事だから、味見に躊躇はなかった。

 

子どもの食事を取り上げられ怒る母親を殴り飛ばすビョルン。あわてて妻にかけよる父親。周りでは小さな子どもたちがピーピー泣いている。ビョルンは父親に剣を突きつけ、唯一知っているイングランド語で言った。

 

ビョルン「食いもの全部出せ、ころすぞ」

感想&考察3、キリスト教と北欧の神々の教えとは相性最悪だよね!

▲ヴィリバルドが祈りを捧げるキリスト 出展/TVアニメ「ヴィンランド・サガ」

 

キリスト教的道徳観念からいうと、デーン人の行いは最低最悪。自分で働くこともせず、人の貯えを暴力で奪っていく迷惑極まりない悪党です。自分たちは神の教えを守っているから、裁きの日に天国に連れていってもらえるけれど、デーン人のようなヤツらは地獄に堕されると信じています。

 

わたしはクリスチャンではないけれど、キリスト教はとてもよくできた道徳教育だと思うんですね。デーン人のような個人主義をいさめ、集団で仲良くやっていく知恵を授けてくれる。敬虔なクリスチャンばかりの国は、きっと為政者も治めやすいだろうと思います。

 

でも、武力を肯定するデーン人と武力を否定するキリスト教信者とは、相性最悪! 狼と羊のようなものです。

 

狼にとって羊はただの食糧。思いやる必要のない相手です。今回でいうと、羊たちは貧しい農民で、手をアカギレだらけにして爪をボロボロにしながら必死で生きている様子をていねいに描いています。貧しいけれどたくさんの子どもたちとささやかな喜びに満ちた生活を送っている善良な彼らをヴァイキングたちは襲い、食糧を略奪し、彼らの命を奪うのです。

 

アシェラッドもビョルンも、これまでこういうことを何度となく繰り返してきていることを知っていました。一番最初にフェロー諸島で登場したときからして、そうでした。その後、6歳のトルフィンを乗せた船を引き連れてたどり着いた村を焼き討ちにしていました。直近では、バース近郊の村を略奪していました。それが彼らヴァイキングの生きる糧なのだから当然です。

 

正直言ってとんでもないクソ野郎どもです! まぁ当時は現代の倫理観とかけ離れた考えをしていたからと養護してみたところで、とても肯定できる気がしない吐きそうなほどのクズ野郎です。アシェラッドもビョルンも、そしてトルフィンも!

 

「王子殿下の御為にはこれが最善ですよ」

 

必死の形相で村にやってきた神父は吹雪の中、声を張り上げる。

 

神父ヴィリバルド「皆さ~ん! 逃げてください! この村は狙われて・・・デーン人がこの村を・・・」

 

背後から歩み寄ったデーン人たちは神父をなぎ倒して殴りつける。「しにてぇのか!」と。神父の言葉は吹雪にかき消され、村人たちには届かない。

 

手下たちは村の食糧の備蓄を確認する。村人の数は子ども2人で大人1人と数えて約50人。104人の兵団員を養うには足りない分量だ。手下から報告を受けたアシェラッドは、捕えられた神父に歩み寄る。

 

アシェラッド「神父よ。あんた王子殿下の教師で、一応この兵団の客だ。一度だけ許す。だが次、邪魔をすれば、その場でころす。オレぁもともと坊主は嫌ぇなんだ」

 

顔を寄せ、かんで含めるように言うアシェラッドを片目で睨みつけたまま、神父は言葉を発しなかった。

 

吹雪の中にまとめて捕えられている村人たちの中から、アンの父親が問いかける。「ワシらの言葉の通じる者はおらんか?」と。

 

アンの父親「頼む。食べるものを半分、せめて半分残してくれないか。半分あれば、何とか冬は越せる。赤ん坊もおるんだ、どうか!」

 

アシェラッド「赤ん坊か、そりゃ大変だな。大丈夫、あんたがたのことは考えてあるよ。冬越しの心配はしなくていい。本当さ。来年も再来年も、もう冬越しの心配はいらん。あんたがたを苦悩から解放してやろう

 

アンの父親は、アシェラッドの言葉の意味するところを理解した。「彼らは非戦闘員だぞ」とラグナルが言う。アシェラッドは、彼の行動の正当性を論理だてて説明した。

 

アシェラッド生かしておいても、こいつらに食わす飯はねぇ。一人でも脱走されたら、敵地の真ん中でもたついてることをチクられる。そいつはいただけねぇ

 

「この者たちはキリスト教徒だ」と、まだラグナルは非難する。そんなこと、アシェラッドは百も承知だ。

 

アシェラッド「だから何すか? 王子殿下の御為には、これが最善ですよ?」

 

クヌート王子はただ黙って俯いている。その隣には、護衛のトルフィンが真っ直ぐ前をみたまま立っている。

 

アシェラッド「よぉし、そんじゃ野郎ども──やれ!」

感想&考察4、神父ヴィリバルドの戦い

▲「みなさーん、逃げてください!」 出展/TVアニメ「ヴィンランド・サガ」

 

神父ヴィリバルドはいつも酒を飲んでいます。酔ってでもいなければ、この現状に耐えられないということなのかな、と思いますが。非力な自分にできることはないと、不甲斐なさに唇を噛みながら、酩酊して時を過ごしてきたのでしょう。

 

そんな神父が、海賊たちが語ったトールズの逸話に食いついていましたよね。トールズが、剣を持たずに30人の海賊を倒しながら誰一人ころさなかったこと。そして「本当の戦士に剣などいらぬ」と語ったという逸話に。その後、ずっと神父は考えていました。その答えが今回のこの行動だったのでしょう。

 

剣で相手をころすだけが戦いではない⇒非力な神父の自分にも戦うことができる⇒自分も自分のやり方で戦おう! と、考えたのでしょう。結局ヴィリバルドの行動は村人の助けにならず、ただヴァイキングたちに暴力を振るわれただけでしたが。それでも、彼の目から光が失われることはなかったように見えました。

 

アシェラッドの脅しに屈せずまた何かやらかして、遠からず命をおとしそうな勢いですね──。

 

感想&考察5、てめぇら、おとぎ話見てんじゃねぇぞ!

 

ウェールズの英雄の直系の子孫で、才気あふれるアシェラッドは、とても魅力的な人物です。とくにここ数回は、相手を立てながら話し合いで道を切り開いてきました。その辣腕ぶりに目を見張り、いつしかアシェラッドを応援していたのですが──。その気持ちを見透かしたような今回のこの所業・・・。

 

「てめぇら、おとぎ話見てんじゃねぇぞ!」

 

と、現実で頬をぶん殴られたような気分です。多くはクリスチャンだろうと思われる欧米人が、今回どんなリアクションをしているかと、いろんな方の動画を観てみたんですが・・・。「観るのが辛い」「これはやり過ぎ」と、顔をしかめる方が多かったですね。これこそ、作者の思うつぼなんでしょう。

 

アシェラッドはヒーローなんかじゃない。自分の望みのためには、平気でどんなクズなこともできる男だ。それでもこの先が観たいか?

 

──と、作者が視聴者をふるいにかけたように思います。嫌なら視聴を切って結構! という覚悟すら感じました。

 

嫌悪感をあらわにする人が多い一方で、絶賛する声もたくさんありました。「これが現実だ」と。「作り物でない歴史の重みが感じられる」と。わたしとしては、ショッキングではあったけれど、アシェラッドの魅力をそぐものではなかったと思います。これからも逃げずに、彼の行く末をしっかり見て行こうと、気持ちを新たにしました!

 

感想&考察6、トルフィンは蛮行に加わっているか?

▲今回はトルフィンにセリフなし 出展/TVアニメ「ヴィンランド・サガ」

 

ところで。今回トルフィンは一言もセリフがありませんでした。クヌート王子の護衛として、クヌートの隣に立っているところが数回、映し出されるだけでした。トルフィンにはクヌート王子の護衛という役目があるので、今回の蛮行に参加していない可能性が高いです。

 

でも略奪した食糧は食べるだろうし、暖炉のある温かい室内で眠るでしょう。直接、手を下さなかったからといって、トルフィンに責任がないとは思いません。同じ穴の狢(むじな)です。

 

そもそもずっと疑問に思っていたんですが。トルフィンはこれまで村人を手にかけてこなかったのだろうか? 「きつい戦働きを割り振ってもらっていいから、民間人の襲撃には参加しない」という取引でもしてるんでしょうか? それとも、アシェラッドの配慮でトルフィンだけは例外的に参加しなくていいということになっている?

 

いや、主人公だから実際に村人を手にかけるシーンを描くことはなかったし、これからもないでしょうが、やっているでしょう。これまでのいきさつからして、仕方ないのかも知れません。でも、間違いなくトルフィンも海賊で、最低最悪なデーン人の一人ですよね。そこは忘れちゃいけないと思います!

 

アンの行方

 

神父の目の前で、木の影に隠れているアンの目の前で、村人たちはヴァイキングの手にかかり命を落とした。すべて見終えたアンは、村と反対側に向かって雪の上を歩き始める。いつしか吹雪はやみ、空に三日月が青白く輝き始めた。アンは空を見上げ、おずおずと話しかける。

 

アン「神さま、みていらっしゃいます──か? 父ちゃんや母ちゃん、じいちゃん、弟や妹は・・・そちらに着きましたか?」

 

アンの指には、市場で盗んだ指輪がつけられたままだ。

 

アン「やっぱり、わたしはお召しにならないのですね。そうよね。だってあたし──ドキドキしてるんだもの。あんなにも、あんなにも悪い人たちがいるなんて。あんなにも、あなたの罰を恐れない人たちがいるなんて。指輪を盗んだあの瞬間みたいに、わたしは今、ドキドキしてるの

 

もちろん神からの返答はない。そうしてアンは雪の上に倒れ込んだ。

 

やがて朝焼けに空が明らみ、日が昇るにつれ木々の影が短くなっていく。住人を失った村に、雲間から光が差す。アンは目を覚ました。唇は真っ黒に色を失っているが、彼女はまだ生きている。見上げた空に、太陽がもの言わずに鎮座していた。

 

感想&考察7、リンゴを食べた少女アン

 

襲撃された村のたった一人の生き残りアン。この少女の役目はなんだろう? ただ惨劇を目撃させるためだけに存在するのだろうか? そのためだけに、これだけしっかり描いたのだろうか? それとも重要な役割をもっている? そう思ってOP映像を見返してみると、そこにアンがいました。

 

夜空に輝く三日月を見上げているアン。その直後にリンゴを手に取る映像、そしてかじられたリンゴ──。つまりアンは禁断の実を食べた罪人として描かれているのです! そういえばアンが盗んだ指輪には、波のような曲線が描かれています。これ、じつは波ではなく蛇なのかも知れないですね。

 

空に君臨し、いつも人々の行いを観ているとされる神。その神の視線を重荷に感じていたアンは、神の罰など歯牙にもかけないヴァイキングたちの蛮行を目撃し、自分の小さな罪など気にすることはないんだと感じたのでしょう。それが悪いことだと分かってはいても、それでも魅かれてしまう自分を止められない。

 

そんなアンの役割は──。

 

アシェラッド「一人でも脱走されたら、敵地の真ん中でもたついてることをチクられる。そいつはいただけねぇ」

 

これですかね。アンの告げ口により、アシェラッドたちは窮地に陥るってとこでしょうか・・・。

 

「ヴィンランド・サガ」の脚本は、とても公正なんですよね。大事なところを隠して視聴者の目を欺くような手を使わない。細かく見ていけば、必ずそれぞれのキャラクターの真意が分かるようにできているし、行動も納得がいくように作られている。だから、きっとアンはアシェラッドへ厄災を運ぶ役割を担っているように思います。──たぶんね!

 

感想&考察8、いやしかし、映像表現が美しい!

 

今回、物語としては直視に耐えないような内容だったんですが、映像はまた別格に美しかったですね!

 

羊のように無力な村人たちのささやかな幸せと、眉ひとつ動かさず淡々と指示するアシェラッドの冷酷さ。神父ヴィリバルドの苦悩。唇の動きだけで表現されるアンの心の揺れ。すべてを観ているはずの神は何も答えず、虐殺が行われた翌日でも世界は光に満ち満ちて美しい。

 

すばらしい映像表現でした!

 

そして、すばらしい声の演技でした。日本ではCV(キャラクターヴォイス)と呼ばれる声優さんですが、英語式にVA(ヴォイスアクター)と呼びたいと思いました。ほんとに!

 


幸村先生も絶賛でした!

 

おまけ

▲Sony Music (Japan) ver.

2期OPのフルバージョンUPされてました♪

 

 

タニタの歩数計・・・ちょっと欲しいかも!

 

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